天国的底辺

二次元、創作、裸足、資格試験、その他諸々についての思索で構成されたブログ

いち原作信者のアニメ版YU-NO感想(7話終了時点)

 今日はTVアニメ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』の感想を書いていこうと思います。

 記事タイトルで示唆しておりますが、これは熱烈な原作信者である私が、7話を視聴した時点で「感想を書くいい区切りだろう」と判断して書いたものです。

 原作のネタバレは「ほぼ」ないと言えますので、原作未プレイの方もまあまあ安心してお読みいただければと思います。

 

 

  

ずっと前から信者でした

 まず私の立場を明確にしておきますと、かなり古参の原作信者です。

 かつて「YU-NO礼賛機構」というサイトが、ネット上におけるYU-NOファンの集まる中心地であったことを、思い出として長々と語れるくらいには。

 

 原作信者という人種は、私の観測の範囲で言うならば、概ね「メディアミックスの出来に対して狭量な姿勢を見せる」者として認識されているのではないかと思います。

 そこから想像するに、あなたはこの記事をものすごいアニメdisではないかと身構えているかもしれませんが、先に書いておくと、そんなことはありません。

 

 それは私の性格上、そして自分でも趣味で創作をする立場上、作品がメディアごとに変容することに対し鷹揚であるというのもまああるのですが、それ以上に本作の原作の特殊性に起因しています。

 YU-NOという作品は、クリエイターの意思によらず、どのように作っても変容せざるを得ない代物なのです。

 

ゲームでしかできないことの塊

 そのもっとも大きな原因は、原作のゲームデザインにあります。

 システムとシナリオが一体化しており、プレイヤーの行動=主人公の行動ということが重要な意味を持っている。

 なにしろ、「セーブする」という行為すらも、作中で主人公がやっていることなのです。

 そしてそのことを駆使して、あるシナリオで何かを手に入れて別のシナリオへジャンプし問題を解決する、といったことが、物語の核になっている。

 

 そこでは、物語というものが「俯瞰した位置から『使う』もの」として機能しているのですが、この特殊性がおわかりでしょうか。

 これを見事に表したのが、原作のキャッチコピー「物語という名の迷宮へ……」です。

 例えばミステリー小説も謎めいた物語を提供してくれますが、その謎は物語の中にしまい込まれています。

 時折メタな構造を持った小説が世に出るのですが、それも言ってみれば「物語の外に物語を作っている」のであって、「物語の外」があるわけではない。

 つまりどこまで行っても「迷宮についての物語」なのです。これが普通。

 

 物語を扱うメディアで「物語の外」を観念できるのは、ゲームだけです。

 それを物語そのものに不可分に反映させたのが、YU-NOの斬新かつ魅力的なところだったわけです。

 

菅野ひろゆき氏

 その原作の企画・脚本・ゲームデザインを担当していたのが、菅野ひろゆきさんです。

 当時は「剣乃ゆきひろ」というペンネームを使っておられました。

 残念ながら43歳の若さで亡くなられてしまったのですが、このYU-NOと、そこへ至る試作とも言うべき『DESIRE』『EVE burst error』を合わせた、俗に「剣乃三部作」を生み出したことで、半ば伝説となっている人物です。

 ちなみに、TVアニメ版のエンディングテーマ『真理の鏡、剣乃ように』というタイトルが、そのまま氏へのリスペクトとなっているのは明白でしょう。

 

 ここで菅野さんのことをを長々を語ることはしませんが、一つだけ思い出を書かせてください。

 実はTwitterで一度だけ、氏とやり取りをしたことがあったのです。Usenetのfjについての、こんな内容でした。

 当時の私は、Twitterではめったなことでは誰かとコミュニケーションを取らないスタンスだったのですが、今となってはこのとき一度だけでも会話することができて、本当に良かったと思っています。

 

これまでのメディアミックス

 話を作品に戻しましょう。

 実はYU-NOのメディアミックスは、今回のTVアニメが初めてではありません。
 私が知っているだけでも、コミカライズが1回、OVA化が1回、ノベライズが1回ありました。

 

 ただ――好きだった方には申し訳ないのですが――私の意見としてはそれらは皆、上手く行ってはいませんでした。

 これは単純な出来の問題もあったのですが、それ以上に、それらの作品に与えられた尺の関係上、原作を無理やり捻じ曲げることが不可避だったというのがあります。

 半ば宿命的に、それらは良いメディアミックスにはなれなかったのです。

 

 それらから長き時を経ての、今回のTVアニメ化でした。

 流れとしては、まずゲームのリメイクがあって、そのリメイク版を映像化したのがこのTVアニメということになります。

 全26話という情報を目にしたとき、私は期待と不安の両方を抱きました。

 これまでのメディアミックスと違い、「作り手の意志と腕次第では、あるいは何か良いものが生まれるかもしれない」ぎりぎりの可能性が、その尺にあったからです。

 

監督インタビューを読んで

 どんな方々がアニメを作るのだろうというのが気になっていたところなのですが、結論から言うと、人選は「当たり」だったのではないかと思っています。

 少し前のまんたんウェブの記事なのですが、このような監督インタビューがありました。

 

mantan-web.jp

「わかっている人だ」と思いませんか?

 私はそう思いました。

 もちろん、どれほど志が確かでも、腕がそれについていかず、グダグダなものが生まれてしまうことも多々あります。

 しかし、少なくとも設計思想の段階でこれだけ「原作を(その根本的なメディアミックス不可能性も含めて)わかっている」のは、スタートして悪くない。

 

 ――さて、ではそのTVアニメ版、肝心の出来はどんな感じでしょうか。

 ようやく本題に入れます。ここまで読んでくださった方、長々とどうもすみません&ありがとうございました。

 

 タイトルにある通り、この記事を書いている今、放送は7話まで済んでいます。

 なぜこのタイミングでこの記事を書くことにしたかというと、この7話が原作で言うところの「別ルート」に初めて入ったタイミングだからです。

 ここでようやく、(少なくとも中盤までの)TVアニメ版の設計思想が見えたので、感想としてまとめておこうと思ったのです。

 

 それでは、気に入っているところと、ちょっとどうかと思うところを、個別に挙げていきたいと思います。

 

気に入っているところ

 ではまず、気に入っているところから。

 

成人指定のゲーム原作のニオイが皆無に近い

 原作はいわゆる成人指定のゲームなのですが、私は以前から個人的に、その要素は本作には必要ない部分が多いなと思っていました。

 一般的には、後半の○○○○○○や○○○○(無意味なネタバレになるので伏せます)はとても重いテーマで、これは年齢制限を付けなければ描けなかったものだ、という意見が強いのですが、私は「その2つはそもそもそこまで必要なものではなかったのでは」と考えているため、なおさら年齢制限が必要になる描写は要らないという立場だったのです。

 

 そんな私からすると、TVアニメ版のこの「いちいちサービスカットを混ぜてくる原作のムードを排除している」感じは、余計なものが削ぎ落とされた、とてもスタイリッシュなものに映るのです。

 作中の時代設定は1995年ですが、描き方は現代的。

 この方向性は、(後で語る難点と若干結びついているとはいえ)おおいに歓迎すべき点として挙げるべきものだと、私は感じています。

 

原作を守るためのアニオリ、という強いコンセプトを感じる

 すでに述べた通り、原作は本質的にメディアミックスが不可能な作品でした。

 しかしそれは、「他のメディアでは忠実に再現することは不可能である」という意味です。

 裏を返せば、幾つかの点を変更することを許容すれば、作り方次第で多くを原作通りに守り切ることなら可能である、ということ。

 

 このTVアニメ版は、ほとんど忠義と言ってもいいくらいに、それを実行しています。

「原作を可能な限りそのまま見せるために」アニメオリジナルの部分を作るのだ、という明確な意志が、あらゆるオリジナルシーンから感じられるのです。

 私自身が趣味で小説を書いていることもあって、「なるほど、あれとあれを、このオリジナルで一気に説明しておく意図か」みたいなことを、かなり関心しながら毎週チェックしています。

 他人の才能を簡単に語れるほど目利きではありませんが、少なくとも原作を精力的に分析し再構築した結果なのははっきりわかる。

 

 今では、次にどんなオリジナルを見せてくれるのかを楽しみにするようになりました。

 

原作が残した不備を解消している

 原作は伝説的なゲームですが、それは「完成度がものすごかった」という意味ではありません。

 むしろ魅力が強いゆえに不完全なところも目立ち、不格好といえば不格好な作品となっていました。

 

 私がいちばん気になっていたのは、主人公・たくやの記憶の扱いです。

 ゲームの仕様上仕方のないことなのですが、原作の主人公は原則として、他の時間に飛ぶときに記憶を継承している痕跡を見せません。

 以前通ったシーンと同じシーンになったら、以前と同じところで同じように驚いたりするのです。

 

 しかし一方で、以前の記憶が残っていることを味にしたシーンがちょっとだけ用意されていたりもしたのです。

 また、ある時間軸でアイテムを手に入れて、それを別の時間軸で飛んで使うという、ゲームとしての醍醐味とも言える展開において、「今これをやっている主人公は、自分が持っているアイテムについてどう思っているのだろう」という点については、最後まで釈明されることがありませんでした。

 

 不格好ですよね?

 

 でもTVアニメ版では、記憶については「保持し続ける」ことでどうやら一貫させるようです。

 7話で初めてカオスの矯正後の主人公が描かれ、その主人公の口から6話までの記憶ありきの台詞が出てきたことで、それが確定的になりました。

 それが今この記事を書いている動機でもあるのですが、私としては「よし」というところです。

 

 こうして言及するだけなら簡単ですが、これはちゃんとやろうとすると並々ならぬ苦労を必要とする仕事です。

 先ほど貼ったインタビュー記事でも触れていたように、相当に原作を読み込み、入念に構成したのでしょう。

 私はそのスタンスと労力に対して、敬意を評したいと思っています。

 

作画が丁寧

 やっぱりね、作画ってとても大事だと思うのです。

 私はべつに作画厨というほどそこにこだわっているわけではないのですが、どれほどお話レベルで優れていても、作画が怪しいと気持ちが不安定になってくる。

 アニメを視聴するというのは、多かれ少なかれそれとの付き合いではないでしょうか。

 

 その点、少なくとも7話時点では、本作の作画はかなり安定しています。

 動きが少ないからだろ、という見方もあるかもしれませんが、それを考えに入れても、これは本当に安心材料。

 

 もし最後までこのレベルを維持してくれるなら、それはもうその点だけで一種の感動をすることができるのではないかと思っています。

 崩れないでくれ~。

 

ちょっとどうかと思うところ

 続いて、ちょっどどうかと思うところを挙げていきたい思います。

 当たり前ですが、どんな作品も完璧というわけにはいきません。

 

ルール説明のためにいくらか強引なことをしている

 このTVアニメ版は、原作をプレイする際に「読みたければ読めばいいもの」「ゲーム的体験によって理解できるもの」を、「皆に同じ分量の説明を提供すること」で代替しなければいけない使命を持っています。

 それゆえに仕方のないことなのかもしれませんが……時として、並列世界のルールを説明するシーンが、ちょっと強引なことがある。

 

 その顕著な例が、5話の亜由美が何をやっても自ら命を絶ってしまうくだりですね。

 あれは作中用語でいう「事象のシュバルツシルト半径」を示唆するためのもの(結果的にはその半径内に囚われていないから回避できたわけですが)だったと思うのですが、いくらなんでも、衝動的な行為のくせに高確率で起こりすぎる。

 そして「何をやっても命を断つ」というニュアンスを込めた絵的なインパクトを狙ったと思うのですが、その方法が多彩すぎる。

 

 あれは8割方、シリアスギャグになっていたと思うのです。

 

 序盤なのでインパクト付きで説明しなければならないことが多かったのだと考えれば、今後はあまり強引な見せ方はしなくなっていくと推測されるのですが、あのあたりの描写で笑ってしまってお話に入り込めなかった人、それなりにいたのではないでしょうか。

 

伏線がいかにも伏線でありすぎる

 原作をやっている人間なら、当然ながらキャラのちょっとした仕草でも、それが何に繋がるのかはわかります。

 その立場で観ているから余計こう思うのかもしれませんが……TVアニメ版、伏線となる短いシーンが、あまりにも露骨に「これは伏線ですよ」という顔をしすぎてはいませんでしょうか?

 

 それも、別ルートのことを結構先取りする形でそれを行っているので、余計に不自然というか、お話のぶつ切り感が生まれてしまっているように感じられるのです。

 

 じゃあどうすればいいのかと言われると、確かにこれは難しい問題で、他にどうしようもなかったのかもしれないのですが……。

 それでもやっぱり気になってしまう点ですね。

 

劇伴の影が薄い

 剣乃三部作の音楽を担当していたのは、梅本竜さんという方です。

 菅野さんと同様、梅本さんもすでに亡くなられているのですが、彼の残した素晴らしい音楽の数々もまた、ファンの間では作品に不可欠なものとして語り草になっています。

 

 そんな梅本さんと親しい間柄であった、ヨナオケイシさんと高見龍さんが、TVアニメ版の音楽に参加しておられ、原曲もある程度使われてはいるのですが……。

 このアニメの設計思想の問題として、あまり劇伴に頼らない作りなんですよね。

 なので、残念ながらこのTVアニメ版は、かの「竜サウンド」を十分に楽しむことはできないのです。

 

 これについては、短所として挙げるべきなのかどうか、正直悩みました。

 劇版に頼らないというのも映像作品の立派な方向性の一つで、アニメ単体で考えるならばそこには何の問題もないからです。

 

 ただ、なにぶんこれはYU-NOであり、YU-NOは竜サウンドがあってこそのものだったわけでして……。

 原作信者の難アリなところが出ちゃってるかなと思いつつ、ここで挙げさせていただくことにしました。

 

全体としていささか抑揚に欠ける

 これは、巨大な原作を何とかして詰め込まなければならない事情を抱えたメディアミックス作品にしばしばあることですが、説明することに追われる結果、緊張と弛緩が甘くなっている気がします。

 一つ一つのパーツを見るとそうでもないのですが、全体を俯瞰してみるとどうも平坦に感じられる。

 

 これが後述する現状に大きく関わっているのではないかというのが、私の見解なのですが……果たしてどんなものなのでしょう。

 

総評――個人的には合格点をあげたい

 とまあ色々書いてきましたが、結論として私の中では、今のところは合格ラインに達しています。

 原作信者という「色の付いた」立場を離れることは無理と考え、そこについての客観性を意図的に放棄した上での、現時点での総評。

 

 このまま問題なく進んでくれれば、少なくとも私にとっては十分に楽しめるものになると思っており、アニメスタッフの皆さんにはおおいに期待する所存です。

 

残念ながら注目度は薄いように感じられる

 ただ、どうも世間的にはあまり盛り上がっていないように感じられます。

 これについては、確信はあまりありません。肯定的原作信者の心情として、皆がどんなことを言っているのかを確認するのが何だか怖くて、あまり巷の声を拾っていないのです。

 でも少なくとも、あちこちの視聴ランキング的なものには上がってこないし、もし盛り上がっていたら嫌が応にも視界に入ってくるであろうものもない。

 

 個人的な想像として、他の原作信者からはシンプルに改変を嫌われ、原作を知らない人達からは、先述した抑揚のなさゆえに「空気扱い」を受けているのではないか、と思っているのですが……実際のところ、どうなのでしょう。

 

 私としては、多くの人にじっくり付き合っていただきたいアニメなんですけどね……。

 

おわりに

 今回の記事は以上となります。

 これはあくまでも7話時点での見解。まだまだ前半なわけですから、これからも色々と言いたいことが出てくることでしょう。

 またいずれごちゃごちゃっと何か書きたいと思っておりますので、もし今回この記事を読んで、まあまあ読めたと感じていただけた方におかれましては、次回もお付き合いいただければ幸いです。

 

 

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