今日は漫画・アニメ、いわゆる二次元ものについてのお話です。
皆さんは、CGDCTという言葉を目にしたことはあるでしょうか?
これは(すでに記事タイトルで言っていますが)”Cute Girls Doing Cute Things”の略で、意味は直訳通り「可愛い女の子達が可愛いことをする」です。
そういう内容の作品のタイプを表す言葉として、海外のオタク達のあいだで定着しているものです。
私は常々、日本にこれと同じ括り方をする言葉がないなあと思っているので、心の中でカテゴリ分けをするとき、結構便利に使わせてもらっています。
しかし近年、このCGDCTの枠内に基本的には収まっているものの、この言葉では語りきれない要素がある――そんな作品が増えてきました。
今回は、そんな作品についてちょっと考えてみました、という記事になります。
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女の子だけが出てくる作品
いわゆる「萌え」を武器にした作品は、昔からありますね。
その歴史の詳細なところを語るだけの知見はないので、当記事ではざっくりとした言及にとどめますが、かつての萌え系作品は、おおむね主人公が男性であったように思います。
いちばんわかりやすいのがハーレム物というやつで、とにかく男性主人公の周囲に可愛い女の子がたくさんいて、まあ、いろんなことをわちゃわちゃとやりつつ、最後はヒロインの一人とくっつく、みたいな感じですね。
そこでは、受け手の憑依先として主人公が設定されており、いわゆる疑似体験のようなかたちでコンテンツが提供されているわけです。
しかし、あるときから、作品内に男性のメインキャラが登場しない萌え系作品が増えてきました。
そもそも主人公が可愛い女の子。そしてその周囲にいるのも可愛い女の子ばかりで、男性キャラの匂いが(原則として)ない。
その女の子達があれやこれやしているのを、神の視点から眺めて楽しむ――そういう趣向の作品群です。
いわゆる「きらら系」と呼ばれる界隈が、その代表格でしょうか。
今「あるときから」と言いましたが、もうすでにその歴史はそこそこあります。
深夜アニメの世界で言うなら『あずまんが大王』あたりが先駆者でしょうか。
これが2002年の作品ですから、仮にここを元年としても、もう17年が経っていることになります。
単に萌え系というだけでは、これらの作品を正確に表現することはできません。
男性主人公のハーレムものと、女の子しか出てこない作品では、萌えを堪能するという漠然とした趣旨は同じでも、アプローチが違いすぎるからです。
そこで海外では、後者を表現するために、先述のCGDCTという言葉が生まれたわけですね。
しかし日本には、未だに私がしっくり来る用語がありません。
某アニメ監督さんは「美少女動物園」という呼称を使ったことがあるそうですが、基本的にこれは蔑称の匂いがしますし、やや不正確なところも感じられます。
そんなわけで、私はこれまで、CGDCTを海外から輸入して、個人的な用途で使っていたというわけです。
女の子が「男性的な」ものにハマる作品の発展
仮に『あずまんが大王』を起点として考えますが、かの作品からしばらくのあいだ、CGDCT作品は、いわゆる「日常系」と呼ばれるものがほとんどでした。
メインキャラは大抵、女子中学生か女子高生で、学校生活の何気ない出来事や、夏休みに海に行くエピソード(もちろん男子の匂いはなし)等がコンテンツとして提供される。
その黄金パターンからは出ないのが、鉄則のようなものでした。
しかし近年、女の子達の行動パターン……というか、行動のテーマに変化をつけた作品が目立ってきました。
単に「普通の」日常生活を見せるだけではなく、彼女達に「結構マジな深い趣味」等を持たせて、その趣味を通して彼女達の様々な側面を描いていく(あるいは彼女達を通してその趣味を描いていく)ような作品が、確実に増えてきたのです。
もっとも強調すべきなのは、その趣味の内容でしょう。
趣味に対して男性的とか女性的とか言うのは、あるいは古いことかもしれないのですが、と前置きした上で――彼女達のやることは、どちらかと言えば「男性的」とされるものが多いのです。
それは例えば、バンドであったり、キャンプであったり、釣りであったり、サバゲーであったり、筋トレであったり……。
そういったものと女の子達との組み合わせで攻めているわけですね。
こうなると、考えなければいけないのが、CGDCTの後半部分、”Cute Things”の是非です。
これまでは日常系ばかりで、女の子達が何気ないことをしているところを楽しんでいたから、そういう表現が成り立っていたのです。
しかし、やっていることが例えば筋トレである場合、それを”Cute Things”と呼び続けてもいいのでしょうか?
海外のオタクのあいだでは、このような理由で「何か新しい呼び方が必要なのではないか」みたいな議論が、少しですがあったりします。
こういう系統の作品をきちんと呼び分けることができるようになると、何かと便利になりますよね。
「中身は俺達」という要素
なぜそういう方向性の作品が増えてきたのか?
何と言っても、単純に「学校生活とかだけでは業界全体としてワンパターンを感じるようになってきたから」というのがあると思います。
まあ、あることをずっと続けていたら、その拡張が生まれ始めるのは、物事の宿命でしょう。
で、その拡張の対象として、なぜ「男性的な」趣味等が選ばれるのかですが、これは恐らく、女の子達の中にどこかしら、何かしらの意味で「俺達」を見出すように設計した結果なのではないかと思います。
何しろ男性不在の作品ですから、これまでは神の視点から楽しむようになっており、受け手が作品にシンクロするための直接的な触媒がありませんでした。
しかしそこに「男性的な」趣味が登場すると、一気に女の子達に対する親しみやすさが増幅するんですよね。
男性の受け手が、作品の中に(観念的な意味で)自分をねじ込むための、絶好の要素として機能するわけです。
また、女の子達にあまり「女性的な」趣味を展開されると、男性の受け手が引いてしまう可能性があるので、それを避けたいという目的もあるのではないでしょうか。
いずれにせよ、その種の作品が登場したことによって、萌えは新たな回路を獲得することになったのです。
まだまだ開拓できる分野はあると思いますし、べつに一度使われた分野を他の作品で使ってはいけないということもないので、当分のあいだはこういう萌えへのアプローチが元気でい続けるのではないかと、私は思いますね。
他ジャンルにブームを作る効果
その結果として、近年のオタクは、他の趣味をつまみ食いするようになりました。
作品側にそういう狙いまではないと思うのですが、シンプルな興味の動き方として、「この子達が楽しそうにやっていることを、自分もやってみたい」と考え、実行に移すオタクがぽつぽつ現れ始めたのです。
それはギターを始めることであったり、キャンプをしてみることであったり、ジムに入会することであったり、その都度影響を受けた作品によって、本当に様々です。
私はそういう風にいろいろなことをやってみるのは、純粋に素晴らしいことだと思うので、この効果は非常に高く評価しています。
いわゆる聖地巡礼ってありますよね。あんな感じで、ある土地にお金が落ちるのも良いことだと思うのですが、オタク個人の生活の中に新しいものが生まれるのも、文化的で大変結構なのではないでしょうか。
もちろん、作品が次々と世に送り出される中、いったん始めたことを必ずしも長く続けられるわけではありません。
新しく触れた作品に登場したものを始めたくなり、それと引き換えに、これまでハマっていたものと疎遠になる、ということはあるでしょう。
その辺りを揶揄する人も、それなりにいます。
「オタクがオタク趣味以外に興味を持つといっても、所詮べつの作品にハマるまでの短いあいだのことでしょ?」
というわけですね。
しかし私としては、新しい分野に飛び込んで、たとえちょっとでもかじっておく、というのが人生においてはとても貴重なことだと思っているので、その種の揶揄には賛同しかねるものを感じています。
かつてアニメの影響を受けて買ったギターが、今は物置の中で埃をかぶっていたとしても、それを楽しんでいた時期が少しでもあるなら、それは何かの拍子で役に立つこともあり得るのです。
この辺りについての主張は過去に記事にしたことがあるので、よろしければお読みになってみてください。
おわりに
以上、ちょっとまとまりに欠けたかもしれませんが、「CGDCTの進化系が現在の先端である」ということについて、思うところを書かせていただきました。
私個人のことで言うと、筋トレに手を出したのは『ダンベル何キロ持てる?』の影響が少なからずありますね。
他の趣味と違って、自重筋トレというかたちでお金をかけずにやっていくことができるというのが、その理由でした。
いちおう、アニメの放送が終了した今も日常の一部となっているので、私としては良いきっかけを得たと思っています。
これからも、漫画やアニメの女の子達を通して、オタクは様々な趣味と出会うことになるでしょう。
それで興味を引かれたときは、財布の中身の許す限り、どんどん飛び込んで行くことを私は推奨します。
物事のきっかけって、そんなに重要ではないんですよ。
もしかしたら、「アニメの女の子達が楽しそうにやっていたから」という理由で、一生モノの何かに巡り会えるかもしれません。
あるいはその結果、何者かになれることもあるかもしれません。
素敵な作品が、これからもどんどん生み出されることに期待したいですね。