天国的底辺

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【現世編終了】いち原作信者のアニメ版YU-NO感想(17話終了時点)

 TVアニメ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』、17話をもってとうとう現世編が終了となりました。

 今日はそれを一区切りとして、神奈ルートの感想、および今後の展望についての個人的な見解を書いてみようと思います。

 必要な箇所では原作のネタバレも行っていますので、原作未プレイの方がお読みになる際はご注意ください。

 

 なお、本記事で使用している画像の著作権はすべて、アニメの権利者様に帰属いたします。

 

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神奈ルート改変の意味

 前回、13話終了の時点で、私は次のような記事を書きました。

 

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 ここで私は、これから始まる神奈ルートに対して、かなりの不安を表明しています。

 たくやの記憶継承の問題や、13話でやっていた改変の大きさを鑑みるに、原作に忠実に物語を進めることになるとは(それができるとは)到底思えなかったからです。

 果たしてそれで、うまく事が運ぶのだろうかと。

 

 その予想の通り、神奈ルートはかなり原作とは見せ方を変えたものになっていました。

 出だし、つまり14話では、思っていたよりは原作から外れていないことに、一応安堵しました。

 その前の13話で、絵里子先生と龍蔵寺に関するたくやの記憶を消去していたのが効いており、いったん物語が落ち着きを取り戻したのです。

 しかし15話で「えー」となりました。原作にはひとかけらも存在しない、いわゆる「海回」が展開されたからです。

 

想定外の海回

 

 この回を観た直後の私には、その狙いがうまく掴めませんでした。

 これだけ尺の問題を抱えているシリーズで、よもや「一回くらいは海回みたいなものがないとね」みたいなノリで差し挟んだわけでもないでしょう。

 となると何らかの機能が見て取れるはずなのですが、15話をいくら思い返してみてもそれがわからず、それどころかむしろ、情報の密度は低めな回だと言わざるを得ない内容だったのです。

 

 どういう戦略なのかなという疑問を抱えながら、16話、17話と進んでいきました。

 それで今回、17話を終えて、現世編の締めくくりを体験したわけですが――ここでようやく、TVアニメ版の神奈ルート改変が何を狙ったものだったのかを、私なりに理解することができました。

 

 恐らく次のような戦略のもとで作られたのだと思います。

「たくやがデラ=グラントへ向かう動機をはっきりさせるため、そこに神奈の生死を直接的に絡めることにした。しかし、たくやと神奈だけではまだ弱いかもしれないので、澪も巻き込むことで、『大切な仲間』というニュアンスをさらに強めることにした」

 

 言われてみれば、原作のたくやがデラ=グラントへ向かうくだりは非常に「ゲーム的」でした。

 つまり、プレイヤーが「そうしなければならない」と思っているからそう動いただけであって、そのとき主人公であるたくやが何を考えていたかは、ほとんど描写されていなかったのです。

 だからアニメで物語を動かすにあたって、何か新しい要素を作らなければ、たくやをスムーズに「宝玉がすべて揃った状態で三角山にいざなう」ことができないと判断したのでしょう。

 

 そして、その「新しい要素」として選んだのが、「神奈を救う」という動機だった。

 原作では、神奈ルートの最後は、神奈が命を落とす結末と、べつのところから手に入れた超念石を使うことで彼女を救う結末の二通りが用意されています。

 そのうち後者に進むことで、神奈から「親父の書斎の鍵」を手渡され、それを物語序盤に戻って使うことで、最後の宝玉を手に入れることができる――という流れになっています。

 ここを改変して、神奈を救いたい→デラ=グラントに行かなければ超念石はない→だからそこへ向かう→行き方は今際の際の神奈から聞く、という風にしたわけですね。

 

神奈の最期

 

 こう考えてくれば、15話の海回の意味もわかってきます。

 要するに、たくや・澪・結城の「仲間」の中に、神奈も加えるために追加されたエピソードだったわけです。

 これがあるから、「神奈にここに留まって欲しい理由」がより強まり、また、神奈を説得できなかったたくやの背中を澪が押す、という複数キャラを絡ませる展開も作ることができたのです。

 

たくやの背中を押す澪

 

 恥ずかしながら、私の原作の記憶はかなり古くなっているため、ここで挙げた「原作の現世編ラスト付近におけるたくやの思考の描かれなさ」を忘れていました。

 なのでずっとアニメ版神奈ルートがよくわからなかったのですが、17話を通して原作を思い出すことで、その辺りが一気にわかり、非常にすっきりしました。

 と同時に、アニメスタッフさん方には「もしかして何も考えていないのではないか、とかチラっと思ってしまってすみませんでした」と言いたいです。

 

良かった点

 良かった点として第一に挙げたいのは、たくやが記憶を保持していることが、デラ=グラントへ向かおうとするシーンで一気に結実したところですね。

 超念石、三角山内部、そういう各ルートの個別のテーマは、原作では「たくやが同時に考えるもの」ではなかったのですが、アニメでは文字通り、たくやの中で固く結びつき、彼を突き動かすひとまとまりの情報群となっていたのです。

 あそこの、すべてが一点にぎゅっとまとまっていく感じは、アニメならではのテンションでとても良かった。

 

 それから、神奈の「男達に体を委ねてきた人生」をオミットせずにきちんと描いたのも、個人的に評価したいところです。

 

男に身を委ねる神奈

 

 この点を違う描き方に変えてくる可能性も、そこそこ考えていました。物語としては胸に来るところなのですが、なくしても全体構造には影響しない要素だからです。

 しかし(もちろんメディアに合わせるかたちで描写は曖昧になっていましたが)ちゃんと原作通りにやってくれた。

 まあ斜に構えるなら「同じくらい心を揺らすものを思いつけなかったからそのままにしたのだろう」と見ることもできましょうが、ともあれ嬉しかったですね。

 

 そして作画は、相変わらず安定的で大変結構。

 これも「だってそんなに動かないし」みたいに言うこともできるのかもしれませんが、やっぱり純粋に喜ばしいですよ。

 派手さには欠けるかもしれない絵作りですが、その堅実さを私は素直に高く評価したいと思います(13話の次元犯罪者のように、受け付けないものもありますが……)。

 

失われたもの&疑問点

 仕方のないことではあるのですが、原作で「書斎の鍵」を手に入れて、序盤の「今までどうしても進めなかった分岐」に進めるようになったときのあの感動は、なくなってしまっていましたね。

 そして、それに代わるものが特に用意されなかった。

 これはつまり、「ついに宝玉がすべて揃ったという達成感」をアニメではあまり得られなかったということです。

 構成上、勢いでササッと揃え、ササッと使う方向で作られていました。

 まあ繰り返すようですが、これは仕方ないことだったのかなと思います。

 

 あと気になったのは、神奈が書斎の宝玉のことを最後の最後までたくやに黙っていた理由が、よくわからないということでしょうか。

 話の流れから考えて、たくやがリフレクターデバイスを持っていることは最初からわかっていたのでしょうから、特に劇的なきっかけがなくとも、早めにたくやにそれを告げるべきだったと思うのです。

 それをしない理由がなかったことで、ちょっと不思議なことになってしまったように感じます。

 

 ただまあこれについては、原作で対しても「書斎の鍵をさっさとたくやに渡せばよかったのに」と言うことができるので、演出の一環として許容される範囲ではあるでしょうか。

 ここは重箱の隅をつつくように観るところではないのかな、とは思います。

 

 ……神奈ルートに関するネガティブな印象は、これくらいでしょうか。

 13話終了時点で感じていた不安の大きさに比べると、失われたものはほとんど無かったと言っていいと思います。

 もちろん、根本的に原作を圧縮しているので、情報の欠落は当然あるわけですが、それ以上の「余計な損傷」は見られなかったと判断できるのではないかなと。

 これは正直、嬉しい誤算でした。

 

異世界編の展望

 さて、いよいよ異世界編が始まるわけですが……。

 とりあえず、現時点で気になることが一つあります。

 アニメにおいて、たくやは神奈を生き長らえさせるために、超念石を求めてデラ=グラントへ旅立ったわけですよね?

 すでに述べたように、これはアニメオリジナルの動機です。

 

 しかし原作の通りに物語が進むならば、この後たくやはデラ=グラントにおいてセーレスと出会い、そこで家庭を築いてしばらく平穏な生活を営むことになります。

 これって、流れ的にどうなのでしょう? これをそのままやったら、「いや、神奈を救う目的でやって来たのに、何ですべて忘れたみたいに新生活を始めちゃってるの?」とならないでしょうか?

 その辺りのたくやの心境を、何とか整合性の取れたかたちで描かなければならないわけで、果たしてどうなるのだろうと心配になるところです。

 

 その後も原作の異世界編は、超念石をどうこうする方向にはまったく進まず、そしてそのまま結末を迎えることになります。

 この大筋を改変することは、恐らく無理ではないかと思われます。

 これも気になりますよね。

 もちろん、物語というのは、主人公の最初の願いが必ずしも推進力であり続ける必要はないですし、最後に「叶わなくてはならない」というルールもありません。

 ですが、無計画に原作をなぞると、いささか不格好にはなってしまうと思うのです。

 

 私がこれを書きながら少し考える限りで言うと、例えばラストで、「この世の果て」からたくやが今回関わったすべての分岐に干渉し、超自然的に(反則的に、とも言う)問題を解消してみせるとか、そういう風に処理する手はあるでしょうか。

 とにかく、何もせず原作のまま進めて終わるというのはちょっとイケてないと思うので、何らかの対策が施されていることに期待したいところですね。

 

 ……というあたりを除けば、異世界編にはそれなりにワクワク感を抱いています。

 先日、キービジュアルが発表されましたが、なかなか良い感じになっているのではないでしょうか。

 

異世界編キービジュアル

 

 特に神帝の仮面はナイス追加要素で、これがあればアニメオリジナルで神帝を謎の存在にしたままカットバックで描けるようになります(声はNG)。

 少々一本調子だった感のある原作の異世界編を、より多角的に表現することができるようになるのではないか、という期待が持てますよね。

 

 確かアニメは全26話とアナウンスされていたと思います。

 現世編を17話で済ませ、次回が特別編、そしてその次から異世界編なので、原作では「長めのエピローグ」だったパートに8話、つまり「本編」である現世編の約半分を割くことになります。

 これだけあれば何とかなる……だけに留まらず、幾つかはオリジナルを詰め込むことも十分可能でしょう。

 

 正直に言うと、私は異世界編の世界観に対しては、現世編のそれと比べてコテコテというか、いささかヒネリに欠けるファンタジーという印象を少なからず持っています。

 なので、もしアニメが何らかのかたちでそれを独自に深めてくれるのであれば、それは割と積極的に歓迎したいところなんですよね。

 果たしてどんな見せ方をしてくれるか。ここは敢えて、ハードルを上げて待ちたいところです。

 

おわりに

 円盤第1巻の予約数に応じて特典が増えていく「A.D.M.S.プロジェクト」ですが、とりあえず1,000枚は達成し、オリジナルエピソードが作られることは決まったようです(出来レースかもしれませんが)。

 しかし1,500枚には到達しなかったようで、まあ、残念ながら「伝説のゲームの名に恥じぬ大ヒット!」とは行きそうにありません。

 

 このアニメは成功なのか、失敗なのか。ちょっと判断するのが難しいですね。

 私もときどき、自分がこのアニメを楽しんでいるのか、それとも原作信者としてその出来具合を「監視」しているのか、わからなくなってくることがありますので……。

 

 ただ何であれ、最後まで見届けて、私なりに熱くリアクションを取りたいと思っていますし、その内容ができればネガティブなものにならずに済むことを、心底願っています。

 久しぶりに原作ファンという立場から観ている、この作品。

 また近いうちに感想記事を書く予定ですので、そのときはまたお読みいただけると嬉しいです。

 

 

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