天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

ぼーっとする時間は大事だがちょっと長すぎるかもしれない

唐突ですが、私はぼーっとしているのが大好きです。
正確に言えば何もせずぼーっとしているわけではなく、ネットサーフィンなどをしながらぼーっとしていることが多いのですが、何かをインプットしているというよりは、やはり「ぼーっとしている」と表現するのが適切でしょう。
そんな時間が大好きで、そしてとても長いのが私という人間なのです。

しかしそんな自分を全肯定しているかというとそういうわけではなく、「さすがにちょっとその時間が長すぎるな」みたいに思っていたりもします。
この記事ではその辺りについて、思うところをちょっと書いてみたいと思います。

ぼーっとするのは大事

まず大前提として、人間にとってぼーっとする時間は非常に大事であるということは確認しておかなければいけません。
人間の生活からぼーっとする時間をすべて奪い去ってしまったら、おそらく遠からず疲弊して、場合によっては取り返しのつかないダメージを心身に受けるのではないでしょうか。

タイムイズマネーと言いますが、ぼーっとすることを怠って分刻みのスケジュールで動き続けていたら、最悪の場合は寝込むことになってしまい、それこそ貴重な時間を無駄にしてしまうことになってしまうのではないかと思われます。
少なくとも私の場合は、ぼーっとする時間を抜きにして人生を語ることはできません。
自分の限界はよくわかっているので、私はあえて自分の普段の生活に「スキマ」を作るようにしています。

また、最近ではぼーっとしている時間の重要性が脳科学の分野で明らかになってきたと言います。
ぼーっとしている時間には、集中している時間とは別の脳の部分が活発になっているのだとか。
そしてその時間が活発になっている間は、新たなアイディアなどが湧いてきやすいのだそうです。

昔からクリエイターなどの体験談として「シャワーを浴びているときや散歩をしているときなどに、ふと良いアイディアが思いつく」みたいなことが聞かれましたが、これは科学的に妥当なことだったわけですね。
そういった「力が抜けた」状態のことを、専門用語で「デフォルトモードネットワーク」というらしいです。

つまり、何か新しいアイディアをひらめいたり、物事を一から作り上げていったりといったタスクにおいては、ぼーっとすることは必要不可欠であるとすら言えることになります。
ぼーっとすることの重要性が科学的に明らかになったのは、そのような時間を過ごすのが好きな私にとっては福音とも言えるものですね。

しかしぼーっとする時間を活かすには準備が要る

しかし、上記のデフォルトモードネットワークの話は、闇雲にぼーっとすることを全肯定する根拠としては使えません。
なぜなら、デフォルトモードネットワークの状態で何かをひらめくためには、それ以前にまず、対象となる問題について深く考え込むことが必要だからです。

何らかの問題を解決しなければならないとき、その問題について特に考えてもいないのに、ただ散歩に出かけてぼーっとしていても、それでアイディアがひらめくわけではありません。
確かに散歩に出かけることでデフォルトモードネットワークに移行はするでしょうが、そのときにひらめくための素材が頭の中に醸成されていなければ意味がないのです。

つまり、ぼーっとする時間にしっかりとした意味を持たせるためには、それを行う前にまず問題について全力で考え込むこと、その問題にどっぷり浸かってあらゆる仮説や可能性を探ることが欠かせないということになります。

したがって、デフォルトモードネットワークの話は、ただ単にのんびりと日々を過ごしている人間を肯定する材料にはなりません。
むしろ、常日頃から全力で問題に対して取り組んでいる人間が、その努力を結実させるための手段として言及されるべきものだと捉えるべきでしょう。

ぼーっとする時間が長すぎる疑惑

その意味で言うと、私はぼーっとする時間がちょっと長すぎるかなと考えざるを得ないのです。
おそらく私の一日において、脳みそがデフォルトモードワークになっている割合はかなりのものとなるでしょう。
それ自体が「悪い」わけではないのですが、その時間をしっかりと活かすための、仕込みとしての熟考が足りないように思われるんですよね。

端的に言えば、ぼーっとする時間が長すぎるので、そうじゃない時間をもう少し増やすべきだ、という風になるでしょうか。
物事に深く入り込み、徹底的に熟考し、自分の脳みそに可能なすべての可能性を探る。
このプロセスが私の生活においては不十分であり、そのせいでデフォルトモードネットワークの状態にあっても、なかなか素晴らしいアイディアが降ってこないのではないか。
そういう疑惑が湧いてくるわけです。

それが最も顕著に形として表れているのが、小説の執筆ではないかと思われます。
私は趣味でいくつかの小説を書いているのですが、最近これが停滞してしまっています。
現在2つの作品を並行して進めているのですが、そのどちらに関しても、進捗が芳しくない状態に陥っているんですよね。

このようなときに期待するのは、なんとなくぼーっとしている時間に良いアイディアが浮かんでこないかな、ということ。
しかし私の生活においては、どうもそれが発生しにくい。
デフォルトモードネットワークの話を初めて知ったときから、私は常にぼーっとしている最中に革新的な何かを思いつくことを期待しているわけですが、一向にそれが起きないのです。

これはおそらく、アイディアを思いつくための土台である「まず考え抜くこと」が量的に不足しているからではないか。
目の前のプロットやキャラクター表に向き合う時間が足りていないのではないか。
そのように推測されるわけです。

しかし、どちらかというと私は疲れやすい人間で、ぼーっとしている時間が人より長かったとしても、それは仕方がないじゃないかと開き直りたい面もあります。
実際のところ、ぼーっとしている時間と熟考する時間のバランスをどの辺りに設定するのがベストなのかは人それぞれであり、こうするべきだと画一的に考えられるものではないと思うんですよね。

それがこの問題は非常に難しいものとしておりまして、果たして自分にとってベストな過ごし方はどのようなものなのか、考え出すとどんどん迷宮に入ってしまうことになります。

どう改善すべきか?そもそも改善すべきなのか?

とはいえ、少なくとも私の場合は、ぼーっとしている時間をもうちょっと減らし、何かに具体的かつ細かく取り組む時間を増やすべきだということについては、疑いの余地はないと思っています。
漫然と過ごす時間が、明らかに長すぎる。
こんな生活を続けていては、何も成し遂げられないままあっという間に高齢者になってしまい、もはや何かを生産するとか、何者かになるとかいう問題ではなくなってしまうでしょう。

しかし、では、ぼーっとする時間を一体何に置き換えれば良いのでしょうか?

私の生活において真っ先に思いつくのは、シンプルにインプットとアウトプットです。
単なるネットサーフィンとは異なる、実のある読書などをして深いインプットを行う。
その一方で、今よりももっとアウトプットに対して積極的になる。
この両輪をうまく回していくことを、ぼーっとする時間の代わりに取り入れていくべきではないかと、自分では思う次第です。

さらに言うのであれば、もうちょっと運動の時間を増やすべきだとも考えています。
『脳を鍛えるには運動しかない』というベストセラー本があったりすることからもわかる通り、運動をすることによって脳の働きが活発になるのは、現代の科学においてはもはや常識。
この観点からも、運動量をもう少し増やすのは何かを生み出すにあたって非常に有効な手段であると言えるでしょう。

しかしここで問題になるのは、その度合いです。
ぼーっとする時間を完全に消してしまうのも、それはそれで問題なのはこれまでに書いてきたことから明白でしょう。
では具体的に、ぼーっとする時間をどれくらいに削減するのか。
結局のところ問題になるのはそこです。

人間は限界だらけの生き物であり、自分のキャパを超えて無理をしても続きません。
目標を崇高なレベルに引き上げすぎて、その結果として早々に挫折してしまうのでは、まったく意味がありません。
ちょっと背伸びをして何とか達成可能なくらいの目標を定めるのが、コツコツと継続して何かを積み上げていくときの鉄則です。

そうしますと今の私は、生活におけるぼーっとする時間をどれくらい削減するべきなのか。
これはなかなか悩ましい問題であり、机上で簡単に答えが出るものではありません。
おそらく何度も何度も試行錯誤して、「これは」というリズムやバランスを見つけていく必要があるのでしょう。

ぼーっとする時間のどこまでが怠惰で、どこからが必要な休息なのか。
色々な生活スタイルを試すことで、それを上手に見極めて、理想的な生活スケジュールを組むことができたらいいな、というところですね。

おわりに

というわけで、もう少しぼーっとする時間を減らしてみようかな、という悩みについてのブログ記事でした。

これを読んでいる皆さんは、それぞれ多種多様な生活をなさっていることと思います。
それこそ分刻みで一日を過ごしている方もいれば、私と同じくらいのんびりと生活しているスローライフ愛好家もいることでしょう。
実際のところ、何がその人にとっても幸せなのかというのは人によって異なるわけであり、答えらしきものはありません。
そこが難しいところであり、まあ面白いところでもあると言えるのですが。

ともあれ私は、これからもう少しぼーっとする時間を減らすことで、デフォルトモードネットワークが生産的な何かを見せてくれることに期待したいと考えている次第です。

皆さんはぼーっとする時間ってどれくらいありますか?
ぜひコメントで教えていただけると嬉しいです。