天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

パソコン人間だけどパソコンがQOLを下げている気がしてきた

私はパソコンに取り憑かれた人間です。
もう随分前からパソコンと共にある生活を送っており、起きている時間は常に近くに「いつでもいじれるパソコン」がないと落ち着きません。
パソコンという道具の能力に対して絶対的な信頼を置いており、これをいかに使いこなすかでQOLが決まるのだ、という価値観をずっと持ち続けてきました。

しかし最近、その価値観が少し揺らいでいます。
パソコンの持つポテンシャルについては疑う余地もないのですが、それを使いこなせる力が人間の側に備わっているとは限らず、場合によってはパソコンのせいでQOLが下がってしまうこともある――そんな認識を強めつつあるんですよね。

本記事では、パソコンとQOLの関係について、最近思っていることを少し書いてみたいと思います。
独り言の延長のような内容ですが、よろしければお付き合いください。

パソコンは極めて高い生産能力を持っている

言うまでもなく、パソコンは万能に近い道具である、と私は考えています。
何かを生産したり、あるいは処理したりする際、個人レベルでこれほど効率的に物事を進められる道具は他にないでしょう。

最近はスマートフォンやタブレットの性能が飛躍的に向上し、それに伴ってパソコンとあまり接点を持たずに暮らす人が増えている、なんて話も耳にします。
ですが、私から言わせれば、それは正直もったいないと思うんですよね。
同じことをスマホやタブレットでやろうとするのと、パソコンでやるのとでは、効率がまるっきり違うからです。

これは私がまあまあ古くからのパソコンユーザーだから、という贔屓目で言っているわけではありません。
キーボードによる入力効率、マルチウィンドウによる作業の並行性、そして純粋な処理能力。
これらにおいて、スマホやタブレットがパソコンに太刀打ちできるものではない、というのは紛れもない事実なのです。

そういう意味では、パソコンはQOLを高める上で必須とも言えるアイテムであり、もしご自宅にないという方がいらっしゃるなら、絶対に一台は購入するべきだと強く推奨したいところです。

しかし、話はここで綺麗に終わらないのが、物事の難しいところなんですよね。

パソコンは極めて高い時間浪費能力も持っている

前項で、私はパソコンを「万能に近い道具」「極めて高い生産能力と処理能力を持つ」と書きました。
それは嘘偽りない真実であり、私は本気ですべての人間が「パソコンと共にある生活」を送るべきだとさえ思っています。

しかし、だからといってパソコンがただただ純粋にQOLを上げてくれるかというと、そうとも言い切れない側面があるのです。
どういうことか。それは、パソコンが時間を浪費するためのあらゆることも、これまた非常に便利にできてしまうからに他なりません。
パソコンは、最強の時間泥棒という、もう一つの顔を持っているのです。

ここでポイントとなるのが、パソコンがマルチタスクに非常に強い、という点です。
どんなに集中して作業をしていたとしても、画面の片隅には常に通知が表示され、ワンクリック、ツークリックすれば、すぐにYouTubeやSNSの世界にアクセスできてしまう。
その誘惑たるや、凄まじいものがあります。

パソコンは、私たちの人生における生産的な部分だけを都合よく拡張してくれるわけではないのです。
私たちが持つ怠惰な部分についても、起動させている限り、常に横から突っついてくる。
そういう厄介な道具でもあるんですよね。

その生産性と怠惰、どちらが勝つのかは、ひとえにユーザーの人間性に委ねられています。
自制のきく、いわゆる「できる人」であれば、極めて生産的にパソコンと長時間付き合うことができるのでしょう。
しかし、残念ながらそうでない場合には、せっかくのポテンシャルもポテンシャルのままで終わり、気がつけばどこまでも時間だけが溶けていってしまう、という悲しい事態に陥るわけです。

とあるパソコンつけっぱなし完全在宅ワーカーの実態

私は完全在宅のWebライターとして生計を立てています。
最近はどうにも不景気で厳しい状況ですが、なんとかこの仕事でもうしばらくは粘りたいと考えているところです。

私の朝は、まず最初にパソコンをスリープから復帰させることから始まります。
基本的にパソコンをシャットダウンさせる習慣がないので、スリープからの復帰が、私にとっての一日のスタートの合図なのです。

そして、それから就寝するまで、パソコンはずっとつけっぱなし。
近所のスーパーに買い出しに行くときも、もちろんそのままです。
ごくたまに数時間の遠出をするときを除けば、自宅にいるあいだは常にパソコンが起動した状態にあります。

この生活の良いところは、とにかくいつでも好きな作業ができることでしょう。
何かを書きたい、調べたいと思ったその瞬間に、起動時間を待つ必要もなく、パソコンデスクに向かった瞬間から作業を開始できる。
この環境は、非常に快適です。

しかし、前項で解説した通り、そのことが有意義な方向にのみ作用するわけではありません。
パソコンが常に起動しているということはつまり、いつでもYouTubeやSNS、その他ネットサーフィンの類にどっぷりとはまり込んでしまえる、ということでもあるからです。

ここで自制心が試されるわけですが、私の場合どうかというと……恥ずかしながら、日々、誘惑に負けまくって過ごしています。
もちろん、最低限の仕事はこなします。クライアント様との約束は守ります。
ですが、それ以上のこと、たとえば義務ではないまとまった情報発信や、将来のための自己投資的なことがパソコンでできているかというと、残念ながら、あまりできていないのが実情なのです。

むしろ、パソコンが常に起動しているせいで、QOLが下がっている面すらあるのではないか、と感じています。
本来であれば読書などに時間を割くべきところを、ついダラダラとネットを見て過ごしてしまい、貴重な機会を失ってしまっているからです。

パソコンから離れて何かする時間を設けるべき?

パソコンは万能に近い道具であり、とにかく使い倒すべきだ、という基本的な考えに変わりはありません。
しかし、「結果として」パソコン使い放題の毎日が私にもたらしているものは、決して生産的とは言えない時間である気がしてならないのです。

そこで最近考え始めたのが、ここはひとつ、パソコンから意識的に離れて何かをする時間を積極的に作っていくべきなのではないか、ということです。
要するに、パソコンをあえてスリープさせて「パソコンを使えない」状況を作り出し、違うことをせざるを得ない時間を一定量確保してはどうか、という試みですね。

もちろん、パソコンの恩恵を受けられなくなるわけですから、生産性のポテンシャル、という点では下がることになります。
しかし、そのポテンシャルがポテンシャルのままで終わっている現状を鑑みるのであれば、むしろあえて「不便な時間」を作った方が、結果的には有益な時間を過ごせるのではないか。そんなふうに思うのです。

たとえば、私は趣味で小説を書く人間なのですが、このところまったく筆が進んでいません。
幸い、私には「ポメラ」というテキスト入力専用機があります。
パソコンをスリープさせてポメラに向かうことで、余計な誘惑を断ち切り、コツコツと毎日数千文字ずつ作品を書き進めていけるのではないか。
そんなビジョンを描いています。

パソコンとは本当に長い付き合いになりますが、ここにきて「距離を置くことによる生産性向上」という、逆の方向から自分の生活を改善していくべきなのではないか、と発想し始めたわけです。

外に出る仕事とのダブルワークを考え始めた

そう考えていくと、そもそも完全在宅のWebライターという仕事形態そのものが、QOLを下げる一因となっているのではないか、という発想に至ります。

世間では最近、複数の職業で生計を立てる、いわゆる副業ならぬ「複業」、すなわちダブルワークがブームのようになっていますよね。
それに乗る形で、何かしら外に出て人と接するような仕事も始めた方が、広い意味で人生がもっと豊かになるのではないだろうか、と。

もちろん、話はそう簡単ではありません。
私が完全在宅の仕事を選んだのは、何を隠そう、外で働くことが死ぬほど苦手だからです。
その苦手意識は、そう簡単に克服できるものでもないでしょう。

しかし、だからこそ、です。
一皮むける狙いも含めて、今がパソコンから(そして、パソコンと一体化した自宅という空間から)一部抜け出すべきときなのではないか?
そんなふうに思ったりもする今日この頃なのです。

これは現時点では、あくまでも「ふとした思いつき」のレベルであり、実際にそこまで思い切った行動に出ることになるかは、まだわかりません。
しかし、「パソコンからあえて離れてQOLを上げる」というビジョンのもと、自宅での仕事と外界での仕事、そのダブルワークにチャレンジするのは、まあまあ理にかなっているのではないか、という思いは日に日に強くなっている次第です。

おわりに

ここまで、パソコンに取り憑かれた私が、最近抱いているパソコンとQOLの関係についての葛藤を、独り言のようにつらつらと書き連ねてきました。

パソコンが持つ圧倒的な生産能力は疑いようがなく、QOL向上のための強力なツールであることは間違いありません。
しかしその一方で、最強の時間泥棒という側面も持ち合わせているため、使い方を誤れば、かえってQOLを下げてしまう危険性も孕んでいます。

私自身、パソコン常時起動の在宅ワークという環境の中で、その誘惑に抗えず、時間を浪費してしまっている現状があります。
だからこそ今、あえてパソコンから離れる時間を作り、さらには外での仕事という新たな可能性も視野に入れることで、この「パソコンとの付き合い方」を再構築し、より豊かな人生を目指すべきではないか、と考え始めているのです。

この独り言が、同じような悩みを抱える方の、何かのヒントになれば幸いです。