どんなことでも、毎日コツコツ続けていくのはなかなか大変です。
もしそのための秘訣のようなものがあるなら、ぜひそれを身に付けたいと誰しもが考えることでしょう。
今日はそういった秘訣のうちの1つとして名高い「習慣化」について、個人的に思っているところを書いてみたいと思います。
もしかしたら愚痴のような内容になるかもしれませんが、そういう箇所を見つけた際には、生暖かく見守っていただければ幸いです。
習慣化と呼ばれるもの
習慣化とは何か、という基本的なことについては、普通に「習慣化」で検索していただければ、かなり細かいことまでわかるかと思います。
……という説明だけではちょっと手抜き過ぎますので、この場でも少しだけ説明してみましょうか。
習慣化というのは、ある作業について、改めてやる気を出したり、特別なものとして捉えることをしなくても、半ば自動的に毎日こなせるようになる現象のことです。
いったんそのようなモードに入ってしまえば、しんどかった物事も断然楽にこなせるようになる、というわけです。
作業を習慣化させるには、いくつかの大切なコツがあると言われていますが、その中でも大切なのは、まずは一定期間、歯を食いしばって続けるということでしょう。
物事が習慣化するまでには、ある程度の期間が必要になるので、そこまでは精神力が必要、というわけですね。
その期間が具体的にどれくらいなのかについては、様々な説がありますし、作業の内容や性質によっても異なってくることでしょうから、ここで一概に「何日です」と言うことはできません。
しかし一般的に、少なくとも1年とか2年とかいう長い話ではない、という事は言えると思います。
習慣化に成功した物事は、先述したように、それ以降、当たり前のこととしてその作業に着手できるようになると言われています。
自分にとって文字通りの日常の一部になり、改めてそれをしようと考えることなく、こなせるようになるわけです。
そうなると当然、作業コストは圧倒的に低くなります。
極端なことを言うのであれば、呼吸と同じカテゴリに入るわけですね。日常的にこなして当たり前、それと共にあるのが自然。そんな風になる。
人によっては、「習慣化によって、むしろその作業をやらないと『何かが足りない』みたいな気持ち悪さを感じるようになる」と主張する人もいます。
そこまで行くと、もはやその作業は完全に自分の味方になりますね。
コストがコストではなくなり、むしろ自分の生活を安定させるために必要な、一種の儀式のようなものと化すわけです。
そんな領域に達することができるなら、それはもう最高という他ないでしょう。
ちっとも習慣化しない人の話
……と、良いことずくめの夢のような話をしてきましたが、ここで現実に戻ります。
この習慣化、あたかも誰にでもできることのように語られがちなのですが、少なくともそれは嘘、もう少しマイルドに言うなら夢物語であるようです。
少なくともここに一人、何をやってもちっとも習慣化しない人間がいるのです。
私もまあ現代社会で人間として生きている一員ですので、それなりの数の物事を、日常生活において継続しようと頑張っております。
その中には、まあまあ長く続いているものもあれば、なかなか上手くいかず断続的になってしまうものもあります。
結果はいろいろなのですが、一つだけ、すべての行動に共通するものがあります。
それは、すぐ上にも書いた通り、何をやっても一向に習慣化しないということです。
外形的に見て結構続いているものも、それを最初に始めたときと同様にしんどいし、そもそもどれだけ続けても「明日には途切れるかもしれない」という危うさが、ちっとも低くなっていかないんですよね。
習慣化について書かれた記事を読んでみると、しんどさはどんどん減っていくことになっていますし、継続すること自体もより安定的になっていくはずなのですが、私の場合はそうならない。
どれだけ続けても、同じようにしんどいし、同じように継続が危ういのです。
習慣化に失敗する人の傾向として、巷の記事では次の3つのことを挙げています。
「一度に大きく変えようとしすぎる」「何でも自力でやろうとしすぎる」「短期的な結果を求めすぎる」
しかし、私はこのどれにも心当たりがありません。
というよりはむしろ、言われるまでもなくこれらのことには細心の注意を払って取り組んでいるつもりです。
しかしそれでも、物事がちっとも習慣化してくれないのです。
例えばこのブログは、もう120日以上も毎日更新を続けているのですが、未だに記事を書く際の腰の重さには変化がありません。
その上で、ネタに関してはむしろひねり出すのが難しくなってきているので、総合的に見て、初期に比べて書くのが大変になってきています。
確かに文章は書き慣れた面もありますが、それは習慣化とはべつの話でしょう。
資格の勉強も同じですね。
私は司法書士試験の勉強をずっと続けているのですが、この勉強が習慣化され、しんどさが減っていく様子はまったく見られません。
結果が出ないからというのもあると思うのですが、どこぞの有名講師が言うような「2週間も勉強を続ければ習慣化する」みたいなことは、ついぞ降りてこない。
そんなこんなをしているうちに、もうすでに8年目です。8年目の勉強も、1年目とまったく同じにしんどいし、ちょっとでも気を抜けばすぐサボりモードに入ってしまいます。
努力が生活に根付いて楽になる、ということが、私には未だによくわからないのです。
そもそも習慣化は実在するのか?
こうなってくると、ある一つの疑問を抱かないわけにはいきません。
――そもそも「習慣化」という現象は、実在するのでしょうか?
確かに、ある努力を毎日のように、絶えず続けるということは大切です。
それを積極的に行うことで、とんでもない高みに達することができた人物として真っ先に思いつくのは、イチロー選手でしょうか。
しかし私は、イチロー選手の口から「習慣化によって、毎日の練習が楽になった」というような話が出たのは寡聞にして知りません。
習慣化というものをアピールする人の多くは――というかほぼすべての人は、私に言わせれば、自身がそれによって凄いことを成し遂げた、という人ではないのです。
だからこそ考えてしまうんですよね。
習慣化と言うのは所詮、毎日同じことを続けている状態を外形的に捉えたときに、あたかもそういうものが存在するかのように見えるだけなのではないのかと。
そしてそこに「ライフハックを広めて商売する」タイプの人たちが着目して、あたかもありがたい効能があるかのように喧伝しているだけなのではないだろうかと。
要するに、「続けているうちに楽になる」という、いかにも皆が好みそうな幻想が、商売人によって独り歩きしてしまったのではないか、ということです。
ライフハック不信
実のところ、こういう疑いの目を向ける対象は、習慣化に限ったことではありません。
いわゆるライフハック全般において、私はしばしば同じことを感じるのです。
ぶっちゃけた話、巷で主張されているような能力の向上、作業効率の向上が、自分の身にしっかり起きたことがほとんど無いんですよね。
それらのライフハックがもし本物だというのであれば、それはつまり、私の才能が異様なまでに欠如しているということになるでしょう。
いわゆる「コツ」というものを掴む能力が、私にはまともに備わっていないということになる。
それはあまりにも泣ける結論なので、心情的には、巷のライフハック全般がデマだらけであってくれたほうが救われるのですが……さて、どうなのでしょうか。
ネットを見る限り、ライフハックというものは、「こんなものがありますよ」と他人事のように紹介する記事が多く、「どこどこで見つけたこんなライフハックに救われました」というような記事はあまり見当たりません。
なので余計に、このようなことを考えてしまうわけです。
みんな効率というものに幻想を抱きすぎなのではないか。
その幻想を利用して、ありもしないライフワークを作り出して読者を獲得しようとする人が後を絶たず、それがすべての元凶なのではないか。
私の立場では真相はわからないのですが、考え出すと何だか少し腹が立ってきますね。
いや、このすべてが私の筋違いの疑念に過ぎず、世間の多くの人達は着実にライフハックしているというのであれば、そのときに自分自身に向けられる腹立たしさは、これの比ではないところですが……。
おわりに
ここ最近、私はTwitterにおいて「今日の積み上げ」というタグを使わせてもらっています。
これは文字通り、その日に積み上げるべきものをリストにして公開し、それによってある意味「後には引けない状況」を作り出し、自分を奮い立たせるためのタグです(と私は解釈しています)。
ところがこれも、私には効果が出ている感じがありません。
それどころか、「その日の目標を達成できなかったという事実を公にすること」に慣れてしまった感があります。
そこって、絶対に慣れてはいけないところですよね。
そういうところだけ図太い自分が、ものすごーく恨めしい。
現在の私は、常人よりずっと低いポジションで耐え忍ぶ人生を送っています。
これをひっくり返すためにも、もし本当に習慣化なるものが実在するなら、ぜひモノにしたいわけなのですが……。
ああ、何だか書いていて、習慣化が実在して欲しいのか欲しくないのか、よくわからなくなってきました。
とりあえず結論。
もっと楽に着実に、物事を積み重ねたいです。
とにもかくにも、それを強く望む次第です。