天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

【脱情弱】アップデートしなくていい情報はまずないと考えよう

 今日は「新しい情報を追い続けること」の重要性について書いてみようと思います。

 自分の理解を文章化するというよりは、文章化を試みることで理解を進めようという面の強い記事なので、お役に立てるものかわかりませんが、お付き合いいただければと思います。

 

 

色々知っているけどその知識が古い人

 情報というテーマにおいて「何も知らない人」は論外なので、特に言及しません。

 世の中には、情報を取り入れるということをほとんど放棄して生きている人がいて、彼らはそのことに恐怖というものをまったく感じていないんですよね。

 今回はそういう人種のお話ではありません。

 それなりにモノを知っている人のお話です。

 

 さて、この「それなりにモノを知っている人」ですが、そういう人達の全員が「使える」ことを発信し、マトモな行動を取るかというと、そういうわけではありません。

 性格や思想など様々な要因がありますが、他に大きな問題として、「知っている情報が古い」というのが、結構多くの場面で顔を出します。

 多くのことを知っている。それを言葉にするスキルも持っている。でも肝心の内容が、その情報を初めて知った段階で止まってしまっている――そういう人が割といるのです。

 

 何も知らないわけではないので、情報に対する基本的な意欲というか、好奇心はあると考えられるのですが、彼らにはその情報を「アップデートする」という発想と行動がない。

 一度「知った」ことで満足してしまっているのですね。

 そのため、せっかく身につけたものが、役に立たなくなってしまう。

 特に昨今は時代の進みがものすごく速くなっているので、アップデートを怠った情報は、光の速度で後ろに置いていかれることになるわけです。

 

古い情報はいろいろな場面でヤバイ

 例えば、最先端でビジネスをやっているような人にとって、情報が古いことが命取りであることは言うまでもありません。

 そういうのは誰でも納得できるやつだと思います。

 しかし情報の古さが問題を引き起こすのは、必ずしもそういう「わかりやすく最新であることが求められる」場面だけではありません。

 その例を二つほど挙げましょう。

 

歴史

 歴史から学べることは多く、過去を知ることは未来を作ることと深く結びついているわけですが、その過去が、実は結構頻繁に書き換わります。

 私がこうして呑気に生活しているあいだにも、世界のあちこちで古い文献が発見されたり、そういうものに基づいた新たな説が広まったりしている。それによって、定説が覆ることがしばしばあるんですよね。

 

 一度学校で歴史を勉強して、それで満足してしまうと、何年か経ったときには、自分の頭の中の歴史と、現行の教科書に書かれている歴史とが、意外とシャレにならないレベルで食い違っていたりする。

 アップデートの意志は新しい分野だけでなく、過去にも向けていく必要があるわけです。

 

 ネット等で古い歴史知識に基づいて何かご高説など垂れてしまった日には、それなりに恥をかくことになるので注意が必要なところでしょう。

 隠していた年齢がバレてしまう、といった弊害も人によってはあるかもしれません。

 

あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史 (宝島SUGOI文庫)

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医学・栄養学

 それからもちろん、科学の世界もアップデートの連続です。

 まあ一般人にとっては、天文学とかの分野で新発見があってもそれほど大きな意味はないかもしれませんが、医学や栄養学の分野となると話はだいぶ違ってきます。

 何を食べれば健康的なのか。どのように運動するのが効果的なのか。予防医療にはどんなものがあるのか。

 そういったことが日々新しくなっていますし、かつて持て囃された方法論は逆に有害であった、なんてことも珍しくないのです。

 

 私には長生きしたいという願望はあまりありませんが、「生きているあいだを健康的に充実させたい」とは思っています。

 そのためには、上記のようなことを追いかけていくのはとても大切なこと。

 あまり時間をかけすぎるのもちょっと違うかなと思いますが、定期的に知識をチェックしていきたいところですね。

 

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情報のアップデートを妨げるもの

 と、このように情報のアップデートは重要なのですが、そういうことにアンテナをバリバリに張り巡らせて生きている人というのは、そんなに多くありません。

 私も(こんな記事を書いておいて言うのもアレですが)結構サボっています。

 何がアップデートを妨げているのか。これはだいたい次の2つになるでしょう。

 

面倒くさがり

 まあこれが一番多いでしょうね。

 アンテナを張り続けるというのはなかなかエネルギーの要ることで、ついつい畳んで物置の隅にしまい込みたくなる。

 現状に明確な不満があって、どうしてもそれを克服したい、みたいな動機がないと、この辺り、ついつい怠けてしまうのが一般的な心理かと思います。

 

過去の積み重ねに変なプライドを持っている

 自分はたくさんモノを知っているんだぞ、というプライドのせいで、それを崩して再構築することをどうしても許せない人、というのもいますよね。

 あるいは、考えを変えることは負けを認めることである、みたいな発想。

 そういうタイプの人は、リソースを多く持っていても、それを「現状維持で戦う」みたいなことに割いてしまいがちです。

 

 私のような枯れ気味の人間からすると、実にもったいない話だと思いますね。

 このあたりのプライドは遥か彼方に投げ捨て、常に最新の情報を取り込んで行動していくのがいちばんオイシイし、カッコいいことではないでしょうか。

 

アクセスすべき情報の増加とどう付き合うか

 ただまあ先ほども書きましたが、最新の情報を追いかけるというのは大変なことです。

 湧いてきた好奇心をいちいちカタチにして、それに合わせて情報を追いかけていたら、正直なところキリがありません。

 追いかけなければならない情報の量がどんどん増えていき、自分が扱うことのできる時間には到底収まらなくなってしまうのは明白です。

 

 そこで必要になってくるのが、情報にランクをつけて、「自分はだいたいどの分野に軸足を置いた人間になりたいか」をきちんと決めておくことでしょう。

 そしてそのランクの下のほうに位置する情報は、「その気になったときにいつでもアクセスできる状態」にして、いったん離れておくのです。

 今の世の中は、「知識そのもの」と「その知識にアクセスする手段を知っていること」がどんどん近づいているので、アクセス手段を持っておくだけでも全然違う。

 このあたりは、生活の知恵として使えるのではないかなと思います。

 

おわりに

 世の中の全員がそうとは言いませんが、基本的に知るのは楽しいことのはず。

 その初心(というか何というか)を忘れず、情報のアップデートは欠かさないようにしたいところです。

 

 古い情報がもったいなく思ったときは、良いリサイクル方法があります。

「昔はこんな風に言われていたんだよね」みたいに、ネタとして消費してしまうのです。

 最新情報を追いかけていると、古い情報が恐ろしい勢いで山積みになっていきますが、きっとこんな風にオモシロ話として使っていくことが、それらの「供養」になるのではないか、と私などは思いますね。

 ともあれ、他ならぬ自分自身の利益のために、お互い古い情報をもとに迷走しないよう注意していきましょう。