天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

完成まで時間のかかる大きな作業を本気で小分けにするには

よほど例外的な人生を送っているのでない限り、完成までにまとまった時間を必要とする作業を経験することがあるかと思います。
そしてそれがすごくしんどい作業であることを、ほとんどの方が痛感しているのではないでしょうか。

そういう大きな作業をするときのコツとして、「一つの作業と考えるのではなく小分けにして考えろ」というのがよく言われます。
これは非常に有効なライフハックのように語られがちで、少なくとも私がこれまで観測してきた範囲では、ほとんど必殺技のように扱われていました。
しかし個人的には、「そんなこと言われても」というのが正直な気持ちだったりするんですよね。

今日はそのあたりについてちょっと書いてみたいと思います。

なかなかゴールが見えない大きな作業はしんどい

改めて書くことでもないかもしれませんが、完成までに時間がかかる大きな作業をするのは本当にしんどいものです。
その理由は言うまでもなく、なかなかゴールが見えてこないことにあります。
1時間で終わる作業を「なんだかんだで」100個こなすのと、100時間かかる作業を1個こなすのでは、心理的な負荷がまるで違います。
これは実際の作業内容のつらさの問題ではないんですよね。

どうして完成までに時間がかかる作業がしんどいのかといえば、「今から自分がやらなきゃいけない作業」のイメージが大きいからでしょう。
実際には作業の規模に関わらず1日にできることをコツコツこなせば良いわけですが、大きな作業を始めるときにはそういう心理にはなりません。
100時間かかる作業であれば、それだけの道のりが自分の目の前にあることを想像してしまい、ものすごい重労働をこれからしなきゃいけないという気持ちになるわけです。

面白いことに(面白くはありませんが)、この気持ちは自分がやりたくない作業だけに発生するものではありません。
自分がやりたいから始めた作業であっても、ゴールまでの道のりが長いと同じような気持ちになってしまいます。

そしてこのしんどさが何に繋がるのかというと――腰が重くなってしまいなかなかスタートを切れない、というたちの悪い現象に繋がってしまうんですよね。
そのようにして、多くの人間がでっかいプロジェクトを前に立ち止まってしまい、結局成果物を生み出せないという結末を迎えるか、あるいはどうしても避けられないものの場合、締め切り直前に地獄を味わうことになるわけです。

実際の作業量とは関係なく、単位の大きい作業は、単位が大きいという事実だけで達成までの難易度爆上げしてしまうわけです。

解決策としてのスモールステップと、その難しさ

そんな規模の大きな作業をこなすための手段としてよく言われるのは、スモールステップです。
しかし冒頭でも書いた通り、それは言われているほど簡単なことではありません。

作業を小分けにして、小さな達成感を増やすべし

スモールステップとは要するに、一つの大きな作業を、いくつもの小さな作業に小分けすることです。
そうすることで、無数のスタートとゴールがある状態を作り、例えば毎日最低1回ずつは小さな達成感を味わえる状態を作ろうというわけです。

これは理屈の上では間違っていません。
というより、規模の大きな作業に立ち向かうための解決策としては、ほとんど唯一の候補と言えるかもしれません。
確かに、もし本当に一つの大きな作業を無数の小さな作業に小分けできるのであれば、あまりにもゴールが遠すぎるせいで腰が重くなってしまうこともなくなります。
むしろ毎日の作業が楽しいものとなり、ゲーム感覚で一つ一つのステップをこなしているうちに、いつの間にかものすごく高い山を登っていた、みたいな現象が起きるでしょう。

しかし(ご存知かもしれませんが)、話はそう簡単ではありません。
スモールステップを実現する上で、避けては通れない難問があるからです。

小分けした単位に本気になるのは難しい

スモールステップを実現する上で避けては通れない問題、それは「小分けにした単位に本気になるのは難しい」ということです。

巷のライフハック曰く、例えば100時間かかる1個の作業を、1時間で終わらせられる100個の作業と考えることで、小さな達成感を繰り返し味わうことができ、ゲーム感覚で目標達成に向けて進んでいけるのだそうです。
しかしここには、あまり言及されることのない重大な条件があります。
それは「小分けした単位に対して本気にならなければ狙い通りに機能しない」ということです。

100時間かかる1個の作業を、1時間で終わらせられる100個の作業と考えるというのは、身も蓋もない言い方をするのであれば「単なる設定の問題」ですよね。
実際には作業自体に何か変化があるわけではなく、作業をする自分の側に変化を起こして、一種の錯覚を作り出す作戦なわけです。
この錯覚というところがポイントで、少なくとも作業中はかなり本気で「これはたった1時間の作業なのである」と考えることができなければいけません。

しかし、ぶっちゃけそれって無理じゃありませんか?
そもそも「この作業を小さな作業に分割して考えよう」ということを頑張ろうとしている時点で、その作業が本当はでっかいものであるということをめちゃくちゃ意識しているわけです。
むしろ、小さな作業に分割しなきゃと考えれば考えるほど、その作業が本当は大きなものであるということに対する恐れのようなものが心の中で増していきます。
逆効果ですらあり得るんじゃないかと思うのです。

「100時間かかる1個の作業、1時間で終わる100個の作業に分割しよう」と決めて、本当に自分の気持ちをその設定に従わせることのできる人間がどれだけいるのでしょうか。
実のところそんな人間はいないんじゃないかと、私としては考えてしまうんですよね。

大きな作業を小分けにし、それらに本気になる方法 by ChatGPT

大きな作業を小さな作業に分割し、それらが小さな作業の集まりであると本気で思い込むことのできる方法が、果たしてあるのでしょうか。
私にはちょっと思いつかないので、今回ChatGPTに質問を投げてみました。
以下はChatGPTが回答してくれた内容です。文章もそのまま掲載します。

区分けの理由を明確にする

作業を小さな単位に区分けする目的を明確にし、それを意識することが重要です。たとえば、区分けの理由として「進捗を可視化する」「モチベーションを維持する」「疲れを防ぐ」などを挙げると、それぞれの小さなタスクにも意味を見出しやすくなります。これにより、区分けが単なる便宜的なものではなく、全体の成功に不可欠なステップであることを理解できるようになります。

区分けしたタスクに具体的な成果を設定する

各タスクに具体的で達成可能な成果を設定し、それを達成することで得られる利益を明確にします。例えば、「この部分が完成すれば、全体の作業時間が短縮できる」「このステップが終われば、次のステップがスムーズに進む」といった具体的なメリットを考えます。具体的な成果が見えることで、達成感を感じやすくなります。

タスクを達成したら小さな報酬を設定する

タスクを完了するごとに、自分に小さな報酬を与えることを習慣化します。例えば、「30分休憩を取る」「好きな飲み物を飲む」「短い散歩をする」などです。報酬があることで、各タスクの達成が楽しみになり、モチベーションが維持しやすくなります。

進捗を記録して振り返る

日々の進捗を記録し、それを定期的に振り返ります。たとえば、1週間ごとに自分の進捗を確認し、どれだけ進んだかを視覚的に確認することで、達成感を感じやすくなります。進捗記録には、チェックリストやプロジェクト管理ツールを使用すると便利です。

外部のサポートを活用する

友人や同僚、コーチなどに進捗を報告し、フィードバックをもらうことで、モチベーションを高めます。外部からの承認や励ましがあると、自分の達成感を感じやすくなります。また、他人に進捗を報告することで、自己責任感も高まり、区分けしたタスクに対しても本気になりやすくなります。

大きな目標をビジュアル化する

大きな目標をビジュアル化し、全体像とその中での各タスクの位置づけを明確にします。例えば、プロジェクト全体のフローチャートやガントチャートを作成し、各ステップの進行状況を視覚的に把握します。ビジュアル化することで、各タスクが全体の進捗にどう寄与しているかがわかりやすくなり、達成感を感じやすくなります。

メタ認知を一時的に封印するスキル

ChatGPTの回答、皆さんはどう思われましたか?
私の感想はただ一つ、「だから、そんな戦略を考えれば考えるほど、大きな作業であることを意識してしまうんですってば」です。
はっきり言って、全くしっくり来ません。

込み入った戦略を立てること自体が、結局これは長時間作業をするためのやり取りなんだという意識をより強固にしてしまう。
このことを解決する方法がない限り、込み入った戦略をいくら考えたところで問題解決にはなりません。
ChatGPTにはその辺の発想がどうやら全くないようです。

スモールステップを考えている最中に「でも本当は大きな作業に立ち向かおうとしているんだよな」と考えるのは、一種のメタ認知だと思います。
自分は今、自分をだまそうとしているのだ、というのを客観的に見つめているわけですね。
メタ認知自体は悪いことではなく、むしろ多くの場合においては、物事を良い方向に導くために必要な要素であると言われます。
しかし、ことこの場面に限っては、メタ認知は邪魔者でしかありません。

本当は大きな作業である、という事実をねじ曲げようとしている自分について、一時的にメタ認知を封印することはできないものでしょうか?

一つ答えに近いものがあるとしたら、ゴールに到達することを本気で諦めるということが挙げられるでしょうか。
例えば、「10分作業したら絶対にやめるぞ」と固く決心して臨み、本当に10分だけの作業で止めてしまう。
あるいは、作業を始めることで作業興奮(人間の脳は作業を始めるとそれに没頭するようにできています)が立ち上がらなかったら、本当に作業を止めてしまう。
ゴールに到達するためのプロセスとしての小さな作業を、単なる設定・名目ではなく本当のことにしてしまうわけです。

しかし、これは言うまでもなくリスクを伴っています。
何しろゴールに到達することを本気で諦めるわけですから、気持ちが楽になることと引き換えに、期限までにその作業が終わらない可能性が出てくるわけです。
本当の本当に小さな作業の集合体に分割するというのは、そういうことですよね。
大きな作業の最大のアイデンティティである「ゴール」を解体しなければ、本当に作業を分けることはできませんので。

でもこれ以外に、今の私にスモールステップを「本当に」実現する方法は思いつきません。
どうしたものでしょうね。

おわりに

というわけで、少なくとも現時点の私には、完成までに時間のかかる作業を真の意味で小分けする方法は思いつかないのでした。

このようなことをダラダラと書いている時点でばれているかもしれませんが、私は非常に腰の重い人間です。
完成までに長い時間がかかることをほんのちょっとでも意識しただけで、めちゃくちゃ腰が重くなり、なかなかその作業を始められなくなってしまいます。
今回の記事においては「100時間かかる作業」を例として使い回しましたが、その10分の1の10時間ぽっちの作業ですら、私の腰を重くするには十分すぎます。

実のところ、私がフットワーク軽く取り組める作業規模(時間)の限界は、最大でも20分くらいで終わるものですね。
それ以上かかる作業については、なかなか思い描いた通りのペースでこなすことができません。
例えばこのブログ記事も、書こうと思い立ったのはずいぶん前のことなのですが、実際にこうして執筆するまでに長い時間がかかってしまいました。
本当に書きたくて仕方がなくなるまで、手を出すことができなかったわけです。

結論。大きな作業をこなすのは本当に難しい。
素晴らしい解決策を示すことができなくて大変申し訳ありませんが、この難しさには生涯かけて挑まなければならないのだろうなと思います。

皆さんは普段、大規模な作業をこなすにあたって自分の心の持ちようをうまく設定するコツを、何か持っておりますでしょうか?
もしそのようなものがあったら、どしどしコメントなどお寄せいただければと思います。