今日は、新しく何かを始めるきっかけについて書いてみようと思います。
きっかけの中身がどのくらい重要なものなのか、「不真面目な」きっかけで始めたものは長続きせず終わってしまうものなのか……といった辺りを、私なりに深堀りしていきます。
例えばアニメに影響されたとする
私はアニオタなので、「(世間の考える)不真面目なきっかけ」と言って真っ先に思いつくのは、アニメの影響で何かを始めるというパターンです。
ここ10年の中で言うと、いちばん大きなムーブメントになったのは、2009年~2010年に放送された『けいおん!』でしょうか。
軽音楽部に所属する女の子達の日常を描いた作品で、その内容とクオリティから大ヒットを記録。
それに伴い、本作に影響を受けてギターを買ってみた、というオタクがそれなりの数、出現したものです。
最近の例では、『ゆるキャン△』などが挙げられるでしょうか。
これはキャンプをテーマにした作品で、やはりこれに影響されてキャンプ用品を買ってみたという人がいましたね。
基本的にインドアなオタクを、ゴリゴリの野外に引きずり出したほどのパワーは、称賛されて然るべきではないかと思います。
いちばん新しい例では、これを書いている現在放送中の『ダンベル何キロ持てる?』が当てはまりそうな気配を漂わせています。
これは筋トレをテーマにした作品でして、巷では早速、生活に筋トレを取り入れてみたとか、あるいはジムに入ってみたという報告がちらほらと。
作品自体もすごい人気なので、これから放送終了するまでに、その影響力はさらに伝搬していくものと予想されます。
……こういった話を聞いて、恐らく一連の動きを馬鹿にする向きはあるのではないかと思います。
彼らとしては、次のようなことを言いたいのでしょう。
「そんなの、人生経験の足りないオタクが一時的に感化されて、ろくに考えずに慣れないことに手を出しただけじゃん。
どうせギターもキャンプも、たいして熟練しないうちにやめちゃって、道具が部屋の隅でホコリをかぶってるんでしょ?
お金をドブに捨てたようなもんだよ。筋トレも、保ってせいぜい放送終了から3ヶ月ってところだと思うね」
実際のところ、それはまったくの間違いではないと思います。
『けいおん!』を観てギターを買った人も、『ゆるキャン△』を観てキャンプ用品を買った人も、その多くが今ではすっかり冷めてしまっていることでしょう。
思い切って買ったギターやテントは、恐らく二度と使用されることはない。
それに準じて考えるなら、筋トレも冬コミ前には下火になっているものと想像されます。
いや、それどころか大半の人は放送終了前にギブアップしているだろうというのが、現実的な試算かもしれません。
しかし、です。
では、そういう風に簡単に影響されて、ホイホイ始めてみるのが「無駄なこと」「くだらないこと」「すべきではないこと」なのかというと、そういうわけでもないのではないか――と、私は思うのです。
そこからのめり込むケースもたくさんある
すでに述べたように、簡単に始めたものの多くは、簡単に終わっていくのが現実だろうと思います。
しかし、全員が全員そのようにあっさり離れていくかというと、そういうわけでもありません。
「アニメを観てやりたくなりました」程度の軽いきっかけで始めたものが、その後とても長く続く趣味、ほとんどライフワークのようなものにまで発展するケースというのも、確かに存在するのです。
そういう僅かな「生き残り」が、その分野を着実に豊かにしていくのは、決して無視できない貢献ではないでしょうか。
また、その中には、単なる趣味の領域を越えて、とんでもないところまで到達する人もいます。
一言でいうと、プロになって名を残すような人達ですね。
もっともわかりやすいのは、スポーツ物の漫画やアニメに影響されて野球やサッカー等を始めた、プロ選手達ではないでしょうか。
例えばサッカーの世界を見てみると、子供の頃に『キャプテン翼』を観てサッカーにハマり、そして今では世界的な選手にまで成長した、という例が結構あります。
世界中で観られている『キャプテン翼』もすごいですが、それを観てサッカーを始めてトップクラスに登りつめるというのも、これまたすごい。
しかしこれは実際にあることなわけです。
スポーツ以外でも、フィクションをきっかけにしてその道に入った、という人は山ほどいることでしょう。
例えば、一般には名前は広まらないでしょうが、いわゆる研究者、技術者、エンジニアの中に、幼い頃SFに代表される諸作品群に魅せられ、テクノロジーに携わることを選んだ人が多いのは自然なことです。
特にロボット開発などは、そういう熱意の結晶であることがありますね。ASIMOの開発の動機に『鉄腕アトム』があったことは、よく知られています。
始めるきっかけ≠のめり込むきっかけ
きっかけの他愛なさを馬鹿にする人は、恐らくきっかけの質が「その後のめり込めるかどうか」を決めるのだ、というような価値観を持っているのではないでしょうか。
だからこそ、アニメを観て始めましたとか、彼氏彼女に影響されましたとか、そういった「軽薄な」きっかけを舐めてかかる。
彼らの考える「のめり込み」には、もっと深刻で重いスタートが必須なのだろうと、私は推測します。
しかし実際のところ、ある物事にのめり込むかどうかでいちばん重要なのは、次のことなのです。
「始めてみたあと、その道の深さの中に面白味を見つけることができるかどうか」
そう、のめり込むためにもっとも必要なのは、始めたあとに初めて見えてくる深さへの傾倒であり、それは始めるかどうかを決める前の段階においてはほとんど、あるいはまったく、体感することのできないものなのです。
つまり、そもそも人が何かを始めようとするとき、それが何に影響されたものであろうが、「その後のめり込むきっかけ」とは関係がないことになる。
結局のところ、何かに深く関わっていけるかどうかは、その人の性質がその物事に合致しているか否かにかかっているのであり、始めるきっかけは文字通り、それをテストする機会でしかないわけです。
とするなら、何かのめり込めるものを見つけるためには、試しに多くのことをやってみるのが良い、ということになるでしょう。
単純に、試してみたものの数が多ければ多いほど、自分に適した、深く追求していくことのできるものに出会えるチャンスも増えるからです。
その助けとなるなら、きっかけがアニメだろうが何だろうが、そんなことはどうでもいいことではないでしょうか。
のめり込めなかった≠無駄だった
もちろん、先述した通り、たくさんの物事に次から次へと手を出していれば、のめり込むことなく離れていくものもたくさん出てきます。
そこに費やしたお金や時間を「無駄遣い」とみなす人はいるでしょうし、確かに一見してそれは、どこにも行き着いていない、消えたコストに感じられます。
しかしここで私は強調したいのですが、深くのめり込めずに終わったものは、果たして本当に無駄なのでしょうか?
そうは思えないんですよね。
様々なことに手を出しては短期間でやめてしまう、というのは、軽薄な人生のように見えなくもないですが、しかしそのことによって「広く浅く物事を経験している」状態になることができます。
このことは、生きていく上で結構有効に機能するのではないかと思うのです。
私達が生活していく上で、「エキスパートではないけれども、ある程度かじったことがあると乗り越えられる」物事は数多くあり、広く浅くいろいろなことを経験してきた人は、そこで活躍できる確率の高い人間になれるわけです。
また、いろいろなことを試しにやってみる人生を送っていると、「実行癖」のようなものを身につけることができます。
とにかくやってみる、という腰の軽さは、もちろんリスクとなる場合もありますが、武器になる場合も多く、どちらかといえば希少な人材なので、珍重されやすいかもしれません。
私はこれまで、何かに影響されてものを始める、ということの少ない人生を送ってきました。
そのため、人としてのレパートリーの少なさを、今頃になって実感しているのです。
子供の頃から、もっといろいろなものに簡単に影響を受けて、次から次へと多くの経験を重ねるべきだった――そういう後悔があるんですよね。
なので声を大にして言いたいわけです。
どんな軽いきっかけでもいいから、そしてすぐに挫折してしまってもいいから、いろいろやっておくとその広さが蓄積になり、後々何かの役に立つかもしれませんよ、と。
深くのめり込めるものを見つけられた人と、それが無いけれどもいろいろなことを経験している人。
世の中をこの両輪で回していくのが、健全な在り方ではないかと、私は思いますね。
おわりに
この記事を書く動機になったのは、Twitterで見かけた、とある大バズしているツイートでした。
そのツイートは、オタクがいろいろな作品に影響されていろいろな趣味に手を出しては途中でやめてしまうことを、少なからず皮肉ったもので、万単位のいいねとリツイートが為されていました。
肯定と否定、どちらの意味でバズっていたかはあえて確かめなかったので定かではないのですが、まあ、多くの人を刺激する物言いではあったのでしょう。
そのツイートに対する私のスタンスは、すでに述べた通りです。
何も気にせず、これからもどんどん影響されまくり、いろんな趣味に手を出してみるといい。
いずれ何か、強烈に魅力を感じるものに出会えるかもしれませんし、その出会いがなかったとしても、雑多な経験はそれ自体が財産になります。
可処分所得と可処分時間の許す限り、積極的にトライしていくことをオススメします。