天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

近頃は裸足すらも性的表現として規制されがちな件

私たちの社会では、性的表現の範囲が拡大し、かつては無害とみなされていたさまざまなイメージや行動が性的なコンテンツとして規制の対象になりつつあります。
日常的な裸足の姿でさえも、その規制の波に飲み込まれ、性的表現とみなされることが増えてきました。

本記事では、性的表現の規制がどのように進んできたのか、そしてそれが個人の表現の自由にどのような影響を与えているのかを探ります。
特に、裸足が性的なものとしてどのように扱われているのか、その事例を詳しく見ていきます。

性的表現の規制とは?

性的表現の規制とは、一般的に公序良俗に反するとみなされる性的な内容を含むメディアや行動に対する、法的または社会的な制限のことを指します。

世界の少なくない国々では、公共の場での露骨な性的表現を禁じる法律があり、これはしばしばポルノグラフィーやわいせつ物として分類されるコンテンツに適用されます。
特に一部の海外国では、性に関する表現に対して非常に厳しい規制が存在し、これらの規定は表現の自由に重大な影響を及ぼすことがあります。

日本においては、国内法よりもむしろ、FacebookやInstagramなどの海外プラットフォームやツールが独自の規制を設けることによる影響が大きいという問題があります。
これらのプラットフォームは世界的な基準を適用するため、日本国内の法律よりもはるかに厳しいガイドラインに基づいて、ここのコンテンツを規制しがちです。
これが、表現の自由に対する新たな課題を生み出しています。

結果として、日本国内のクリエイターや利用者は、国際的な基準に沿って自己表現を抑制する必要に迫られているのです。

性的表現規制の例

現代社会における性的表現の規制は多岐にわたり、特にデジタルの領域では、プラットフォームが独自のガイドラインに基づいて行動を取っています。

以下では、性的表現がどのように規制されているかについて、具体的な例を挙げて詳しく解説します。

SNS

ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)は、ユーザーがコンテンツを投稿し共有する主要な手段であり、その性質上、性的表現に関する規制が頻繁に話題に上ります。

各SNSプラットフォームは、わいせつな画像やテキスト、ビデオコンテンツに対して独自のポリシーを設定しており、これらの規制を遵守しないユーザーには懲罰措置が適用されることがあります。

規制には多様な形がありますが、中でも最も厳しい処罰として挙げられるのが、アカウントの凍結でしょう。
投稿されたコンテンツがポリシーに反すると判断された際に、警告や一時的な機能制限を経て、最終的にはアカウントの完全な利用停止に至るのが通常のパターンです。

このような規制は、ユーザーが自己表現をする上で大きな制約となり、表現の自由に関する激しい議論を巻き起こしています。

生成AI

生成AI技術は、ユーザーの入力に基づいてテキストや画像などのコンテンツを自動生成する能力を持っていますが、その機能は規範にのっとって厳しく制限されています。
AIによって生成されるコンテンツは、特定のガイドラインに従う必要があり、過激なもの全般の生成は禁じられています。

過激なコンテンツの定義は広範に渡りますが、性的表現は重要な制限対象の一つとされており、生成AIを使用して性的なコンテンツを作成することは、多くの場合、許可されていません。

AIを利用するプラットフォームやサービスは、この種の規制を適用し、性的表現を含むリクエストにはサービスを提供しないようにプログラムされています。

クレジットカード会社

クレジットカード会社は、金融サービスの提供者としての立場からコンテンツプラットフォームに影響力を持っており、性的コンテンツの販売に関する圧力をかけることがあります。
これは、特定のコンテンツがそのカード会社のポリシーに反すると判断された場合に、決済サービスの提供を拒否するという形で表れます。

日本においては、たとえばアダルトコンテンツを扱うFANZAが、Mastercardによる決済を受け付けなくなった事例があります。
これは、クレジットカード会社がコンテンツの流通に対して持つ影響力の大きさを示しており、コンテンツプラットフォームを運営する上での新たな課題を生み出しています。

裸足も性的表現?

長らく、裸足は一般的に性的なコンテキストから外れた自然なものと見なされてきました。
特に裸足フェチのコミュニティにとっては、足の裸の状態を表現することは性的表現の規制の範疇には含まれず、そのため特に恐れることなく自分たちの好みを共有することができました。

しかし最近の動向を見ると、裸足の画像や言及が性的表現として扱われるケースが増えています。
これは、特定の性的嗜好に対する認識の変化や、性的内容に対する一般的な規制の強化が影響していると考えられます。

以下では、このような変化が具体的にどのような形で表れているのかについて、事例を紹介します。

X(旧Twitter)のシャドウバン

SNSプラットフォームであるX(旧Twitter)では、裸足の画像やイラストを投稿することが、性的表現としてシャドウバンの対象となる場合があります。
シャドウバンとは、ユーザーの投稿がプラットフォームによって隠され、他のユーザーのフィードに表示されにくくなる現象を指します。

裸足のアップ画像は、性的な意図を持って投稿されたと判断されることがあり、その結果としてシャドウバンにつながり得ます。

私自身の経験を言いますと、裸足に関するテキスト投稿や関連コンテンツのリポストだけでも、アカウントが凍結される事態に至りました。
このことは、裸ではなく裸足の表現をするだけでも、十分な注意が必要であることを示しています。

一連の現象は、SNSプラットフォームがどのようにユーザーのコンテンツを監視し帰省しているかについての洞察を与えるものであり、表現の自由の観点から見ると問題提起する価値があると言えるでしょう。

ChatGPTは裸足を性的な目で見ている

生成AIの代表格であるChatGPTは、性的満足を目的としたコンテンツの生成に関して厳格なポリシーを持っています。
それは裸足フェチ表現にも及んでおり、裸足に関連するテキストや画像をリクエストすると、コンテンツポリシーに反するという理由で、コンテンツの生成を拒否されることがあります。

もちろん、裸足そのものが常に禁止されているわけではありません。
たとえば、芸術的、教育的、または文脈上適切な場合には、裸足に言及することはごく自然に許容されます。

問題は、AIのアルゴリズムが「これは性的満足を目的としている」と判断するかどうかにあります。
その決定はコンテキストに大きく依存しており、同じ裸足でも、性的な目的を意図しているとAIが解釈する場合、リクエストは拒否されることになります。

面白いことに、手の表現に規制がかかっているのを見たことは一度もありません。
これはすなわち、ChatGPTは足を性的なものとみなすことがある一方で、手を性的なものとみなすことはないことを意味しています。
『ジョジョの奇妙な冒険』の吉良吉影にとっては、今のところChatGPTはまったくもって敵対的存在ではないということになるでしょうか。

いずれにせよ、AIが体の部位ごとに異なる認識をし、コンテキストを解釈することは、議論の対象に他なりません。
結果として、表現の自由とAIの規範的ガイドラインの間の緊張関係が浮き彫りになります。

裸足フェチはこれからどうなっていくのか

かつての私は、裸足フェチとしての嗜好を「無敵」とさえ思っていました。
世間が性的表現に対してどれだけ厳格になろうとも、裸足は単なる日常的な光景であるから規制されるはずがない、だからいくらでも性的な満足を生み出すことができる、と考えていたのです。

しかし、規制の嵐は予想以上に激しく、かつては無害とされた裸足の表現にまで及び始めているのが現状です。

現在進行形で規制の網が広がりつつあるこの状況は、私たち裸足フェチのコミュニティにとって、かつての楽観的な視点を見直すことを強いられる時代となっています。
残念ながら、性的表現に対する規制の厳格化は今後も続くと予想され、これまでの自由な表現が許容されなくなる可能性が高まっています。

このような状況下では、裸足フェチの人々は自らの性癖に新たなアプローチを生み出す必要があるかもしれません。
たとえば、アルゴリズムが「性的満足を目的としていない」と判断するような、より微妙でさりげない表現から興奮を引き出すように、感性を磨くのも対策の一つでしょうか。

性癖というものがどこまでコントロール可能なのか、その限界は明確ではありませんが、いずれにせよ私たちは、常に変化する社会の基準の中で、己を満足させる方法を模索し続けなければならないでしょう。

まとめ

性的表現としての裸足の規制について、ざっくりとですが掘り下げてみました。
一部の海外の法律が非常に厳しく、日本では海外プラットフォームの規制が顕著な問題となっていること。
SNSや生成AI、さらにはクレジットカード会社によるコンテンツプラットフォームへの圧力が存在することを見てきました。

そしてそれらが勢いを増すにつれ、裸足まで性的表現とみなされる傾向が生まれ、これが裸足フェチに及ぼす影響は無視できないレベルに達しています。

裸足フェチのコミュニティは、これまでの自由な表現が規制によって制限される可能性に直面しています。
その結果、私たちは自己表現の新たな方法を見つけるために創造性を発揮する必要があるでしょう。
これは単に趣味嗜好を調整する問題にとどまらず、表現の自由と規制のバランスを考える上で、重要な社会的議論を引き起こすものでもあると、個人的には考えています。

裸足フェチとしての将来は不確実であり、その道は厳しいかもしれませんが、私たちはそんな社会の中で、新しい興奮の仕方を見つけ、適応していかなければいけません。
お互いにこれからも、性癖を大切にしていきましょう。