天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

パソコン・スマホ・タブレットの中でスマホを一番使わない生活

私は結構前から、パソコン・スマホ・タブレットのすべてを揃え、それぞれなりに活用する生活を送っています。

私の仕事はWebライターで、100%の在宅勤務。そのため家の中で過ごす時間が圧倒的に長く、この狭い空間の中でどのようにデバイスを使い分けるのが最も効率的かつ生産的であるか、ということを常に試行錯誤しています。

そのような試行錯誤の末に行き着いた状態として、私は今のところタイトルにある通り、この3つのデバイスの中でスマホを一番使わない生活になってしまっています。

しかしおそらくこれは一般的なスタイルとは正反対なのではないでしょうか。
私の考える「一般人」は、とにかくスマホを使いまくるスタイルであり、パソコンもタブレットもおまけ程度しか使わないか、あるいはそもそも持っていません。
このイメージ、そんなに間違ってはいませんよね?

別にどちらのスタイルが良い悪いというわけではなく、人それぞれ好きに使えば良いのは言うまでもありません。
しかしこのことについて考えた時、なんとなく自分の現在のスタイルについて文章に書き残したくなってみました。
そこでこの記事を執筆しようと重い腰を上げた次第です。

3つのデバイスをどのように使い分けるか、それぞれどのような重要性を持っているかみたいなことを、文章として残せればいいなと思っています。

モバイルファーストの時代

まず基本的に認識しておくべきこととして、現代はモバイルファーストの時代であるということが挙げられます。

モバイルファーストという言葉を聞いたことがある方はどれくらいいるでしょうか。
これは要するに、インターネット上でコンテンツを提供する側は、「受け手のほとんどがモバイル端末でそれを消費する」ことを前提とするべきであるという概念を表したものです。

実際にGoogleアナリティクスなどでデータを取ってみると、Webサイトにアクセスしている端末のほとんどは(具体的には7割から8割くらいと言われています)スマホなどのモバイル端末であり、パソコンやタブレットからのアクセスはほとんどないのが現状なのだそう。
つまり「スマホではどのように表示されるか」について常に考えながらコンテンツを作っていかないと、読み手に余計な負荷を与えてしまうものになってしまいかねないわけです。

私は文章を書く仕事をしており、趣味においても小説を執筆するなど、徹底的にテキストと付き合っている人間なわけですが、テキストにおいてもこの原則は変わりません。
スマホで読んだ時に読みやすい文章になっていることが、ネットに文章を公開する際には非常に重要なことなのです。

たとえどれだけ素晴らしい文章だったとしても、たとえばなかなか改行しないとか、段落と段落の間に空行がないとか、そういったことをしてしまうと、モバイル端末におけるリーダビリティが失われてしまい、内容にかかわらず離脱されてしまう可能性は高まってしまうわけです。

ここまで書いてきた時点で、なんとなくおわかりいただけるのではないかと思うのですが、時代は私と正反対を向いています。
スマホを一番使わなくなってしまった私にとって、自分のコンテンツをスマホに合わせて作らなければならないというのは、苦痛というわけではないのですが、いまいちピンとこないことなんですよね。

しかしそれをしっかり考えていかないと、とても不親切なコンテンツになってしまうわけですから、自分のより好みにかかわらず、きちんと対応していかなければいけません。

ほぼ引きこもりの在宅フリーランスの日常

私はほぼ引きこもり状態を続けている、在宅勤務のフリーランスです。
日常の買い物を除けば、どこかに出かけるということはほとんどありません。
このような生活をしていると、デバイスの使用頻度1つとっても、ごく一般的な方々とはだいぶ違ったものになってきます。

たとえば私は、朝起きたときにまずパソコンを起動させることから1日を始めます。
そしてそのパソコンは就寝時までずっとつけっぱなしになります。
つまり私の生活にとって、パソコンというのは「そこにある机に向かえばいつでも簡単に使えるもの」であり、ものすごく使用するまでの障壁が低いんですよね。

普通の人にとってのパソコンというのは、おそらくまずは使うたびに起動させるところから始めなければならないものなのではないかと推測します。
しかもスリープ状態ではなくシャットダウン状態にしているケースがほとんどでしょうから、それなりに待ち時間が生じることでしょう。

そうなると、パソコンを使うことに関して腰が重くなってしまい、ついつい心の距離ができてしまうのも仕方がないことなのかなと思います。

一方の私は、すでに書いた通りパソコンをつけっぱなしの部屋で生活しているので、たとえばネットにアクセスする95%はパソコンからです。
パソコンが好きだとか慣れ親しんでるとかいう以前の問題として、単純にパソコンが一番アクセスしやすく、使いやすいものなんですよね。

スマホでネットをするときはどんなときかというと、トイレに入るときとか、たまに外出するときくらいのものです。
それ以外の時間においては「パソコンを使わない理由がない」ので、スマホの出番がまったくないわけです。

残されたタブレットはどのように使っているかというと、これは主に寝床でコンテンツ消費をするときに使います(この辺りの細かいことは後述します)。

とにかく私は普通の人と違って日常生活に「移動時間」の概念がないため、「手元で簡単に操作できる小型のコンピューター」というものが必要ないんですよね。
そのため画期的な発明であるはずのスマホが、私にとっては非常に限定的な場面でしか出番のないものになってしまっているわけです。

スマホ固有の役割はSMSとキャッシュレス決済すなわち本人確認

とはいえスマホがいらないかというと、そういうわけではありません。
スマホにはスマホならではの役割というものがあり、それは私の半引きこもり生活においても変わらないからです。

スマホ固有の役割とは何か? それはズバリ、SMSとキャッシュレス決済です。

まずSMSですが、これは各種Webサービスを利用する際の2段階認証に用います。
パスワードを入力するとスマホ宛に6桁の数字などがSMSで通知されてきて、それを入力しなければログインできない。
この仕組みについては皆さんもよくご存知なのではないでしょうか。

これをやるためにはSIMカードを挿したスマホがどうしても必要であり、そのためスマホなしというわけにはいかない状況が生まれます。

また、たまに外出する際には、各種キャッシュレス決済の手段としてスマホを利用することになります。
私の場合は主にモバイルSuicaですね。
電車やバスに乗るときや、コンビニなどのお店での決済は、基本的にモバイルSuicaによって済ませています。

最近ではPayPayのようなバーコードを使った決済が流行っていますが、私にとってあれはちょっと「ひと手間かかる面倒なもの」という認識ですね。
スピード感ということで言えば、この世でモバイルSuicaに勝る決済手段はないのではないでしょうか。
これが日本特有の技術であるというのが、実にもったいないなと感じます。
間違いなく世界に通用するものだと思うのですが……。

話を戻しましょう。

そのようなわけで、スマホ固有の役割としてSMSとキャッシュレス決済が挙げられるわけです。
人によってはここにLINEも入るかもしれませんね。

いずれにせよこれらに共通しているのは、「本人確認の手段としてのスマホ」という概念です。
スマホはそもそも電話を拡張したものとしてこのように登場したわけですが、電話はもはやメインの目的ではありません。
コミュニケーションを取る手段はほとんどテキストですし、たまに音声のコミュニケーションを取るにしてもLINE通話など多彩な手段があるため、電話機能の存在価値は極めて低いものになっています。

しかしその機能がまったく必要ないわけではなく、現代においては「SIMカードによる本人確認」という形で活用されているわけですね。
この辺は非常に面白い現象だと思います。

パソコンを買っても置物になる?

日本はパソコンの普及率が少なめであると言われています。
いくつかのデータを見たことがあるのですが、そのどれが本当に信憑性のあるものなのかちょっとわからないので、ここではあえて引用しません。
しかし一般論として、パソコンを日常的に活用する人間の割合は、他の先進国と比べて日本の方が少ないというのはどうやら確かな話らしいです。

これは世代を問わないみたいですね。
高齢者がパソコンを使わないのはもちろんのこと、若い世代もあまり使わないようです。

たとえば社会人になりたての22歳の一人暮らしの若者を想定しますと、この若者の家にはデジタルデバイスと呼べるものが基本的にスマホしかない。
そういうのがスタンダードなスタイルとして定着しているようです。
パソコンとは会社において仕事で使う道具のことであり、家で楽しむために使うものではないという認識が一般的なのかもしれません。
私にとってはちょっと信じられないことなのですが。

またパソコンを買ったとしても、結局ほとんど使わないというパターンも多いと聞きます。
いわゆる「置物になっている」状態ですね。

これはおそらく先ほど書いた通り、ごく一般的な方々は普段パソコンをシャットダウンしていることに理由を見出せると思います。
シャットダウンしていると、パソコンを起動させるまでには最低でも数十秒かかるわけですから、どう考えても即座のネット利用などには向いていません。
そうなると結局パソコンを持っていたとしても、自宅においてスマホでネットをやる、みたいな生活スタイルが定着してしまうのでしょう。

また私のような半引きこもりの人間と違って、一般的な方は流行り病にもかかわらず積極的に出歩くらしいので、そのような意味でもパソコンを持ちつつスマホの方が利用頻度が高い、みたいな現象になるのだと推測されます。

そのような方々は、おそらくパソコン最大の利点が必要ない生活を送っているのでしょう。
パソコンの最大の利点は、画面情報の網羅性が高いことと、アウトプット作業に長けていることの2つです。

まずスマホに比べてはるかに大きなモニターを使うわけですから、画面にたくさんの情報を一度に表示できるのは言うまでもありません。
このことによる情報の網羅性は非常に大きく、たくさんの情報を同時に把握したい場合には、他に選択肢がないくらい役に立つものとなります。

そしてアウトプット作業に長けている点についても、仕事でパソコンを使っている方には改めて説明するまでもないでしょう。
キーボードとマウスという入力デバイスの利便性が、前述したモニターの情報を網羅性と合わさって、クリエイティブの作業をするには格段の効果を発揮します。
これはスマホやタブレットでは絶対に真似できないことです。

この2つの性質に興味がないのであれば、確かにパソコンの使用頻度が低くなってしまっても不思議ではありません。
私などはまさにこの2つが理由でパソコンから離れられないわけですが、現代日本においては多分マニアックな部類に属してしまうのでしょう。

ちょっと寂しい話ではありますが、その分一般的な人と比べて優位性があるのだ、みたいに解釈すると、これはこれで美味しいのかもしれないと思ったり思わなかったりします。

中途半端と言われがちなタブレットの存在価値

さてタブレットですが、これは今回のテーマである3つのデジタルデバイスの中で、最も中途半端な存在であると言われています。
ぶっちゃけパソコンとスマホがあればそれで十分じゃないか、と考えている方も多いのではないでしょうか。

持ち歩くならばスマホを使えば良い。
机に座って本腰を入れて作業するのであればパソコンを使えば良い。
では一体タブレットの役割はどこにあるの?
そのような疑問は、決して意地悪な物の見方でもなんでもなく、ごく自然に湧き上がるものなのでしょう。

タブレットに対する批判的な言説として最もよく見られるのは、「タブレットなんてただの大きな劣化スマホじゃないか」というものです。
スマホから通話機能を取っ払って、ちょっと画面を大きくしただけ、という捉え方ですね。

これは実のところ間違いというわけではありません。
確かにタブレットはスマホから通話機能を取っ払い、サイズを大きくしたものに他ならないからです。

しかし私としては、ここであえて声を大にして「その大きいことに重要な意味があるんですよ」と主張したいところです。
スマホに比べて画面がちょっと大きいことで、コンテンツ消費の快適さが全然違うからです。

ただ「コンテンツ消費」とだけ呼ぶと軽く見られてしまう可能性があるので、ここでは3つの例を挙げて順番に説明していきましょう。

まずYouTubeやNetflixの動画を視聴することを考えてください。
もちろんスマホでも十分に動画を楽しむことはできるでしょうが、タブレットでそれを視聴する快適さははるかに大きなものです。

特にNetflixで映画やドキュメンタリーを楽しんでいる場合、迫力というのがそれなりに大切な要素になってきますよね。
その場合、スマホではどうしても物足りなさが生じるはずです。
そこがタブレットを利用することによって解消され、十分に迫力のある映像を楽しむことができるわけです。

次に電子書籍による漫画の閲覧を考えてみましょう。
漫画となると、スマホで読むのが少し難しくなります。
漫画は絵だけではなく文字によっても構成されており、その文字がスマホだとどうしても小さくなってしまい、読みにくさを感じることになるからです。
これがタブレットであれば、ほぼ問題なく閲覧可能となります。

また漫画には「見開き」という概念があります。
2ページ一気に表示させることで、初めて演出の意図を理解できるようなコマ割りになっているページも少なくありません。
しかしスマホで漫画を見開き表示するのは、無謀というほかありません。
そんなことをしたらセリフが小さすぎてほとんど読めなくなり、本末転倒になってしまうからです。

その点タブレットであれば、漫画の見開き表示にも十分に対応できます。
もちろんタブレットの中にも8インチくらいの小型のものもあり、これだとちょっと見開きには厳しいかなという感じになるのですが、タブレットのメインサイズである10インチ前後のものを使うのであれば、一般的な漫画は十分に見開きで楽しむことが可能となります。

そして最後に雑誌の閲覧を考えてみましょう。
雑誌の閲覧となると、スマホではもう完全にお手上げです。
良くも悪くも雑誌の文字は小さいため、スマホでは見開きどころが1ページ表示するだけでも、まったく文章を読むことができないでしょう。
しかしタブレットであれば、雑誌であっても見開き表示で楽しむことができます。

ここまで来ると、スマホとタブレットの関係は「スマホでもできることがタブレットなどより良くできる」にとどまらず、「スマホではできないことがタブレットではできる」という風になります。
これを考えれば、タブレットには十分に存在価値があると言えるのではないでしょうか。

またもう1つ忘れてはならない要素として、ペンの存在があります。
特にiPadなどがそうなのですが、ペンを使うことで文字やイラストを描ける点はタブレット独自のメリットでしょう。
厳密に言えばスマホでもスタイラスペンで絵を描いたりすることは可能なのですが、十分な作品を作れるとはとても言えません。
ここはタブレットの専売特許と言ってしまって差し支えないと思います。

このような存在価値がタブレットにはあるので、決して中途半端でなくてもいい存在ではないのだと、私は強く主張する次第です。

ちなみに私は普段タブレットを、寝床に備え付けたタブレットアームに取り付けて使用しています。
これで仰向けに寝転がったままYouTubeなどを視聴できるのです。
そのまま電子書籍を読んだり、たまにお絵かきを嗜んでみたりしています。
これだけでも十分にタブレットを購入した価値はあったと確信しています。

パソコン・スマホ・タブレットの理想的な価格配分

とはいえ、パソコン・スマホ・タブレットを全部購入しようとすると、それなりにお金がかかってしまいます。
大金を支払ってまで3つのデバイスをすべて揃える価値は本当にあるのかと、疑問に思う方も少なくないでしょう。

実のところ、こういった疑問を持った方々に対して「3つ揃える価値は絶対にありますよ!」と声高に叫ぶことは私にはできません。
ここまで3つのデバイスそれぞれの利用価値について語ってきましたが、それがすべての人間に必ずしも当てはまるとは考えていないからです。

それに私も、決してお金を持っているタイプの人間ではありません。むしろ貧乏と言っても差し支えないでしょう。
なので3つのデバイスをすべて揃えることの難易度のようなものは、きちんと理解しているつもりです。
揃えることが「賭け」になってしまうのであれば、どれかに絞り込むのも仕方がないことでしょう。
そこについて私が言えることは何もありません。

しかし、お金がないなりに3つのデバイスをすべて揃えたいと考えている方に対しては、私は以下のような価格配分を提唱したいと思います。

  • パソコンに10万円
  • スマホとタブレットを合わせて10万円

もちろんこれは一つの基準にすぎません。
求めるもの次第では、それぞれの予算を大きくオーバーするのもやむなきことと考えてください。

たとえばパソコンで3Dゲームをバリバリやるのであれば、とてもではありませんが10万円ではどうにも足りないでしょう。
どう少なく見積もっても20万円程度のパソコンを購入する必要があります。

またタブレットでお金を取るレベルのイラストを描きたい場合にも、「スマホと合わせて10万円」ではちょっと心もとないと言わざるを得ません。
この場合はiPad Proなどを購入することになるわけで、タブレットだけでも10万円を超えてしまうことになると思われます。

このように例外はいくらでも考えられるわけですが、あくまでも一つの基準として、「私のような生活レベルで3つのデバイスをとりあえず揃えるのであれば」前述したような目安を考えておくとよいでしょう。

もちろん、一度に購入するのは非常に難しいことなので、一つずつ順番に揃えていく(あるいは買い換えていく)形がよろしいかと思います。

おわりに

特に誰かの役に立つ話でもなかったとは思うのですが、パソコン・スマホ・タブレットの3つのデバイスに関して、私なりに感じている価値について書かせていただきました。

本文中でも触れた通り、私にとってスマホとはもはや本人確認のためのデバイスでしかありません。
いやそこまで言うと大げさかもしれませんが、基本的にはそういう代物になっています。

だから次に買い換えるときは、それほど高性能なものでなくても良いかなと考えています。
私は代々iPhoneを購入してきたのですが、この線で考えると次はたとえばiPhone SEとかになるでしょうか。
それでもおそらく物足りなさを感じることはないと思います。
何しろネットにアクセスする作業のほとんどはパソコンで行ってしまうわけですから。

しかしもちろん、一般的な価値基準からすると私の生活スタイルはめちゃくちゃ偏っています。
これをそのまま他の人に当てはめようと考えるつもりはまったくありません。

とはいえ、世の中の人にはもっとパソコンを活用してもらいたいな、という気持ちは持っています。
パソコンを活用することでさまざまな作業がスピーディーになり、とてもクリエイティブな生活を送れるようになるからです。

パソコンとは、つまらない職場に行ってつまらない仕事をするためだけの道具ではありません。
ここははっきりと強調しておきたいところですね。

皆さんは今回のテーマで取り上げた3つのデバイスを、どのような感じで使い分けていますか?
よろしければ、あなたのスタイルをコメントに残してくださると嬉しいです。