近頃は、「他人と自分を比べない生き方をしよう」みたいな提言があちらこちらで為されていますよね。
それらは概ね、心に平穏をもたらすことを目的としたものであるように観察されるのですが、果たしてそれは、そのまんま受け入れても差し支えのないものなのでしょうか?
今日はその辺りについて、私なりの意見を書いてみようと思います。
それはあくまでも戦略
最初にズバリ言ってしまいますと、他人と自分を比較しないというのは、次の一点のための戦略的な姿勢であるというのが、当記事の見解となります。
「結果的に他人に勝つため」
競争に勝利し、得たいものを得るための「中間過程として」他人と自分を比べないというフェーズがあるのだ、ということです。
世の中に流布しているニュアンスとしては、他人と自分を比べないというのは、イコール「競争しない生き方」みたいになっていますよね。
競争から距離を置くことで、軋轢を回避し、それによって安寧を獲得しよう、というような筋書きが、王道的です。
しかしぶっちゃけ、この国で生きていくにあたって、競争なしの生活というのはあり得ません。
競争というのは、言い換えれば「倍率が1倍より大きな椅子取りゲーム」。
従って、競争しないというのは、終始倍率1倍以下のゲームにだけ参加して生きていくという意味になるわけですが、これはまったく現実的ではないでしょう。
単発ならあるかもしれません。大学全入時代とか、そんな言葉もある時代ですから。
でも、人生のすべての局面でそれを満たすことなど、到底できるはずもありません。
どこかで、何らかのかたちで、他人に勝たなければ、まともに生活していくことは到底ままならないのが、少なくとも日本における当たり前なのです。
そんな人生のコマを進めているのに、競争しないという意味で他人と比較しないなど、自ら底辺に落ちようとするようなものでしょう。
「他人と比較するのをやめましょう。そうすれば幸せになれますよ」みたいな言説を100%真に受けてしまう人もどうかと思いますが、それを説いている側の中にも、本気で競争からの脱却を意図している人がいそうなのがまた、闇を感じるところなんですよね。
繰り返し唱えているうちに、自分に洗脳がかかってしまったのでしょうか。
自己分析と相手分析
競争に勝つためには、いくつかの段階をクリアする必要があります。
それが具体的にどんな内容であるかは、分野ごとに大きく異なってくるところなので、一概には語れませんが、だいたい共通するのが、次のような過程でしょう。
- 今の自分を知ること
- 相手を知ること
- 相手に合わせて自分を成長させること
「相手」というのは、時として直接的に他人であることもありますが、他にも「試験問題」とかであったりする場合もありますね。その辺は多彩です。
注目すべきは、それ以外の部分です。「今の自分を知ること」と「自分を成長させること」。
この2つの段階において、「他人と自分を比べない」という教えが威力を発揮するのです。
いったん忘れることの意味
逆から考えていきましょう。
上記の2つの段階において、終始「他人と自分を比較」し続けていたら、果たしてどうなるでしょうか?
答はこうです。
「無用な焦りが生まれ、適切なカリキュラムを適切にこなすことができなくなる」
先ほど、競争に勝つための第一段階として「今の自分を知ること」と書きました。
この「今の自分」というのが重要なポイントです。
これは競争を始めるにあたっての、いわばスタート地点なわけですが、その内容は他の誰とも違う、自分だけのものなんですよね。
指紋とかと同じで、そこにはその人の個性がめいっぱい詰まっているのです。
なので、そこから「勝利」に達するために必要な期間も、必要な訓練も、すべて厳密に言えばその人だけの内容になるわけです。
それは各々の個性から決まってくるもので、例えば「すでに成功した他人」の枠組みをそのまま当てはめようとしても、上手くハマってはくれません。
成功への階段は、その人ごとに異なるかたちを形成するのです。
その階段を登っているときに、順調な他人の情報を耳にして「あいつはあんなにポンポン成長しているのに」みたいなことを考えることには、まったく意味がありません。
それどころか、先ほども言ったように、そのことで必要のない焦りが生まれます。
それは精神的な負担になりますし、場合によっては、そのせいで自分に適したカリキュラムから外れて、無謀なショートカットを試みてしまうかもしれません。
率直に言って、百害あって一利なしなのです。
他人と自分を比べない、ということの意味は、ズバリここにこそあるわけです。
要するに、自分を成長させるための最短距離を進んでいる最中には、他人の情報は妨げにしかならない、ということなんですよね。
その情報が生み出すのは雑念でしかなく、雑念はメンタルにじわじわと悪影響を与え、道を誤らせる可能性を大きく拡げてしまうことになるのです。
だから比較してはいけないんですよね。
すべては勝つためのもの
というわけなので、他人と比較しないことは「ある成長過程においてとても重要」ではあるのですが、なぜ他人と比べるべきではないのか、を忘れるのは危険です。
あくまでも、最終的に他人より抜きん出ることが、そこでの目的なわけです。
他人に勝つために、いったん他人のことを忘れているに過ぎないのです。
そうでなければ、そもそも何かを頑張る必要なんて無いじゃないですか。
本当に競争することなく生きていけるのなら、何も伸ばさない、そのままの自分が、常に受け入れられ続けることになるわけですから、他人と比べるのはやめましょう、なんてことは言われるまでもないことになります。
でも、少なくとも日本はそうではない。
成長のすべてが「他人に勝つためにするもの」であると定義できるわけではありませんが、かなり多くの場合において、競争は深く関わってきます。
多くの成長が、ポジションなり何なりを勝ち取るためにするものであり、勝ち取るというのはすなわち、他人との競争に勝つということなわけですから。
難しいのは、そこで心のバランスをいかに上手く取るかということでしょう。
誰よりも勝ちたい気持ちを持ちながら、誰よりもいったん他人を忘れて自分を高めることに打ち込める人間が、もっとも自分の才能の限界まで近づくことができます。
私達はその理想に近づくべく、競争に貪欲になりながら、上手く他人をシャットアウトするスキルを磨いていく必要があるわけです。
その向こうに、もろもろの幸福が待っているのです。
おわりに
当記事は、あたかも他人に説教しているような感じになっておりますが、実際には私自身に言い聞かせている面が強かったりします。
私は、他人と競争をするのが本当に下手くそなんですよね。
他人に勝とうとする具体的な意欲も足りないし、そのために他人を意識しない期間を作るスキルも足りないという、どうしようもない有り様なんですよ。
ここを抜本的に改革しないと、人生はまともに拓けていかないと思うので、一刻も早く何とかしなければ、と思っている次第です。
もし当記事があなたの心のどこかに刺さったのであれば、あなたも今日から、他人に勝つ意欲を燃やすことと、「それを達成するための戦略として」他人と自分を比較しないことを意識していきましょう。
それが成功への近道なのは、間違いないはずです。