裸足フェチの人が人生のどの段階で目覚めたのかは人それぞれだと思うのですが、もし統計を取るのであれば、おそらく最も多いと思われるのが小学生時代なのではないでしょうか。
初めて本格的に同年代の子供達と共同生活を送るにあたって、何らかの出来事があって、異性の裸足にときめいてしまった、みたいなケースが多いのではないかと私は推測します。
私自身は幼稚園に通っていた頃すでに裸足フェチに目覚めていたのですが、その性癖が大きく育まれたのはやはり小学生時代です。
そのため小学校において裸足になることに大きなこだわりがあり、自分の思い出だけでなく、他の人が小学校生活においてどのように裸足と関わってきたのかにも強い興味を持っています。
本記事ではそれに絡めて、タイトルにある通り、現役小学生に対して「学校で裸足になること」について話を聞きたいと考えていることについて、ちょっと書いてみたいと思います。
- 「学校の教室で裸足・素足上履き」が好きすぎる
- 自分が持っている裸足の思い出は有限
- 現役小学生の裸足エピソードや裸足への考え方を知りたい
- 道端でいきなり小学生に裸足について尋ねたら事案
- 作家志望・ライターとして小学生に「取材」するのはアリ?
- 小学校はバリアに覆われた閉鎖世界
- おわりに
「学校の教室で裸足・素足上履き」が好きすぎる
改めて主張するのもなんだかちょっと変態的であれなのですが、私は学校の教室で裸足になることについて異常なまでのこだわりを持っています。
裸足フェチとして、単に裸足を拝めるチャンスを愛するというだけなら、そこまで学校にこだわる必要はないはずです。
この社会のあちこちにおいて、まあそこまでしょっちゅうとは行きませんが、他人の裸足を見るチャンスはしっかりあります。
何だったら着物に素足で働く女子が大勢いる居酒屋にでも行ってみればいい。
しかしそのような他の機会が色々あるにもかかわらず、私は学校の教室での裸足というものに、成人した後も未だにこだわっているのです。
小学生時代、自分が教室で裸足になることも大好きでしたし、クラスメイトの女子が靴下を履かずに過ごし、授業中に上履きを脱いで裸足になるところを見るのも大好きでした。
それが未だに尾を引いていて、最高の光景として私の中で王座に収まり続けているのです。
単純に小学生時代に私の裸足フェチとしての精神が育まれたというだけの話ではなく、「学校で裸足」というこのシチュエーションに特別なものを抱いているんですよね。
そこには「神聖な場所で本来露出してはいけないものが露出している」といった強烈な背徳感があり、しかもそれが幼い子供達によってなされているというところに、べらぼうな禁忌性を感じてしまうのです。
そして学校での裸足が好きということは、素足に上履きという組み合わせが猛烈に好きということでもあります。
上履きほど素足に似合う履物は他にないと小学生の頃からずっと考え続けてきました。
今まで一度もその世界観がぶれたことはありません。
靴下を履かずに学校へ行き、授業中に上履きを脱いで裸足を晒し、足先で上履きを弄んだり、机のパイプに足裏をのっけたり足指で挟んでみたりする。
こんな最高な裸足フェチプレイが他にあるでしょうか。いや、ありません。
学校で見られる裸足こそ、この世で最高の光景なのです。
自分が持っている裸足の思い出は有限
しかし、学校での裸足が好きな裸足フェチには、1つ大きなハンデがあります。
それは、学校という空間にいられる時期は限られており、その時期を過ぎたら裸足云々ではなく、そもそも学校という空間を体験することができなくなってしまうということです。
ちなみに私がここでこだわっている「学校」とは、小学校から高校までを指します。
つまりクラスという概念が確固たるものとして存在し、上履きが存在しうる教育機関という意味ですね。
その点で大学はちょっと話が違うので、私がこだわる学校裸足の範囲内には含まれていないのです。
というわけで、学校での裸足の体験は非常に貴重なものになります。
いったん大人になってしまったら、学校教師の仕事でも選ばない限り、もう二度と新しいエピソードが増えることがないからです。
この場合、発信するタイプの裸足フェチは、昔の思い出を切り崩してブログやSNSなどで語っていくことになります。
小学生時代にこういう女子がいて、こんな風に裸足になっていた。
中学生時代にこういう女子がこういう風に裸足になって、それを見ていた自分はそれだけで好きになってしまった。
などなど。
しかしすべて過去のエピソードである以上、それらの発信は有限です。
語れる内容には限りがあり、しかも年齢を重ねるに連れて記憶がだんだん薄まっていくので、手持ちのエピソードはどんどん減少していくことになります。
私などは元々それほどエピソードを持っていなかったあげく、忘却もそれなりに進んでしまっているので、裸足フェチとしてかなり真面目に危機感を覚えています。
資源の枯渇が近い……!
現役小学生の裸足エピソードや裸足への考え方を知りたい
そこで私が求めるのは、現役の学生たちによるエピソードです。
その中でも特に、靴下を履かずに過ごす可能性が高いと思われる現役小学生の、裸足エピソードや裸足への考え方を知りたいと、以前からずっと考えています。
今の小学生は、果たして靴下を履かずに学校に通うことがどれくらいあるのだろうか。
授業中に裸足になって、普段さらされることのない足裏をクラスメイトにさらしている子はいるのだろうか。
裸足になるのは気持ち良いと考えている生徒が、その気持ちに従って勇気を振り絞って靴下を履かずに学校生活を送る、なんてことがあるのだろうか。
そのようなことについて、リアルな話を聞いてみたいのです。
しかし私は小学校教師ではないので、現状ではまったく小学生に縁がありません。
このまま何もしなければ、小学生から裸足に関する話を仕入れる機会など訪れるはずがありません。
小学生のエピソードが欲しければ、自分から取りに行く必要があります。
つまり、現役の小学生たちに何とかして直接話を聞きに行くのです。
道端でいきなり小学生に裸足について尋ねたら事案
とはいえ、それは簡単なことではありません。
いや、物理的には、難しいことはないと言ってもいいでしょう。
昔より子供が減っているとはいえ、小学生は私の住む町にもそれなりにいるわけですから、たとえば彼らが下校する時間帯を狙って、話しかけてみれば良いのです。
物理的にはそういう風に接近することが可能です。
しかし問題は、その行動が明らかに不審者のそれであるということです。
もし実際に道端で小学生に話しかけて、学校で裸足になることについて長々と話を聞くなんてことをしたら、仮にそのときはうまくいったとしても、きっと話が巡り巡って大きくなり、「これこれこのような不審者が現れたので気をつけてください」みたいな注意喚起が出回ってしまうことでしょう。
私の姿形の特徴なんかもしっかり情報化され、学校のプリントでさらされる形となり、PTAなどでも問題になるかもしれません。
そもそもそれ以前の問題として、道端で小学生に裸足について質問して、それに答えてもらえると考えるのが楽観的すぎるとも言えるでしょう。
噂に聞くところでは、最近の小学生は防犯ブザーのようなものを持っている割合が高いとか。
私のような者が話しかけた時点で、その防犯ブザーを鳴らされて、何かエピソードを引き出すチャンスのないまま走って逃げなければならない事態になる可能性も高いと考えられます。
いわゆる「事案になる」というケースですね。
いい年をした人間が小学生にいきなり話しかけるというのは、少なくとも現代においてはそのようなリスクを孕んでいます。
こちらに悪意があるかないかは、まったく関係ありません。
ではどうすれば良いのか?
作家志望・ライターとして小学生に「取材」するのはアリ?
1つ突破口があるとすれば、然るべき筋を通してから小学生たちに話を聞くというルートを歩むことが挙げられます。
つまり、あらかじめ小学校に連絡をして許可を取り、正式な形で小学生たちに裸足についての話を聞くのです。
この場合、私の仕事がWebライターであり、また過去に小説新人賞に何本も小説を投稿してきた、ある意味で作家志望と考えることもできる人間であることが、武器となり得ます。
つまり、一応私の現在の肩書きは、小学生たちに「取材」するのにはちょうどぴったりなものであるということです。
これを思いついたときに私が考えたのは、たとえば「裸足生活研究家・ライター」みたいな名乗り方です。
段取りとしては、まず小学校に電話をかけて「私はライターで、小学生たちにリアルな話をうかがいたいのだけれども、彼らが下校する際にそれを行っても良いだろうか?」などとうかがいを立てる。
そして改めて小学校にお邪魔して、「裸足生活研究家・ライター」みたいな肩書きを記した名刺を渡す(この名刺をあらかじめ作っておくことは有効だと思います)。
このような形で正式な許可を得て、あとは存分に小学生たちに裸足についてのさまざまな角度からの話を聞いて回るのです。
もちろんうまくいくとは限りません。
いくら「裸足生活研究家」というそれっぽい肩書きを考えたとしても、裸足についての話を小学生に聞きたいというだけで変態の匂いを察知される可能性は十分にありますし、在籍している先生たちのうち1人にでもそう思われたらアウトでしょう。
なので成功する確率は高いとは言えないわけですが、しかし何の筋も通すことなくいきなり道端の小学生に話しかけるよりは、こちらの方がはるかにリスクが低く、実現可能性は高いと考えられます。
後に話をまとめてKindle出版することまで狙うのであれば、「もしかしたらこの話をまとめて本を出すかもしれない」みたいにちらつかせることで、より立場がそれっぽくなり、成功率を高められるかもしれません。
こんなことを考えている、今日この頃です。
小学校はバリアに覆われた閉鎖世界
このように考えていくとつくづく感じるのは、小学校という空間は本当にバリアに覆われた世界だなということです。
そこに小学生がいて、大人の私たちがかつて受けたような授業を受け、かつてやっていたようなことをやっているのは明らかなのですが、いったん大人になってしまうとそれを確認することができない。
勝手に小学校の敷地に入ることはもちろん許されませんし、敷地の外で小学生に話しかけても事案になってしまう。
なんだかんだ言って小学生はしっかりと守られているのです。
それ自体は社会的に非常に喜ばしいことではあるのですが、しかし彼らに害を及ぼしたいわけではないけれども、ちょっと特殊な理由で彼らに近づきたい、みたいな事情を抱えている人間にとっては、そのバリアは非常に大きな障壁となります。
その障壁をなんとか乗り越えて、生の小学生裸足エピソードをたくさん獲得したいと考えているのですが、果たしてこの願いが叶うときはやってくるのでしょうか?
おわりに
というわけで、物書きであり裸足フェチである私が、こんなことをおぼろげながら考えているよ、という話をしてみました。
実際のところ、今回話したようなことを実行に移す可能性がどれくらいあるかというと、今のところはかなり低いと言わざるを得ません。
理由は簡単で、かなり怖いからです。
「生徒たちに裸足で過ごすことに関する話を聞きたいので、彼らの下校の際に取材する許可をいただけませんでしょうか?」なんていう電話を、あなたは小学校にかけられますか?
少なくとも私にとっては相当に厳しいことです。
多分実行に移すためには、「自分はライター、自分はライター、取材をするライター」と必死に言い聞かせ続け、物書きとしての自分のキャラクターをがっちりと作り上げる必要があるでしょう。
そこまで到達しなければ、おそらく勇気を持って一連の行動を取ることは不可能だと思われます。
もしその辺りを乗り越えて、今後何か行動に移すことがあったら、その際にはきちんと報告いたします。
そのときが来るのを楽しみにしていただけると嬉しいです。