天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

あなたが望むのは女性の権利向上ですか? 男女平等ですか?

 今日はふとした流れから、いわゆるジェンダーの問題などをテーマに選んでしまいました。

 私ごときが扱うにはいささか繊細な話題すぎるかな、とも思ったのですが、まあ自分のものの考え方を言葉にするだけなら、特に資格等が必要なわけではありませんよね。

 そこに甘えるかたちで、ちょっと書いてみようと思います。

 

 

女性の権利向上と男女平等

 まずは、当記事のタイトルをここで復唱させていただきます。

 あなたが望むのは女性の権利向上ですか? 男女平等ですか?

 

 ……あまりこういうことを問われたことはないのではないかと推察するのですが、いかがでしょうか。

 

 真剣に「自分はどちらを望んでいるのか」と考えていただいた方もおられるでしょうが、一方で次のようなことを考えた方も、それなりにいるのではないかと思います。

「いや、男女平等を実現するための過程として求めるのが、女性の権利向上なのであって、どちらかを選ぶものではないんじゃないの?」

 

 これは一見するとまったく正しい突っ込みです。確かにそれがぴったり当てはまる状況というのはあって……というか、ジェンダーの問題が取り上げられる際の、いわば基本形と言うことができるかもしれません。

 男性が有しているものを、女性が有していない。だから女性の権利を男性と同等に引き上げよう、という動きですね。

 

 しかし、それが上手く当てはまらない状況というのもあるんですよね。

 そして現代日本は、まさにそこのところで、この問題がとても複雑怪奇になってしまっているように観察されるのです。

 

 一言でいうと、「女性の特権」というものがそれなりにあり、それを謳歌している女性がたくさんいて――その多くは、特にそれを放棄するつもりはない、という問題です。

 

平等とは何か

 平等とは何でしょうか。辞書的には次のように説明されるそうです。

「かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま」

 なるほど、の一言で片づけたいところですが、この手の話の宿命として、辞書的な説明は「それを現実にどう適用するか」にひと手間かかることになります。

 

 男女間において「かたよりや差別がなく、みな等しい」状態を実現する方法としては、次のどちらかを選択する必要があるでしょう。

 男女がまったく同じ権利義務を持つか、あるいは異なる権利義務を持たせた上で、その釣り合いをとるか、です。

 ここで言う権利義務とは、法的なものだけでなく、社会的・慣習的・心理的なものももちろん含んでおり、幅の広い話であるとお考えください。

 

 前者はかたちとしてはわかりやすいです。乱暴に言えば、とにかく何もかも一律にしてしまえば事は済んでしまう。

 しかしその代わりに、あまりに「人工的」すぎて生活の実態にそぐわない場合がたくさん想像できます。

 後者はその点で現実的な選択肢ですが、異なるものの調整によって「釣り合い」を取ることの難しさとのトレードオフになっています。

 万事において、「それが果たして釣り合いの取れた状態なのか」という議論になることは避けられないでしょう。

 

 しかし、いずれのやり方を選択するにせよ、重要になってくるのは次の点です。

 ――「本当に」平等を実現しようとすれば、女性の側も何かを課されたり、失ったりすることになる。

 

現代日本の複雑な事情

 個人的な観測の範囲で言わせていただくと、現代日本はまだまだ女性のほうが、蔑ろにされる場面は多いように思います。

 法律上はかなり平等が実現されているのですが、社会の空気がそうなりきれていない。

 その辺りが改善されていくべきだという意見には、私も同意するところです。

 特に噂に聞く田舎の慣習などには、「え~、ほんとに令和の話?」と言いたくなるものが多々あります。盆休みに親戚一同が集まったら、女性(妻)陣は朝から食事づくりその他で大忙し、男性(夫)陣はひたすら飲み食いしてだらけているとか。

 

 そういうのは、とてもわかりやすく平等の精神に反しています。

 

 ですが問題は、何から何までそんな風にわかりやすくはない、というところです。

 上記のような前時代的なものが実在するのと同時に、現代日本には、女性だからこそ受けることのできる優遇の数々があり――それが男女平等を考えるときの「計算」を思いっきり乱すことになるのです。

 

 いわゆる「出羽の守」と呼ばれる人達が、いろいろ言っていますよね。日本の女性は、他の先進国と比べて極めて酷い境遇に置かれているのだと。

 しかし、女性がここまで安全に暮らせる国というのは他にまずありませんし、この国の特徴である「空気」が「見えない権利」として女性に付与しているものも、たくさんあるのが実際のところです。

 女性だから許されていること、男性だから課されていること――。あらゆるフィルターを外して、一つ一つの物事をただ事実関係だけで捉えていけば、あなたにも心当たりはたくさんあるのではないかと思います。

 

 もっとも大きなところでは、「主婦の権限」が挙げられるでしょうか。

 日本の多くの家庭において、妻が財布の紐を握っており、夫がその中から小遣いをもらって日々生活している、という話を聞くと、それを知らない欧米の人間は心底驚くらしいですね。

 つまり彼らが日本の男女問題について語るとき、そのことがまったく計算に入っていないことが多いのです。

 この辺を考えても、日本には世界標準では測れないところがあるんですよ。

 

 そういう国において「男女平等」を実現しようと思うと、なかなか大変なのは想像に難くないのではないかと思います。

 先述の2つの方法論のうち、前者を選ぶにせよ後者を選ぶにせよ、女性の側にいろいろ権利があるため、それを奪うプロセスが必須になるのです。

 

日本女性は権利を捨て、義務を受け入れるのか?

 男女平等というのは、とても響きの良い言葉なので、多くの人が躊躇なく使い、躊躇なく望んでいるふしがあります。

 しかしここまで書いてきたようなことを考えると、どれくらいの人が本気なのか、については、疑問を抱かざるを得ないところです。

 具体的にはこういうことです――果たしてどれくらいの女性が、平等を実現するために、今持っている「見えない権利」を放棄したり、新しい義務を受け入れたりすることを望んでいるのでしょうか?

 

 あくまで私の観察に過ぎませんが――それを望んでいる女性は少ないように思います。

 そしてこれこそが、タイトルの問への回答になるのではないかと、私は推測しています。

 すなわち、多く望まれているのは権利向上であって、平等ではない。

 べつの言い方をするなら、男女平等を口にしている女性の多くは、「正したがっている」かのようなポーズを取りつつ、実際には「欲しがっている」のだということです。

 

 こう言うと、まるで欲しがるのが悪いことであるかのように受け取られかねないので念を押しておきますが、権利を欲しがるのは人として当たり前のことです。

 シンプルに、許される物事は一つでも多いほうが良いですし、要求して通るものなら、当然要求するでしょう。

 ただ、自らのその行為を「平等を追求するものである」と錯覚し始めると、話はこじれていくことになるんですよね。

 

フェミニストが話をややこしくする

 そこで登場してきて、話を厄介な方向に運んでいくのが、一部の(と一応書いておくべきでしょう)フェミニストの皆さんです。

 あの方々は往々にして、ここまで書いてきたような「女性の持つ特権」の存在を無視し、女性というものを「ただただ男性より権利の少ない存在」と設定した上での言動をとります。

 強く過激な言葉を使ったほうが主張が通りやすくなると思っているのか、はたまた本気でそう考えているのかは定かではありませんが、ともあれその内容は、世間と(つまり現実と)多かれ少なかれズレている。

 結果として、女性の権利向上の正当な部分さえも、胡散臭いものにしてしまうことになるのです。

 

 Twitterなどを見ていると、一部の(と一応書いておくべきでしょう)フェミニストは本当に、カルト的としか言いようがなかったりしますからね……。

 少しでも気に食わない相手は敵認定、仲間内でそれを繰り返して、主張をどんどん先鋭化させていく。

 それにつれて、世間の大多数の人の理解を得にくくなっているのに、その本質に気づかず、さらに先鋭化することで突破を図る。そしてさらに世間から浮いていく。

 残るのは、男女平等の概念に浴びせられた泥水のみ。

 

 無駄に男女間の分断を加速させるだけなので、ああいう手合いには即刻引き下がっていただきたいのですが……まあ、無理なのでしょうね。

 あの人並み外れた執念と行動力が、今さら落ち着きを取り戻すことは考えられません。

 あの種の人間を目にするたびに、「セルフ突っ込みは大事なんだなあ」と、身が引き締まります。

 本当に自分の願いを叶えたいのであれば、私達は決してあのようになってはいけない――ここは反面教師として、積極的に参考にしていくべきところでしょう。

 

おわりに

 何だかとても散漫な文章になってしまいました。思っていた以上に、自分の中でこのテーマについての考えがまとまっていなかったようです。

 うーむ、ちょっと恥ずかしい。

 

 本来こういうことは、しっかりと学問を修めた人にお任せしておけばいいようにも思うのですが……。

 ぶっちゃけた話、ジェンダーの問題って、ちゃんと勉強してきたはずの人達が、おかしなことを言いがちな分野だったりするんですよね。

 それが何に起因していることなのかは定かではないのですが、肩書きと言動の乖離が激しすぎて呆気にとられるケースが多々ある。

 そんな状態なので、自分が素人考えを書いても、そこそこかたちになるだろうと思い、当記事を書いた次第です。

 

 結果として、もう少し思索を重ねてからにすべきだったという感じではあるのですが……まあせっかく書いたので、観念して投稿します。

 

 この国では、ジェンダーはどうあるのが理想なんでしょうね。

 私の皮膚感覚として、少なくとも欧米のものを直輸入するのは、私達にまったくそぐわないと思うのです。

 基本スタイルが違いすぎますし、何より、かの国々でもまっとうに機能しているようにはあまり見えなかったりしますからね。かなり危ない。

 

 男女の話はかくも難しいものかと、唸らざるを得ません。

 どこかに大ヒントが転がっていないものでしょうか。