天国的底辺

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創作する人は、創作しない人の言葉にどう影響されるべきか

 今日はタイトルの通り、プロ・アマを問わず「創作をしている人」が、そうでない人の言葉にどのように影響されるべきかについて、思うところを書いてみようと思います。

 いちおう、私も素人ながら小説を書いておりまして、当記事における立場としては、創作する側に大きく寄っているつもりではあります。

 しかしまあ、まったくの無名なので、「お前ごときに何がわかる」というご意見も出るだろうなあという不安もちらほら……。

 ここは一つ、お手柔らかにお願いいたします。

 

 

ぼんやりと拝聴する

 いきなり結論から書いてしまいましょう。

 創作しない人の意見をどのように処理するかという問題に対する私の回答は、次のようなものです。

「ぼんやりと拝聴しましょう」

 どういうことかというと、無視はしないほうがよいが、「個人の意見」や「具体的な指摘」にがっちり焦点を当てて取り込むべきではない、ということです。

 

意見は聞く

 まず最初の問題として、「そもそも、創作しない人の意見に耳を傾けるべきなのだろうか」というのがありますが、これはズバリ、耳を傾けたほうがいいと思います。

 もしあなたが、いわゆる「支持」というものをまったく、これっぽっちも得られなくて構わない、とにかく自分の作りたいように作れればそれで100%満たされる、というのであれば、まあ必要ないのかもしれませんが、そうでないなら意見は貴重です。

 

 何と言っても、「時流と自分の距離」を把握するのに、そういう、自分の主観ではない意見を活用することは重要になってくるでしょう。

 他者に作品を受け入れて欲しい場合、その把握は大切です。時流が正しいかどうかはまたべつの問題になりますが、今の自分がその時流に対してどのあたりに立っているのかを知ることは、どう動くにせよ必須の情報になるからです。

 

 あるいは癪かもしれませんが、時流というのは、限られた天才的な創作者が「種」を撒き、敏感な一部の創作者がそれに乗っかって拡げ、何も作らない受け手達がそれを「大量消費する」ことで形成されます。

 創作者のほとんどを占める「天才でも敏感でもない人達」にできるのは、それが出来上がったあとに「自分をその時流に合わせに行く」ことくらい。

 その作業をこつこつ行うにあたり、今の自分がどのくらいそれを達成しているのか、そのデータを取得することは必要な段取りであると言えるでしょう。

 

ただしぼんやりと

 ですが、ここで注意すべきだと思うことがあります。

 創作しない人の意見を取り入れるにあたって、ある個人の意見を気にしすぎたり、あるいは具体的すぎる「ここはこうしたほうがいい」といった指摘を真に受けてしまう必要はない、ということです。

 

 なぜなら、これらの言葉は、「時流と自分との距離を掴む」という目的からすると、紛れが多すぎるからです。

 個人の言葉は、その大部分がその人の単なる嗜好で成り立っているものなので、時流に繋がっているとは限りません。その人がマイナーな趣味であれば、その内容はまったく正反対を向いていることになります。

 具体的すぎる指摘も同様で、創作しない人のそれは、どんなにそれっぽく見えても、肝心要のリアリティが土台として備わっていません。そこを創作しない人に「教わる」のは、むしろ技術の土台を崩してしまう危険があると言えるでしょう。

 

 そういったものにいちいち影響されていたら、毎日のように違う方向にブレまくってしまいかねません。

 いわゆる「自分を見失っている」状態ですね。これは絶対に避けなくてはいけない。

 大事なのは、そういった個々の意見ではなく、「集合知」ならぬ「集合嗜好」みたいなものの言うことを受け止めることです。

「全体として、何となくこっち方面に行けば盛り上がる感じだなあ」

「どうもこういう風に作ると、反応が薄いみたいだなあ」

 そういうのを「ぼんやり」把握するのです。

 そのような中にこそ、学びのもとを見出すことができるのだと、私は思いますね。

 

この場合の「影響を受ける」とは

 こう言うと、次のような声も上がるのではないかと推測します。

「それって結局は、他人の注文を請け負う職人みたいな感じになってしまうんじゃないの? そりゃあ支持されたいとは思うけど、大前提として自分の作りたいものを作るべきだと思うんだけど」

 

 言いたいことはよくわかるのですが、でも私が言っているのは、そういうことではないんですよね。

 創作しない人の意見、つまり感想と呼ばれる言葉を受け止めるというのは、「その内容が何であれ、次回からまったくその通りにする」という意味ではありません。

 

 全員に言えることではないかもしれませんが――何かを作る準備を整える前の創作者の頭にあるのは、たった一つの目的地ではなく、もっと幅広い「可能性の帯域」みたいなものだと思うんですよ。

「これを作りたい!」ではなく「こんな感じのものを作りたい、かも」に近い。

 そのような帯域に、ぼんやりと受け止めた意見を重ね合わせて、「自分の嗜好や持ち味の中から一本の道筋を絞り込む」一助にするのです。

 

 そうやって定めた方向性、そしてその方向性に合わせて生み出されるものは、紛れもなく「自分が作りたいもの」であり、誰かに言われるままに自分を捻じ曲げたということにはならないでしょう。

 喩えるなら、自分のクローゼットを開け、以前観察した「街行く人々」を参考に今日のコーディネートを決めるようなものです。

 自分のクローゼットなのですから、そこには自分の着たい服が揃っているはずでしょう。

 その中から選ぶこと、しかも「参考にする」程度の抽象的なことが、「強制的に他人の望む服を着せられる」ことにあたるわけがありません。

 私が主張する「意見を取り入れる」というのは、そういうことです。

 

まともな意見が来るレベル

 ただ難しいのは、自分の発信した創作物に対して、まともな意見が「集合嗜好を得られる程度に」集まる頃には、すでに自分がそれなりのレベルになっている、というところですね。

 そのときにはすでに、自分のスタイルというものがそれなりに出来上がっており、また自尊心も多かれ少なかれ育っているはずです。

 創作しない人の言葉から何かを学ぶ、ということが難しくなっている可能性が、結構高いと思うんですよ。

 

 そういうのを積極的に取り込んでいけるのは、初心者の段階だと思うのですが、その時期にはまだなかなか感想をもらうことができません。

 もらえたとしても、本当に一つ二つのぽつぽつとしたもので、どうしても単体で見るしかなくなり、集合としてぼんやり受け取るのは困難です。

 しかも内容的に、冷やかしのようなものか、あるいは知り合いのお世辞込みの感想であることがほとんどでしょう。参考にはしづらいものがありますよね。

 

 そこで個人的なメンターを用意できればいいのですが、趣味の場合はそんな本格的な体制を敷くこともできませんので、現実問題としては、感想をもらうことなしに自力で成長していくしかありません。

 できることと言ったら、上手く成長してそれなりの感想をもらうことができるようになったときに、無駄なプライドを築いてしまわないようにすることくらいでしょうか。

 

 まあ、この辺りはちょっと不条理ですが、そういうものだと思ってやっていくしかないところですね。

 

おわりに

 冒頭にも書きましたが、私もいちおう創作をしている人間です。

 なので、当記事は基本的に「自分が為すべきことはこういうことだろうな」という内容を記したものとなっています。

 

 ただ、実状を言うと、私はまだ、当記事が問題にしているようなことに直面したことはありません。

 というのも、私は書いた小説を新人賞に応募してきただけで、それをweb上に公開したこと等は一度もないため、不特定多数に作品を晒した経験がないのです。

 賞の選評・評価シート以外、他者の意見に触れたことがないんですよね。

 

 ですが今後、これまでに書いてきた小説を、どこかのサービス上で公開する計画は持っています。

 あと一度だけ、どこかの新人賞に再応募して、それで駄目だったらweb小説にして公開しよう、みたいなビジョンです。

 そのときには、ここに書いたことをしっかり自分にも適用し、上手く成長していくつもりでいます。

 ……ちゃんとした意見が来るレベルにまで行ければの話ですけどね。

 

 

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