断続的に小説を書くようになって数年が経ちます。
まだ誰かに作品をちゃんと認めてもらったことはないのですが、それなりに書き続けていると、まあそれなりにこだわりが生まれ、小説を構成する各要素について一家言持つようにもなります。
今日はその要素のうちの一つ、文体について書いてみようと思います。
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文体――その辞書的意味
私は素人ですので、これからここで私の意見として書いていくものは、残念ながら見る人が見れば浅はかなものなのでしょう。
そこで、まずは正確な情報を置いておくことにします。
辞書的意味での文体とは、次のようなものであるようです。
https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E4%BD%93-128581
ここに書かれた内容をほぼ完璧に理解できるという方は、当記事をこれ以上お読みになる必要はないと思います。
ただ、そういう方はあまり多くないのではないかと思います。少なくとも上記リンク先を一読しただけでは。
私はそうでした。わかったのは「とにかく複雑なものであり、歴史に裏打ちされた奥深いものである」ということくらいで、掴みどころがない。
まあ仕方ないですよね。これはもう学問の領域であって、素人がサッと触れて、その内容を簡単に取り込めるわけがない。
小説を書いていると言いつつこんな宣言をするのはアレかもしれませんが、このような深遠な意味で「文体」という言葉を使う予定は、私には今後しばらくはありません。
そこまで立ち入らずとも小説は十分に書けるものだというのが、私の持論です。
とりあえず簡易的な意味での文体
しかし、より簡易的な意味で使う「文体」は、創作していく上で非常に大事なことであると考えています。
簡易的な意味での文体とは、たとえば改行の頻度とか、漢字と仮名のバランスとか、地の文と台詞の比率といった辺りのことです。
この辺りに関しては、しっかり自分なりのスタイルを確立せずして、作品を完成まで持っていくことはできないでしょう。
改行の頻度
言い換えるなら「一段落あたり、どれくらいの句点を含めるか」ということになるかと思います。
もっとも改行の頻度が高い文章は、句点が来るたびに必ず改行する文章ですね。
一方で頻度の低さについては、限度というものがありません。究極的には、ある物語の最初から最後まで、一度も改行せずに進めることも可能だからです。
私が小説を書くとき、地の文だけで展開するところでは、1行42文字でだいたい一段落を5~6行くらいにしています。
もちろん内容によって変化するわけですが、自分の皮膚感覚ではそのくらいがもっとも適切な「一呼吸置く頻度」なんですね。
それ以上細かくすると、意味がまとまっているところとそうでないところを、上手く表現し分けることができなくなると感じているのです。
ただ、これは後述することですが、どういう媒体で文章を読むかによって、同じ作品でも理想の改行頻度は変わってくるところだと思います。
縦書きか横書きかでも、事情は大きく変わってくるでしょう。
漢字と仮名のバランス
これも大事なポイントです。
小説を書き始めたばかりの時期は、漢字の占める割合の多い文章を書きがちである――というのが私の感覚なのですが、実際どうでしょうね。
とりあえず私の場合は、作品を積み重ねていくごとに、細かい点で「これはひらがなに開こう」という判断をすることが多くなりました。
決して最初に漢字ばかりの作品を書いていたわけではないのですが……。
これに関して現時点で一つ悩んでいるのは、音声入力と自分のスタイルの違いです。
例えば「時」という言葉に関して、私は「そのようなときは」という文章ではひらがなを使うのですが、iPhoneの音声入力では、それが大抵の場合「そのような時は」になってしまいます。
そのたびに、いちいち「時」を「とき」に直すはめになるのです。
この辺のルールを音声入力機能に覚えさせることができるようになれば、いっそう使い勝手が良くなると思うのですが、まだそういう次元には至っていないようで……。
今後の進化が待たれるところです。
地の文と台詞の比率
これは正解のないテーマではあるのですが、小説を書く人はそれぞれ「こうあるべき」という指標を持っていることでしょう。
一般的には、台詞ばかりの小説ほど「幼稚」であるという見方が多いのではないかと思うのですが、私は必ずしもそうではないと考えています。
例えば、キャラクター同士が長めの会話をする場面を書くとき、かつての私はできるだけ台詞が幾つも連続しないよう心がけていました。
そのためにどうするかというと、自分なりに適切と考えるタイミングで、喋っているキャラクター達の心情や細かい動作を地の文で挿入するのです。
しかし何作か書いているうちに、「そういう地の文こそ贅肉であり、書き手のエゴの塊なのではないか?」と考えるようになってきました。
それ以降は、台詞がそこそこ連続しても、あまり気にしないようにしています。
今の私なら、「それが本当に必要なのだと感じれば」何十でも会話文だけを重ねることもできます。かつては怖くてそんなことは絶対にできませんでした。
このケースなどは、先述の一般論からすれば「作品の幼稚化」にあたると思うのですが、私としては「必要なものだけをかたちにする勇気を手に入れた」という自己認識なわけです。
結局、大事なのは「作品が、書き手に、何を求めているか」なのだと思います。
私が一番こだわっていること
そういった様々なことの中で、私が一番こだわっているのは、会話文と地の文の接続の仕方です。
……と言ってもわかりにくいですよね。
これは例を挙げればすぐわかると思いますので、そのようにしましょう。以下に、文字レベルでは同一だけれども、全体のかたちが少しずつ異なる文章を並べていきます。
「そうだね。気をつけよう」
太郎は言った。
「そうだね。気をつけよう」太郎は言った。
太郎は言った。「そうだね。気をつけよう」
「そうだね」太郎は言った。「気をつけよう」
――あなたが小説を書いている方であると仮定してお訊きします。これらのうち、あなたはどのパターンを使っていますか?
私はすべてのパターンを使い分けています。
これらはそれぞれ異なる「間」を持っており、太郎が喋るという行動の微妙なニュアンス、及び前後との関係によって、どれが適切かが変わってくるからです。
ここでは4パターンを挙げましたが、実際にはもう少し多彩になります。「太郎は言った」という表現が要らない場合もありますし、「太郎」の前に「と」を付けるか付けないかでもリズムに変化が生じますので。
しかしまあ、私が言いたいことはこの4パターンで伝わるでしょう。
最初に小説を書いたときからずっと、理由はよくわからないのですが、私はこの部分にものすごくこだわりを持ってきました。
ほとんど「良い小説かどうかはここで決まるのだ」みたいな感じで、時間もエネルギーもしっかりとかけてきました。
ただ、これまでの戦績から考えて、少なくとも新人賞の下読みさんや編集者さん方は、この部分をそれほど大きなものとは見ていません。
ということは、私は他者がどうでもいいと思っているところに、無駄なリソースを割いていることになるわけです。
コンスタントに作品を完成させていくことに邁進するなら、今すぐこのこだわりは捨ててしまうべきなのでしょうか……うーん。
書籍に適した文体とwebに適した文体
以前の記事でも触れたのですが、最近の私は、これまで新人賞のために書いてきた小説をwebで公開しようかどうか迷っている状態です。
もし自分にゴーサインを出すことができたら、そのときは入念にサイト選びをしますし、このブログでも報告する予定です。
……それはいいのですが、そこで割と真面目に考えなければいけないのは、新人賞のために書いた原稿を、webにハマるようにリライトする作業です。
というのも、書籍で見せることを意識した新人賞用の原稿をそのままwebに掲載すると、恐らく相当に読みにくいだろうと思われるからです。
そのもっともわかりやすい例が、改行でしょう。
書籍のために組んだ文章をそのままwebに持ってくると、恐らく読者は「今どこを読んでいるのか」を見失いやすくなるし、テンポの悪さを感じることにもなると思います。
webという媒体は、改行の少なさに耐えられないのです。
特に私の小説は、先述の通り、地の文の続くところではあまり改行していないため、スマホで読むと画面がびっしり文字まみれ、みたいなことになってしまいかねません。
恐らく、句点ごとに改行し、段落が変わるところでは空白行を作る、くらいでちょうど良くなるものと思われます。
一本の長編小説の最初から最後までその変更を行うのは、そこそこ時間のかかる作業であり、やるならその手間も覚悟しなければなりません。
また、web用に小説を書くことも考えているのですが、この場合は最初からwebに特化した文体で書いていく必要があります。
そのために役立つと思われるのが、このブログです。
私はこのブログを、小説とはまったく異なるリズムで書いており、これこそまさに「web特化」そのものなわけです。
ある意味、私はここを後々の小説のための訓練場にしているのだとも言えますね。それでお小遣いも稼げるなら、一石二鳥の最たるものです。ありがたや。
おわりに
以上、拙いですが、一介のワナビが文体についてどんなことを考え、どんな試行錯誤をしているかを書いてみました。
私にとっては、文体って自分の分身みたいなところがあるんですよね。
とても身体的で、顔の輪郭とか指のかたちに言及しているような気分になる。
これは小説を書く人間に普遍的な感覚なのでしょうか?
それとも、文体にこだわりを持たない人もたくさんいて、むしろそういう人のほうがコンスタントに大量の文章を生産することができたりするのでしょうか?
その辺りはわからないのですが、一つだけ絶対にこの追求だけはやめないと心に決めているのは、「読みやすいのに奥深いこと」です。
まだまだ理想には程遠いですが、そんな文章で構築された小説を、いつかはモノにしてみたいですね。
その道は長く険しいもので、たぶん目的地に半分くらいまで近づく頃には、とっくに小説でお金を稼げるようになっているようにも思います。
成長したいです……正直あまり伸びてない気はするのですが。
おまけ
小説向けの文章の本って、文体論みたいなのが多く、練習用のものはあまり見かけないし、どうにも堅くてとっつきにくいものが多いように観察されます。
ライトノベルに特化したものなら、柔らかそうなものが幾つか見つかりますが。
webライティングや、ビジネス向けの手頃な文章本は結構あるんですけどね。
もしかしたら、こういう本で鍛えてから小説向けに独自にプラスアルファを模索していく、というのも良いやり方なのかもしれません。
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