今日は、時間の確保をテーマに、少し書いてみようと思います。
昔と比べて、世の中は遥かに便利になったはずなのですが、私達の暮らしに時間的な余裕が生まれる気配は一向にありません。
むしろテクノロジーの進歩によって「言い訳できなくなった」ところがあって、逆に追い立てられる日々になったような気もします。
だからこそ、時間の使い方は大切。その辺について掘り下げていきましょう。
時間は自分で作るもの
「時間というのは、自分の手で作るものだ」
昔から、こういう言葉をよく耳にします。あなたも、こういう発言をしている人にどこかしらで出会ったことがあるのではないでしょうか。
もちろん、文字通りの意味で時間を発生させることはできませんから、この言葉の意味は次のような感じになります。
「時間の余裕が欲しいのであれば、自らの工夫によって確保せよ」
正直、私はこの言葉があまり好きではありません。
もう少し正確に言うと、この言葉を発する人をタイプ的にあまり好きになれないことが多い、という風になるでしょうか。
発言者のニュアンスから、どこか「持てる者の傲慢さ」みたいなものを感じてしまうというのが、その理由です。
「自由時間のない奴は、要するにダラダラ生きている駄目な奴なのだ」と言いたがっているように聞こえるんですよね。
人それぞれ、いろいろな事情があって、そういうことを一概に言うことはできないはずにもかかわらず。
しかし現実問題として、1日を24時間以上にすることは誰にもできません。
時間(可処分時間)が欲しかったら、確かにそれ以外の時間をやりくりして、自力で確保する以外にはないでしょう。
彼らの言うことをそのまま飲み込むのは若干癪に障るところがあるのですが、こればかりは仕方のないところです。
というわけで、以下ではそのためのコツについて、私なりに考えた3つのことを紹介・解説していきたいと思います。
その1:隙間時間用の作業を常備しておく
世の中にはいろいろなタスクがあり、それぞれに固有の性質があるわけですが、それらの多くには、大なり小なり隙間時間というものが存在します。
あるアクションを取った後、相手の反応を待ってからでないと次のアクションが取れない、といった事情から生まれる、小さな隙間ですね。
そういうのは大抵、こちらの事情で詰めることのできないもので、それゆえに「全体として忙しいのに、一時的に物凄く暇になる」みたいな現象がしばしば起きます。
そういう時間を小休止に使うのもよいですが、何かべつのタスクで埋めることができれば、積もり積もって馬鹿にならない時間を稼ぐことができますよね。
そのためにすべきなのが、そういう目的専用の小さなタスクを常備しておく、というライフハックです。
普段から、自分がこなすべきことの詳細を細かくチェックし、その中から「すぐ始められて、すぐ終えられるもの」を(観念的な意味で)抜き出しておくのです。
そうすれば、隙間時間が発生し次第、そこに少しずつ滑り込ませて、細切れに消化していくことができるようになるわけです。
受験勉強において、単語帳を使って必死に英単語を暗記するのはお約束ですが、あれなどは最初からタスクのほうが細切れになっていて、特に工夫せずとも隙間時間を活用できる例の、最たるものですよね。
あの単語帳のような存在を、自分の意思で大きなタスクの中から上手く括り出すことができれば、同じような時間の有効活用が可能になる――そういう戦略です。
ここで注意すべきは、メインの作業と隙間時間の作業が脳みその中で衝突し、いわゆるマルチタスク状態になってしまわないようにすることです。
人間の脳はマルチタスクに向いていないばかりか、一説によればそれによってダメージを負うこともあるのだとか。
それに該当するような、こんがらかったことはすべきではありません。
片方の作業が、もう片方の作業のちょうど良い箸休めになるような組み合わせが望ましいですね。
その2:やるかどうかで迷わない
2つ目は、そのタスクに着手する直前の時間から、一切の迷いを排除することです。
これはつまり、事前に(例えば前日までに)しっかりと予定を組んでおき、それを実行する際には「現在の状況」等を考慮することを放棄しよう、という意味です。
言葉は悪いかもしれませんが、日々の大事なタスクをこなすにおいて、ある意味で「思考を捨てたマシンと化して生きる」ことを目指すのです。
状況というものは刻一刻と変化するものですから、予定を立てたときに想定していたかたちで物事を進めることができるとは限らないのが現実です。
場合によっては、まったく想定することのできなかった非常事態に陥ってしまい、予定もへったくれもなくなってしまう、ということもあるでしょう。
その状況があまりに深刻だったら(天災とか病気とか)、もちろん予定を変更するのもアリだとは思います。
しかしそこまでの話ではない、些細な状況の違いであるならば、そんなものは無視して、ある意味での思考停止をして、元々の予定通りにさっさと手を動かすべきなのです。
そこでちょっとでも「いや待てよ」という心の声が発生してしまうと、迷いが生じます。
あんまり気持ちが乗らないので、先送りしたほうが良い結果に繋がるのではないか。明日に伸ばしても特に問題はないのではないか――などなど。
そういう迷っている時間が、トータルで見れば何よりも勿体ない時間なんですよね。
そんなものは排除して、無心で着手してしまうのが、結局はいちばん得なのです。
その3:睡眠時間は削らない
たくさんのタスクをこなそうと思うと、しばしば精神が肉体に逆らおうとする時間が出てきます。
いわゆる「無理をする」というやつですね。
その最も顕著な例が、睡眠時間を削って、少しでも作業量を多くしようという行動でしょう。
ですが、これは明白にNGな選択です。
第一に、健康を著しく損ないます。即効性の毒ではないので、最初のうちは自覚できないでしょうが、睡眠不足はとんでもなく有害であることが、科学的にわかっています。
あまりに「頑張る」ようなら、普通に突然死まで考慮しておく必要があるでしょう。実際、そんな風にして早死にしてしまう人というのは、忙しい職種においてはちっとも珍しいことではないのです。
死んでしまっては元も子もありません。
第二に、それだけ無理をして頑張っても、睡眠不足だとトータルの生産性が著しく低下し、結局は思ったほどのものを生み出せない、という現実です。
まあ、極めて単純かつ安全な作業であればその限りではないのでしょうが、だいたいの作業はそれなりに複雑であったり、油断すると危険なものだったりします。
そういうものに対して、睡眠不足の頭で挑むのは、まったく賢いやり方ではない――ということが、これまた科学的に証明されています。
考えるべきは、「起きているあいだをいかに充実させるか」なのです。
人としてちゃんと生きていたかったら、食事と運動と睡眠を削るのは、絶対にやってはいけないこと。
これは誰しもが肝に銘じておくべきことでしょう。
「無駄な時間を過ごさない」は難しい
こういうテーマで語る際には、「無駄な時間を過ごさない」というのを真っ先に挙げる人も結構いるのではないかと思います。
確かにそれは言説としてとても親しみやすく、言われた側にも「そりゃそうだよな」という納得感が生まれやすいものでしょう。
しかし、私はこれを主張することには、ためらいがあるんですよね。
というのも、実際に「自分の人生の何が無駄で、何がそうではないのか」を真剣に考え始めると、その答を出すのがかなり難しいことがわかってくるからです。
例えば、いわゆる「ぼーっとしている時間」を考えてみましょう。
一見すると、これは真っ先に削るべき時間に思えます。しっかりとスケジュールを組んで、こういう時間が発生しないようにすることが、時間管理の基本のキであるように感じるのは、私も同じです。
ですが、その「ぼーっとしている時間」が、実際には後の生産性のためのとても大切な休憩時間だったり、あるいはそういう時間を置いているから浮かぶアイディアがあったり、といったことが、十分考えられるのです。
何が何に結実するのか、というのはとても複雑な話で、簡単に特定の時間を価値なしと断じることはできないのです。
そういうことを考えると、要らない時間を探して消していく、というのを優先的に考えるのは、ちょっと危険かなと思うわけです。
なので当記事では、「無駄な時間を過ごさない」という考え方は非推奨にしようと決めました。
まずは先述の3つのことに気を配って、そちらの方向から充実を図るべきだと、私は考えますね。
おわりに
何だか、とても偉そうな記事になってしまいましたが、実のところ、これらはすべて自分に言い聞かせているものだったりします。
特にここ最近、立てた予定をきちんとこなすことができておらず、タイムマネジメントというものを根本的に見直す必要があるなと、強く思っていたところなのです。
それで、自分自身の生活を再検証するついでに、誰かに役に立てるかもしれないものを生み出したいと思い、このような記事を書いてみた次第です。
お互い、限られた貴重な時間を生きているわけですから、それを大切に使っていきたいものですね。
タイムイズマネーと言いますが、時間はお金どころか命そのものと言ってもいいくらい価値のあるもの。
何とか上手くやりくりして、やりたいことをやれる時間をしっかり設けたいものです。