天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

フィクションの消費ペースが上がらない問題

100%私事なのですが、どうもここ最近、フィクションの消費ペースがよろしくないことになっています。
ペースを上げてどんどんコンテンツ消費をしていきたいのですが、なかなか波に乗れない。
一応小説を書いている人間でもあるので、フィクションを栄養素として摂取することはとても重要なのですが、滞ってしまっているのが現状です。

この記事ではそのことについて、ちょっと変えてみたいと思います。
似たようなお悩みを抱えている方に、何かしらの共感を与えることができたら、供養になるかなという感じです。

可処分時間はあるのだけれど

私のフィクション消費ペースが上がらない問題の一番のポイントは、時間がないわけではない、というところです。

一般的な社会人であれば、学生の頃と比べてフィクションの消費ペースが落ちるというのは、ごく普通のことでしょう。
それはなぜかといえば、学生時代にたくさんあった可処分時間が、社会人になったことによって大幅に減ってしまうからです。
ありていに言えば「忙しくてフィクションを消費する暇がない」ということですね。

可処分時間がないからフィクションに触れられないというのも、もちろん由々しき問題ではあります。
忙しく働いて、夜遅くに家に帰ってくると、もうフィクションと相対するだけのエネルギーが残っていない。
これはとても悲しい話であり、これもこれでどうにかしたいものではあるでしょう。

しかし私の場合は、話がだいぶ違うんですよね。
可処分時間はあります。
私はフリーランスのWebライターをやっているのですが、よくも悪くも売れっ子では全然ないので、毎日8時間も10時間も働くような生活ではないからです。
したがって、仕事でゴリゴリに体力を削られて、フィクションと向かい合うエネルギーがまったく残されていない、みたいな状態ではありません。

それにもかかわらず、フィクションの消費ペースが一向に上がらないのです。
漫画・アニメ・小説。どれも同じ。
目の前にブツはあるのですが、それに手を伸ばして最初からしっかり取り込んでいくアクションに、どうしても切り替わらないんですよね。

フィクションの消費ペースが上がらない原因

なぜ可処分時間がしっかりあるにもかかわらず、フィクションの消費ベースが上がらないのか?
自己分析して、理由として考えられるのは、以下の2つです。

  • 「現実」にエネルギーを割くようになった
  • 以前より消費にエネルギーが要るようになった

順番に見ていきましょう。

「現実」にエネルギーを割くようになった

先ほどからエネルギーという言葉を使っていますが、ここで言うエネルギーは、体力と気力を合計した、抽象的な(あるいは適当な)概念です。
なんとなくの雰囲気で理解していただければ幸いです。

人間誰しも、エネルギーには上限があります。
手持ちのエネルギーを超えて何かをこなすことはできませんし、エネルギーの限界を引き上げようと思っても、そう簡単に引き上げられるわけではありません。
手持ちのエネルギーの中で、あらゆることをこなしていくしかない現実があります。

もともと私は、エネルギーの総量にあまり自信がありません。
どちらかといえばすぐ疲れてしまいますし、同じことをずっと続ける気力も、昔と比べるとだいぶすり減ってしまいました。
世の中には時々「この人のバイタリティはもしかして無限なのでは?」みたいな驚異的な行動量の人がいますが、いつも羨ましさと共にそういう人の活動を眺めているのが現状です。

そしてそのわずかなエネルギーを、最近の私はより「現実」に傾けるようになってきたんですよね。
ここで言う現実というのは、フィクションではないもの全般を指します。
現実的に自分の生活をどうこうすることや、実際に存在する人間に関してあれこれ考えたり行動したりすることが該当します。
その結果として、ただでさえ少ないエネルギーが、よりフィクションに回らなくなってしまったのです。

現実と向き合って頑張っている、と表現するのであれば、これはそんなに悪いことではないように感じられます。
フィクションを軽んじるわけではありませんが、何と言っても現実をしっかり生きてこそのフィクションですからね。
しかし私の場合、創作活動をしっかりやりたいと思っている人間なわけで、現実でエネルギーを使い切ってしまってフィクションに回らないというのは、自分のやりたいことをやり通す上でかなりやばいことなわけです。

にもかかわらず、エネルギーを現実でほぼ使ってしまい、フィクションに回らなくなってしまっている。
これは個人的にとても深刻な問題だというのが、実際のところです。

以前より消費にエネルギーが要るようになった

またそれだけでなく、フィクションを消費することそれ自体に、昔よりたくさんのエネルギーを必要とするようになったことも、フィクションと縁が遠くなってしまった理由として挙げられます。

若い頃は(というとものすごく年寄り臭いですが)、もっと軽率にフィクションに触れることができた覚えがあります。
目の前に広げたスナック菓子をつまんで食べるような感覚で、漫画やアニメを片っ端から消化していたはずなんですよね。
その頃の私には、フィクションを消費するのにエネルギーを必要とする、みたいな考え方自体がなかった気がします。

しかし今では、ずいぶん変わってしまいました。
いったん触れてしまえば割とすんなり最後まで物語を消費することができるのですが、最初に手に取るまでにものすごくエネルギーが要るようになってしまったのです。
「面倒くさい」というのともちょっと違います。「しんどい」かというと、そういうわけでもありません。
自分でもメカニズムがよくわからないのですが、とにかくフィクションを手に取る段階に、高いハードルを感じるようになってしまったわけです。

ただでさえエネルギーの総量に問題を抱えている状態なのに、手に取るために必要なエネルギー量が多くなってしまったわけですから、フィクションの消費スペースが落ちるのは必然です。
結果として、思うように漫画やアニメや小説を自分の栄養素とすることができない日々を過ごしてしまっているというわけです。

なのにフィクションを作ろうとしている

我ながら滑稽だと思うのは、このようなガタガタの状態にもかかわらず、小説という形でフィクションを作ろうとしていることです。

私は今から何年も前に、ふと「ラノベの新人賞に応募してみよう」と思い立ち、長編小説を書いて応募してみました。
生まれて初めて執筆した長編小説にもかかわらず、三次選考まで進むことができたので、純粋に嬉しかったのを覚えています。

それ以来、しばらくは新人賞への応募を続け、10本ほど応募してどれも受賞には至らなかった段階で、いったん賞レースからは手を引いて、裸足フェチ小説を執筆しインターネット上に投稿するようになりました。
同じ趣味を持った方々に、それなりにご好評をいただいており、これからも頑張っていこうと思っている次第です。

しかし、何というか――新しいフィクションをほとんど取り込めていないのに、アウトプットだけし続けるというのは、果たしてどうなんだろうという問題意識が私の中にはあるんですよね。
アイディアをインプットすることなしに、優れたアウトプットを続けることはできません。
人間の発想は取り込んだものの組み合わせで構成されており、インプットが枯れてしまえば、連鎖的にアウトプットも枯れてしまうのは必然です。

だから今後もフィクションを作り続けたいのであれば、そのための栄養素として、たくさんのフィクションに触れ続けなければいけない。
そう思っているのですが、これがなかなか思うようにいかず、どうしたものかなと思っているわけなのです。

フィクションの消費を生活の一部とするためにすべきこと

では、私はこれからどうすれば良いのでしょうか。
どうすれば(以前のように)気軽に軽率にフィクションを消費できる人間に戻れるのでしょうか。

これについては、以下の2つの案があります。それぞれ見ていきます。

習慣化させる

まず第一の対策として考えられるのは、フィクションの消費を何とかして習慣化させることですね。
これはよく自己啓発本の類に記載されていることなのですが、人間は習慣化された物事は、当たり前のようにこなせるようになると言われています。
むしろやらない方が気持ち悪い、だからついやってしまう、みたいな状態まで持っていければ、エネルギーの問題などまったく考えずにフィクションをたくさん消費できるようになるでしょう。

人間が何かを習慣化するまでに必要な日数は、一説によると66日と言われています。
つまり66日間なんとか頑張ってフィクションを消費する生活を送り続ければ、67日目からは(という厳密な話でもないでしょうが、物の例えとして)エネルギーを消費している感覚すらないまま、フィクションを楽しめるようになるはずなのです。

習慣化させるところまで、フィクションを消費する行動をなんとか続けること。
これが第一の対策となります。

とはいえ、これは口で言うほど簡単なことではありません。
「で、その習慣化するまでに必要なエネルギーをどうやって確保するの?」
という根本的な問題があるからです。

この問題をどのように解決すれば良いのかについて、今のところ私は良いアイディアを持っていません。
この辺りをどうすれば良いのかについて、巷の自己啓発本の類は「習慣化に成功するまではとにかく頑張れ」みたいな感じで流してしまうのです。

どうしたものでしょう?

ネットサーフィンとYouTube視聴を減らす

現在、私の可処分時間の多くを占めているものとして、ネットサーフィンとYouTube視聴が挙げられます。
この2つに割く時間を強制的に減らしてみたら、もしかしてフィクションを消費するための気力がある程度湧いてくるのではないか。
そんな風に考えてみたりもします。

ネットサーフィンやYouTube視聴は、世間一般論として「時間を無駄に消費する代表格」みたいな行為ですよね。
だからそれらの時間を減らしてみるというのは、人生を有意義にするという大きなテーマにおいても、有意義なものだろう。
これを読んでいる方々の多くも、この辺りに同意するのではないでしょうか。

しかしこれも……個人的にはなかなか難しい。
今の私にとって、ネットサーフィンもYouTube視聴も、単なる暇つぶしではなく、情報収集のための貴重な手段になっているからです。
世間で言うほどネットサーフィンもYouTube視聴も時間の無駄ではない、そこから学べることはたくさんあるのだ――という考え方なので、それらを単純に減らすことにはどうしても抵抗を覚えてしまうのです。

こんなことを言っていたらきりがない、というのはわかっているんですけどね。
可処分時間がそれなりにあると言っても、有限であることに変わりはないので、あちらを立てればこちらが立たなくなります。
フィクションの消費を増やしたかったら、そのための時間を強制的に確保するのは、明らかに有効な手段ではあります。

さて、これについてもどうしたものか。悩んでしまっている次第です。

おわりに

というわけで、どうすればフィクションを今よりもたくさん消費できるかについての、グダグダとした悩みを文章にしてみました。

ポイントとなるのはやはり、私が小説というフィクションを作ろうとしている人間だということです。
これさえなければ、別にフィクションから離れた人生を送っていればそれでいいじゃないか、という風になるんですよね。
しかし創作活動をしている以上、フィクションをインプットすること抜きに人生を語ることはできないと思うわけです。

この辺り、なんとか試行錯誤を繰り返して、突破口を見つけていきたいと考えている次第です。

皆さんは、思うようにフィクションが消費できない、みたいな悩みを抱えたことはありますか?
もしよければ、体験談などコメントでお聞かせいただけると嬉しいです。