天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

グレタ・トゥーンベリさんとその周辺への突っ込みまとめ

環境問題

 

 2019年に国際的に話題になった人物の一人に、16歳の環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんがいます。

 私はあまりそういった話題に積極的に首を突っ込むほうではないのですが、そんな私でもはっきり認識できるほど、彼女の扱われ方は大きいものでした。

 先日は、アメリカのタイム誌が毎年やっている「今年の人」に選出され、そこでもまた話題を呼びましたね。

 

 ただ、このグレタさん、様々な人が語る様々な事情を追ってみると、どうも「話題」の内容に少なからず問題があるようにうかがえます。

 具体的には、彼女とその周辺の言動に、いろいろと突っ込みどころが存在するようなんですよね。

 そしてその突っ込みは、少なくとも私の目には決して言いがかりのたぐいではなく、それなりに意味のあるものであるように映る、というのが率直なところなのです。

 

 というわけで、今日はちょっと社会派を気取って、グレタさんはいったいどういうところで突っ込まれているのか、というのを私なりにまとめてみたいと思います。

 あまり政治的なことをよくわかっていない私ですが、それゆえに客観的・中立的になれる部分もあろうかと思われます。

 その辺りがうまく機能して、きちんとしたコンテンツになってくれればいいなという感じですね。

 

 

突っ込み1:中国への無言及

 グレタさんは、先進国の指導者達を厳しく批判しています。

 今、地球は大変なことになっている。CO2の排出による温暖化は危険なところまで進んでおり、人類はいったん自分達のやっていることを見つめ直さなければならない。

 なのに彼らは、そういったことから目を背け、ひたすらに現行の利益を追求するばかりである――。

 だいたいそんな感じの主張です。

 

 しかし不思議なことに、グレタさんはCO2排出量が圧倒的に世界第一位であるところの中国には、そういう批判をまったくぶつけようとしないのだそうです。

 習近平国家主席を名指ししたことも、恐らくないのでしょう。

 

 そのことについて、巷ではいろいろな憶測が立っています。

 いちばんまことしやかに言われているのが、彼女の周辺にいる人達(ブレーン、パトロンと言ってもいい)にとって、中国との関係性を良好なものにしておくことはビジネス上とても重要で、ゆえにかの国には強く出られないのではないか、というもの。

 もしこれが当たっているなら、環境活動としてはあまりにも歪んでいますし、もし単純にグレタさんが中国のCO2排出量を認識していないというのであれば、それは基本中の基本の知識もなく吠え散らかしている、ということになってしまいます。

 

 この中国スルーについて、いずれグレタさんが理由を語るときは来るのでしょうか?

 

突っ込み2:企業や科学者の努力の軽視

 グレタさんは、先進国のやっている経済活動の、割と根幹の部分に対して批判的です。

 何しろ現代社会は、CO2を排出することなく文明を維持することはできないのですから、そこを批判するというのは、どうしてもある面で文明批判になってしまう。

 ということは、彼女の批判の中には、文明を支えている大企業の行い等も含まれていることになります。

 

 しかし、彼女の言い分には、決定的に欠けている視点があると言われています。

 それは、世の中の科学者達や企業の中の人達が、少しでも環境保護に貢献するために、どれほど研究開発に精を出しているか、そこをまったく認めていないように聞こえる、ということです。

 

 現実問題として、私達は今さら文明を捨てて原始時代に戻ることはできません。

 とするならば、実際に地球環境を救うのは、さらに進歩した未来のテクノロジーだ、ということになります。

 そう、世界中の科学者や技術者の切磋琢磨が、これからの地球を何とか居住可能なところに保っていくための鍵であり、彼らこそがこの世の救世主たり得るのです。

 

 でもグレタさんの発言からは、そういう認識が見て取れないと言われています。

 まるで、自分達のような環境活動家こそが地球の救世主たり得る唯一の存在なのであり、企業もそこに従事する技術者達も、環境を汚染させる行為に携わっている「悪」に他ならない――まるでそのような世界観を持っているようにうかがえる、とのこと。

 それが真実ならば、確かに反感を買ってもおかしくないところではあるでしょう。

 

突っ込み3:パフォーマンスの茶番ぶり

 グレタさんはあちこちで演説を行っているのですが、移動手段として飛行機を使わないことで知られています。

 飛行機を環境破壊の象徴のように捉えており、自分は決してそれを使わない、と決めているようです。

 

 まあ、移動手段をどれにするか、というのは人それぞれ好きにすればいいわけで、飛行機に乗らないこと自体に文句をつけるのは筋違いというものでしょう。

 しかしグレタさんの場合はちょっと事情が違っています。

 彼女を演説の場まで運んでいったヨットの船長が、いろいろトラブルに見舞われて結局は飛行機で帰国、なんてことがあったりしており、それらを計算に入れると、最初から黙ってスタッフ全員で飛行機を使ったほうが、よほど省エネになる、という面があるそうなんですよね。

 

 要するに、グレタさんのパフォーマンスには余計なCO2排出コストがかかっており、それを考慮するなら「茶番」と言うほかない――巷ではそう語られているわけです。

 

 まあ、世の中にはパフォーマンスというものが重要な意味を持つ場面もたくさん存在します。

 大きな負担をかけてでも「そのように見せる」ことで、特定のイメージを作り出し、そのことによって後で「元を取る」という考え方もあります。

 しかしグレタさんの場合は、どうもどの移動手段を採ること自体が、何か地球に優しいことだと思っているようで……この場合は、やはり突っ込みどころになってしまいますよね。

 

突っ込み4:支持しているのに反原発

 グレタさんが世界に対して訴えているのは、主にCO2排出の削減です。

 まあさすがにゼロにしろとまでは言っていないようですが、ガツンと減らしていかないと地球がヤバイぞ、くらいのニュアンスは込められているようです。

 

 CO2の大量排出の主な原因は幾つかありますが、中でも代表的なのが、火力発電です。

 本気でCO2の排出を減らそうと思ったら、世界中で稼働している火力発電所を何かクリーンな手段で代替しなければなりません。

 太陽光発電? 風力発電?

 それらはいかにもクリーンなイメージがありますが、残念ながら先進国で必要とされる電力をまかなうには、いささか力不足であり不安定でもあります。

 そうなると、残された現実的な解は一つ、原子力発電しかありません。

 

 ですから、グレタさんを支持するのであれば、「世界中の火力発電所を解体し、代わりに原子力発電所を設置していこう」という流れになるはずなのですが……。

 どういうわけか、日本国内のグレタさん支持者は、同時に熱烈な「反原発派」であったりもするようなんですよね。

 

 そうだとするなら、支持者達に質問をしてみたいところです。

 火力発電も駄目、原子力発電も駄目となると、いったい今の日本で必要とされる電力を、どのように作り出していけばいいのか。

 すでにそういうことについて言及している支持者もいるようなのですが、出てくるのはソーラーパネルがどうのという話ばかりで、どうやら現実味がまったくない模様。

 

 どうも、支持者達の掲げるあっちの理想とこっちの理想がコンフリクトを起こしていて、統一的な世界観を構築することができていないようなのです。

 これでは、人々をきちんと説得することは難しいですよね。

 

突っ込み5:児童の責任能力

 グレタさんはまだ16歳という若さです。

 発言内容だけではなく、その年齢でも世界に大きなインパクトを与えているのは事実でしょう。

 さすがにこれを否定する人はいないのではないかと思います。

 

 しかし、ここで気になってくるのが、世界が(特に西洋諸国が)16歳の少女の責任能力というか、意思能力を果たしてどのように捉えているのだろう、ということです。

 以前どなたかが、Twitterで次のようなことを言っているのを見ました。

「16歳の環境活動発言を『若いのに立派だ』と持ち上げると同時に、15歳の結婚を『児童婚』として批判する。その年頃の人間に責任能力があると思っているのか無いと思っているのかわからない

 

 まあ児童婚に関しては、社会システムによる強制性という、べつの問題も孕んでいるので、ちょっと例としては適切ではないかもしれません。

 では、これが例えばヌード写真だとしたらどうでしょうか。

 16歳の少女が、自分から進んでヌードを撮りたいと言い出し、それに従って写真集を作り、西洋諸国で販売しようとしたら?

 

 恐らく、次のような批判が巻き起こることでしょう。

典型的な児童ポルノだ。まだ判断能力がしっかり育っていない未成年なのだから、自分からヌードを撮りたいと言い出したとしても、それを大人の意思決定と同列に扱うべきではない。これは周囲に誑かされたものであり、その者達は性暴力の加害者として処罰されるべきだ」

 

 西洋諸国は往々にして、未成年というものをどう位置づけるかについて、ちぐはぐなところがあります。

 人権、という概念の難しいところで、子供の自主性というものを、場面によって認めたり認めなかったり、コロコロ変わってしまうんですよね。

 特に性の問題が絡んでくるとそれは顕著であり、一貫性というものがほとんどゼロにまで落ちてしまう。

 

 その辺りを考えるとき、グレタさんを持ち上げている西洋諸国について、次のような素朴な疑問が湧いてくるのは無理のないところでしょう。

「グレタさんが周りの大人達の傀儡である可能性について、考えてみたことはないの?」

 

 聞くところによると、西洋諸国においては、グレタさんに対して真っ向から批判的になることは、いわゆるポリコレ的に難しくなっているとのこと。

 それは一種の「権力」で、そこには16歳という年齢も少なからず関わっています。

 穿った見方をするのであれば、何者かがグレタさんという「子供という名の無敵人形」を操って、自分達の主義主張を押し通そうとしている、という風になるわけで、まあ胡散臭さを感じてしまうのも自然なことなのかな、と思います。

 

総じて「支持者の矛盾と姿勢」が問題

 こうして見ていくと、グレタさん本人がどうのというよりは、その周囲にいる者達や、世界中に散らばっている支持者達の言動の中に見える、矛盾や、姿勢の不純さが、批判されている主な要素であるように思われますね。

 何かを熱烈に支持する者達が、その偏った言動ゆえに崇拝対象のイメージをダウンさせてしまう、というのは古今東西よくあることで、今回の場合も、そういうことが起きているのではないかと推察されます。

 

 ここ最近は「ポリコレ」が暴力的になってきて、いろいろなものを世の中から締め出そうとしているわけですが、環境問題のような繊細なテーマにおいて、何かを「とにかく駄目だ」と断罪してみたり、その断罪の内容が偏っていたりするのは、とても危険です。

 危険であるばかりか、時には冒涜になったりもします。

 グレタさん絡みの諸問題については、とにかく開かれた冷静な議論というものが必要だと思いますね。

 そしてそれは、支持者達がそれを受け入れられるか否かにかかっていると言っても、過言ではないように私には感じられます。

 

おわりに

 以上、グレタさんについてのあれやこれやについて、政治性に乏しい私が、自分なりの観察結果をまとめてみました。

 

 言うまでもなく、地球環境について真剣に考えるのは良いことだと思います。

 実際にいろいろ問題は山積みなわけで、人類は現在の生活を維持するにあたって、少なからず未来に負の遺産を残す方法論を選んでいますからね。

 ここを何とか改善していかなければならないのは、まあ、当たり前のことです。

 

 しかし、先述したように、それを可能にするのはテクノロジーの進歩とその運用だけです。

 もし本当に地球環境をどうにかしたいというのであれば、飛行機ではなくヨットを使って各国首脳を説教、といったことではなく、例えば世界中の「意識の高い人達」に呼びかけて寄付を募り、それを環境に優しい研究開発をしている人達に渡すとか、そういったことのほうが遥かに有効なのではないでしょうか。

 日本でグレタさんを熱烈に支持している人達も、地球のためなら己の財産を喜んで差し出すことでしょう。

 

 グレタさんには良くも悪くも影響力があります。

 その影響力を、ぜひ「現実的な」そして「生産的な」方向に活かしていって欲しいですね。