天国的底辺

二次元、創作、裸足、資格試験、その他諸々についての思索で構成されたブログ

「継続は力なり」は半分嘘:継続を力にするのに必要なもの

 継続は力なり、という言葉があるように、何事もコツコツ続け、積み重ねていくことこそが成功の秘訣だとされています。

 今日はその「継続」について、ちょっと思うところというか、日頃の鬱憤というか、そういうものを書いてみたいと思います。

 途中で感情がダダ漏れになっていたら、「ああ、コイツ今いろいろ大変なんだな」と生温かい目で見ていただければ幸いです。

 

 

継続せよと今でも人は言う

 冒頭でも書いた通り、「継続は力なり」という言葉が我が国にはあるわけですが、これはとても古い言葉です。

 語源についてちょっと調べてみたのですが、諸説あるみたいですね。

 その中でも有名なのが、浄土宗の宗教家である「住岡夜晃」という方の「讃嘆の詩」という詩であると、以下のページで紹介されていました。

 

kotobanoimi.com

 

 この言葉、未だに生き残っていることからもわかる通り、バリバリ現役の方法論として世間に蔓延っています。

 ベストセラーの自己啓発本は言うに及ばず、ネットのインフルエンサーなども、そのことをしきりに言いますよね。

 とにかく継続せよと。一朝一夕で成功なんかできるわけはない、不断の努力が絶対に不可欠なのだと。

 勉強からビジネスまで、ありとあらゆる場面でそれは最強の教条としてまかり通っています。

 

 こと勉強に焦点を絞ると、科学的にも実証済みだそうですね。

 いわゆる一夜漬けの知識はすぐに忘れてしまうが、毎日コツコツと勉強を続けていた場合、それよりは遥かに長期記憶として脳に定着しやすい、ということだそうで。

 これは、継続することの重要性の最もわかりやすい例であると言えるでしょう。

 

 ――しかし、そのように持て囃されているからこそ、あえて考える必要があると私は思います。

 継続は力なりというが、ただ単に継続していれば、自然と成功に近づいていけるものなのだろうか?

 そこでは何か、継続という言葉には収まりきらない「コツ」も求められるのではないだろうか?

 

 ズバリ、そういうのも必須になってくるはずだというのが、私の考えです。

 

継続中にしなければならないこと

 継続することは確かに大事なのだろうと思います。

 それを抜きに成功を収めることは、至難でしょう。継続することもとても難しいことですが、それよりずっと難易度は高いものと推察されます。

 わざわざそんな道を進むよりは、黙って継続したほうがいい。

 

 しかし、ただ継続していれば、そのぶんだけ成功に近づくことができるのかというと、そうではないと思うんですよね。

 そこで必要になる――というか、しっかり意識していかなければならないのが、「正しく新しい試行錯誤」ではないでしょうか。

 ただ漫然と、だらだらと続けているだけでは、実力や実績はなかなか積み重なっていかない。

 頭を使い、毎度これまでにやらなかったようなことを取り込んで実践し、その結果を分析し、次に活かし……といったことをしないと、なかなか前進していかないのです。

 

 いわゆるPDCAを高速で実践していくことが伴っていなければならないということです。

 それを抜きにして、漫然と同じところに留まり続けるような「継続」をいくらやったところで、それは「やった気になれる」だけだと思うわけです。

 つまり、継続は力なりという言葉には注釈が必要で、継続を力に変えるためには、それなりの工夫が不可欠であるのです。

 

継続を力に変えるにも才能が要る

 ただし、そこに大きな関門が待ち構えています。

 少なくとも私の考えでは、その関門はとてつもなく大きく重く、厳しい。

 すなわちこういうことです。

「継続を力に変えるスキルは、生まれ持った才能に強く依存する」

 

 一例として、いろいろ継続しているのに一向に力に結びつかない、ある人物について語ってみましょう。

 本名は伏せますが、ネットではlokiというハンドルで活動している人物です。

 この人物、特にこの数年で本当にいろいろな方向に自分の力を試してきました。

 司法書士試験。小説賞への応募。某ネットビジネス。最近ではブログ運営、ダイエットと筋トレ。

「何より大切なのは継続することだ」と昔から信じているので、何事においてもコツコツ続けることを欠かしません。

 そして、思考停止した継続では駄目だとも思っているので、自分なりのPDCAも日々実践し続けています。

 

 ところがこの人物、この数年間で何ひとつモノにできていないのです。

 司法書士試験は、足切り点に遠く及ばない点数のまま、もう6年ほど成長が見られない。

 小説賞に応募した作品は、生まれて初めて書いた作品が三次選考落選だったのに、その後数年間書き続けてもやっぱり三次選考落選が最高。これも4年ほど継続中。

 某ネットビジネスは、適切なリスクを取って覚悟を決めて頑張ったのに、たった1年で資金を使い果たして借金まで背負うはめに(後に詳細を記事にする予定)。

 ブログはそろそろ開設から5ヶ月が経つのに、赤字から脱出することさえできていない。

 ダイエットや筋トレを頑張っているものの、体重は一向に落ちることなく、あまつさえ先日、工夫が裏目に出て膝を痛めてしまった。

 

 単に「成功できない」というだけなら、まあ、他者との競争あってのことなので、仕方がない面もあります。

 でもこの人物の場合、「実力がまったく伸びていない」のです。

 継続をし、その内容にも改善を加えているはずなのに、それが力に繋がっていない。

 この人物は、そこに危機感を覚えており、自分はこのままどこへも進むことができずに悲惨な最期を迎えるのではないか、と本気で心配している真っ最中です。

 

 ――この辺りを考えるに、継続の世界も結局は才能がモノを言うんですよね。

「継続は力なり」という言葉は、少なからず「才能のない自分だって、きっと!」みたいな大衆の希望を背負っていると思うのですが、実態としては、継続を力に変えるためにやっぱり才能が要るわけです。

 改善ポイントを的確に見出し、それを克服するためのカリキュラムを自分で組んで実行するというのは、そういう行為なのでしょう。

 

「自己流でやるからいけないんだ。成功者の真似をしろ」

 そういう意見も出てくるかと思いますが、先述のloki氏もそれは承知の上。

 でも、才能がないと真似すらもちゃんとできないんですよね。

 悲しいところです。

 

おわりに

 メジャーリーガー、ダルビッシュ有選手の有名なツイートがあります。

 

 

 これはまさにその通りで、きちんと考えて行動しなければいけないわけですが、問題となるのは「きちんと考えられるかどうか」で……。

 その段階でもう、越えられない才能の壁はドスンと立ち塞がっているのです。

 才能のある人間は、その壁の存在に気づいていない可能性がありますね。

 頭を使って継続すれば誰でも力を得ることができると思っていそうな気配を、いろいろな成功者の言葉から感じますから。

 

 さて、このような現実を前にして、才能のないloki氏は今後どのような戦略で生きていけばいいのでしょうか。

 願わくば、ある切り口についてだけは才能がちょっとあって、その切り口をとうとう発見できた――みたいな展開になって欲しいところですが。

 でも、そうならないのが人生なんですよねえ……。

 

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