天国的底辺

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いち原作信者のアニメ版YU-NO感想:最終版

 私が昔からの原作信者として、ハラハラしながら見守っていたTVアニメ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』全26話が終了いたしました。

 これまで何度かに分けて、その都度の感想を書いてきたのですが、その最終版ということで、いわゆる「結論」としての感想を書いてみようと思います。

 

 

 

まずは総評から

 まず総評を一言でいってしまうと――「残念な結果でした」というところです。

「素敵なアニメ化でした! ありがとうございました!」とは、とても言えない。

「結構良かったですね、楽しかったです!」というのも、ちょっと言い過ぎ。

「まあまあというところでしょうか。こんなものかなと」……これをちょっと下回るくらいが、私の立ち位置という感じでしょうか。

 

 まったく何もかもがダメだった、というわけではないんですよ。

 例えば作画は最後まで安定していて素晴らしかったですし、詳細は後述しますが、様々なところで「アニメとして成立させよう」という意欲も感じられました。

 でも、ぶっちゃけた話、人をワクワクさせる面白い映像になっていなかったんですよね。

 空回り、と言ってしまうと大袈裟かなという気がしますが、工夫がうまく結果に結びついていないという印象を持ちました。

 

 案の定といいますか、原作ファンではないアニメ視聴者達のあいだで盛り上がっていた様子はなく、空気アニメの1つとしてこのまま過去に消え去っていくものと思われます。

 繰り返すようですが、残念な作品になってしまったというのが私の結論です。

 

現世編の改変と異世界編の改変

 原作ファンのあいだには、このような結果になった原因を「改変」に求める声がそれなりにあるように観察されます。

 原作ではこういうシーンだったのに、こういうシーンに変えたからつまらなくなったのだ、という意見ですね。

 

 とりあえず、改変についての具体的なところを述べていきましょう。

 現世編については、過去に4本の記事を書いているので、詳しいことはそちらを参照してください。

 

www.tengoku-teihen.com

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 ここでは、異世界編の改変について考えていきたいと思います。

 

 一口に改変と言っても、現世編のそれと異世界編のそれでは、役割がだいぶ違っていました。

 現世編のそれは、第一義として「圧縮のための方策」でしたよね。

 原作ではAとBとCによって描いているが、それらをすべて映像にしていたら尺がいくらあっても足りないので、アニメでは新しく、一気に要点を説明できるDというものを用意してそれで済ます、というやり方です。

 これははっきり言って「仕方がないこと」でした。

 こういうことをせざるを得ないことは、放送開始前からわかりきっていたことでしたし、その方針自体について誰かを責められるものでもないでしょう。

 原作の原理主義的なファンも、よもや「すべてを原作通りにやって、途中で終われ」とは言わないでしょうから、ここは当然受け入れるものだったと思います。

 

 それに対して、異世界編の改変は、基本的に「不足分を足していく」ことを目的としていました。

 原作では現世編の数分の一のボリュームしかない話が、アニメでは現世編の半分の尺を取っているだけのことはあって、その方針はかなり徹底されていましたね。

 特にレジスタンス関連が強化(という言い方に抵抗を持つ方もおられるでしょうが、一応)されており、オリジナルのキャラクターや展開をふんだんに用意して、元々の話を膨らませていました。

 また、アーベルを最終決戦に使ってみたり、アマンダの行く末についての解答もきちんと描いてみせたりと、締め方にはそれなりに気を遣っていたことが見て取れます。

 

 それらを指して「もはやべつの話だ」と言うことも可能かもしれないのですが、私としては、アニメ版の追加部分に対して「本来は異世界編もこのくらいの作り込みをするべきところだったのだろうな」という感想を持ちました。

 故・菅野ひろゆきさんの当初のビジョンでは、異世界編は現世編よりもボリュームのある物語になる予定だったといいます。

 それが開発期間の関係で「長めのエピローグ」程度に収まったのが原作だったわけですが、そういう経緯があるためか、原作の異世界編はいろんな場面において「サッサと済ませている」感じがしたんですよね。

 

 アニメ版の肉付けが、果たして菅野さんの当初のビジョンとどれくらい重なっていたのかは定かではありませんが、そういうことをしようとすること自体は、何ら「原作に反する」ものではなかったのではないか、というのが私の見解です。

 

諸悪の根源は改変だったのか?

「でも、残念な結果だったって思ってるんでしょ? ならやっぱり改変がダメだったということじゃないの?」

 という意見があるかと思いますが、私の回答は「いや、それは少し違います」となります。

 

 先述した改変をひとつひとつ分析してみると、決して「それをやったからつまらなくなった」わけではないんですよ。

 例えば、レジスタンスの描写。果たして、原作にないものを描いた「から」つまらなくなったのでしょうか?

 そうではないと思うんですよね。

 アーベルを最後に持ってきたこと自体が、何か大切なものを壊してしまったか?

 これもノーでしょう。

 

 これらはいずれも、「見事にやってのけることに成功していれば、それは称賛されるべきものだった」のです。

 つまり、改変という意思決定自体が悪いわけではないんですよ。

 

 では、何がダメだったのかと言えば――これは実にシンプル。

 要するに、映像作品として受け手を引き込む力に欠けていた、という話です。

 

本当にダメだったもの

 改変、つまり段取りのレベルについて言えば、私は今回のアニメ版に文句をつけるところはあまりありません(ゼロとは言いませんが)。

 先述したように、現世編のそれは「仕方なかったもの」、異世界編のそれは「本来そうすべきであったもの」という見方なので、当然そうなります。

 

 しかし、その結果として面白い映像作品になっていたか、という肝心なところについては、「そうなってはいませんでしたね」と答えざるを得ません。

 

 これは改変に問題があったのではなく、演出の力不足によるものだったのではないでしょうか。

 すべてが段取りとして消化されていく感じで、真に迫るものがなかった。

 それが意欲的な(そして必然的な)改変を台無しにしてしまい、視聴者を惹きつけることに失敗してしまった。

 そういうことなのだと思います。

 言い換えるならこういうことですね――「上手くやれば面白くなっていたのだ」。

 

原作の演出力

 このようなことを考えたときに思い出されるのが、原作の演出力です。

 菅野さんは「シナリオとゲームデザインの融合」といった辺りで名声を集めた人物ですが、実はこの演出力の部分でも、おおいに力を発揮していた方でした。

 

 氏の開発手法として、シナリオをスクリプトをまとめて進める、というのがあります。

 通常なら、まずはシナリオライターがシナリオを書いて、それをスクリプターに渡し、そこでゲームエンジンごとのコマンド等が挿入され、具体的な演出が固定していく、という過程を経ます。

 しかし菅野さんはこれを、一人で同時にやっていたらしいんですよね。

 つまり、シナリオを書きながら、「ここでBGMがフェードアウトする」とか「ここでこういうイベントCGが出て、こういうSEがバーンと」といったコマンドをそこに打ち込んでいたわけです。

 

 結果として、シナリオと演出の「呼吸の一致」が凄かったんですよ。

 私は菅野さんの作品をプレイしながらいつも、こちらの脳波とか心拍数といったものを完全に把握されている感覚を抱いており、それがとても快感でした。

 ゲームデザインのヒネリはもちろん大切だし、YU-NOがその点で語り継がれていることは言うまでもありません。

 しかしまず第一に(と言うべきでしょう)、瞬間瞬間が「お話として盛り上がった」からこそ、ユーザーはついてきたわけです。

 

 あの類まれな演出と同等のものを、アニメという異なるメディアで具現することは難しかった――。

 つまりはそういうことなのではないでしょうか。

 従って、改変自体に罪はありませんし、それどころか「それはやって然るべきだった」というのが、私の見方となります。

 ただ、純粋に、演出力が足りなかったということなのです。

 

おわりに

「あの伝説のゲームが、ついにTVアニメ化!」

 そんな煽り文句と共に、鳴り物入りでやって来た本作でしたが、残念ながら旋風を巻き起こすことはできなかったように観察されます。

「いや、こういう結果になることはわかっていたよ」という声もあるでしょうが、私は私なりに期待していたんですよね。

 長年ファンが頭の中に積み重ねてきた、漠然とした理想を、完璧に満たすことは恐らくできないにしても、良質な映像作品として名を残すことは十分に可能なのではないか、と。

 

 しかし、そういうレベルにはどうやら至らなかった。

 

 それでも多かれ少なかれ本作に惹かれるものがあった、という原作未プレイの方がおりましたら、ぜひとも原作(正確にはリメイク版)をプレイされることをオススメします。

 物語は演出によって大きくその印象を変えるものなのだ、ということを、良くも悪くも体感することができるでしょう。

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 いやあ、しかし……残念だなあ。