当ブログに何度も来てくださったことのある方はご存知のことと思いますが、私は生粋の裸足フェチです。
物心ついた頃から、裸足というものに対してずっと特別な感情を抱いてきました。
私のアイデンティティの結構大きな部分を占めている……という言い方も、まんざら大袈裟ではありません。
小さい頃は、そのことで自分がものすごく特殊な存在に思えたのですが、成長するにつれて……というかネットをやることで、少しずつ認識が変わってきました。
同好の士は、世の中にそれなりにいるんですよね。
私と同じように「裸足大好き!」という方から、そこまで自覚的でなくとも「裸足ってなんかいいよね」レベルの方まで、在りようは様々ですが、ひと角の勢力を形成していると言っても過言ではない感じです。
嗜好を共有できる人が比較的容易に見つかるのは、シンプルに嬉しいことですね。
というわけで(?)、今日はそんな裸足フェチ達の「あるある」について、思いついたものを列挙していきたいと思います。
- 本の表紙の裸足に(勝手に)騙される
- スニソは詐欺だと思っている
- 「靴下以外全裸」はアホだと思っている
- 見切れた裸足にむせび泣く
- 靴を脱いで上がる場所で周囲の人間の足元を調査する
- 学生時代にプールと大雨は神の恵みと思っていた
- アニメで靴下描き忘れの作画ミスに目ざとい
- おわりに
本の表紙の裸足に(勝手に)騙される
ここで言う「本」というのは、あらゆるジャンルのものを含みますが、私の中にあるイメージとしては、特に漫画とライトノベルでしょうか。
本の表紙って、結構な率で綺麗な女性がいますよね。
それはモデルさんだったり、イラストだったりするのですが、そんな彼女達は、しばしば裸足だったりします。
シチュエーションはいろいろあって、例えばプールサイドだったり川辺だったり、自室っぽい部屋だったり。
それでつい、中身にも何らかのかたちで裸足の出番があることを期待して、その本を買ってしまうのですが……いざ読んでみると、内容的にはまったく裸足要素ゼロなことが、結構多いという。
これは私のような人間からしてみると、なかなかのトラップであると言えます。
先述したように、特に漫画とライトノベルがそうなんですよ。
表紙でヒロインが裸足姿で描かれていることがとても多いのです。
ところがそのほとんどは、あくまでもイメージとしての裸足であって、実際に中身を読んでみると、そのヒロインが裸足になっているところなんて一瞬も出てこない、ということがよくあるんですよね。
「イメージとしての裸足姿」が多いということは、世間的に、フェチまで行かない人でも「裸足の女性に美を感じる」のは普通であるということなわけで、そのことは嬉しいです。
しかし、フェチの業というか……期待してしまうわけですよ。それが「そういうキャラデザインである」ということを。
そしてつい手を出し、後でがっくり肩を落とすことになるわけです。
もちろん私にだって学習能力はあるので、今では表紙にどんなに魅力的な裸足女子がいても、それだけで即購入、ということはしません。
しばらくその本に目をつけておいて、いつの日かどこかから情報が入るのを待つ、というような戦略を採っています。
ちなみに最近そんな感じでロックオンしているのが、以下の2冊の漫画。
もし情報をお持ちの方がいたら、内容にも裸足要素があるのか否か、教えていただけると嬉しいです。
スニソは詐欺だと思っている
スニーカーソックスが本格的に流行り始めたのは、いつ頃だったでしょうか。
よく覚えていないのですが、気がついたら日本中で普通に使われるようになっていました。
靴下は履いておきたいが、足は長く見せたいとか、できるだけ涼しい恰好をしたいという人には、さぞ重宝するものなのだろうと思います。
実際のところ、スニソが流行って以降、脚線美を楽しむことができる割合そのものは増えたように思いますし、それは残念なこととは思いません。
なのですが……裸足フェチとしては、やっぱり次のように考えてしまうのです。
「この人は裸足だ、と期待した人が、いざ靴を脱いだらスニソを履いていたときのガッカリ感が、お前らにわかるか!?」
「スニソなんてものがなければ素足で靴を履いていたかもしれない子が、スニソの存在によって決して素足履きしなくなってしまうケースが多発! これは侵略だ!」
いや、過激な上にズレていることは百も承知なのですが、でもこういうのが、偽らざる本音だったりするわけですよね。
まあリアルならまだ「仕方ないかな」と思えるんですよ。素足履きはいろいろとケアの問題もありますし。
でも漫画やアニメ等の世界で、美少女キャラが素足履きだと思ったらスニソを履いていました――みたいなことがあると、ほんの一瞬ですが、憎悪のようなものが内心に芽生えてしまうんですよね。
「……どうしてこういうことするん?」みたいな。
まあ、これもフェチの業というやつです。
「靴下以外全裸」はアホだと思っている
えっちいコンテンツによくある姿として、「靴下を残してあとはすっぽんぽん」というのが見られますよね。
これには一定の需要があるようで、昔からずっと生き残っている表現方法です。
靴下が残っている、というところにはどうやら重要な意味が含まれているようで、それを好む向きが見せる、その点へのこだわりは、相当に強いものであるように観察されます。
私は多様性を大切にしたいと考えている人間なので、世の中にいろいろな性癖が溢れているのは、実に結構なことだと感じます。
あくまでもそれを前提とした上で、私自身の感覚として述べさせていただくわけですが――。
靴下だけ残すって、アホですよね。完っ全に正反対じゃないですか。
がっちり着込んだまま靴下だけ脱がす、のほうが断然素晴らしいじゃないですか。
まあ、こればかりは完全に理解し合うのが不可能なところなので、お互いがお互いを「そういうものなのだ」と認識し、それぞれで楽しくやっていくしかないところではあります。
冷静に分析するなら、「靴下以外全裸」という恰好には、突出した非日常性が宿っているので、そこが長所なのかな、みたいなことは思います。
その点で言うと、靴下だけ脱ぐというのは日常生活でもあり得るシチュエーションで、「ならでは」な要素は薄めですからね。
しかしなあ……靴下を履かせたままで、何が楽しいんだろうなあ……。
見切れた裸足にむせび泣く
写真にもイラストにも共通することですが、女子がそこにいて、文脈や足首までの肌色から考えて、明らかに裸足でいるのに、肝心の足首から下が見えないものってありますよね。
いわゆる「見切れている」というやつです。
こういう作品を見ると、制作した人に対して、ものすごく複雑な感情が芽生えてしまうんですよね。
その作品が全体としては優れたものであればあるほど、「どうしてここで裸足を切ったんだ」という思いに打ちのめされるのです。
特にイラストの場合、描こうと思えば素晴らしい裸足をいくらでも描けるイラストレーターさんが、そういうことをするのが本当にしんどい。
いや、勝手にしんどさを感じているだけなのですが、とにかくしんどい。
最近それを感じたのは、森倉円さんのこのイラストでしょうか。
もうすぐ夏休み!🍉🌴🍧 pic.twitter.com/2Dh7iz9Bzp
— 森倉円@初画集発売中 (@morikuraen) July 13, 2019
制服裸足という究極のシチュエーションを描いておきながら、こういう切り方をやってのけるのか……と、軽く戦慄したのを覚えています。
靴を脱いで上がる場所で周囲の人間の足元を調査する
これ、やりますよね。
もちろん、あからさまに周囲をジロジロ見つめるのは不審者のそれですから、そういうことは控えます。
代わりに、自身を高精度センサーに変えて、一瞥のかたちで瞬間的にあたりをスキャンするのです。
その結果として、視界の範囲内に裸足の女子がいたら、あとは心ゆくまでその足元を拝見させていただくという……いや、言葉にするとえらくキモいですが、はい。
まあ、ありがたみという意味では、靴を履いているべき場所で靴を脱ぐ人のそれに比べると落ちるのですが、それでも裸足が拝めるのは本当に素晴らしいこと。
季節によっても見られる度合いは変わるところで、これを書いている今は「これからだんだん見られなくなっていくなあ」という感じで、ちょっと寂しいです。
逆に言うと、そういう寒い季節に見られる裸足には、夏の数倍の尊さが宿るんですけどね。
学生時代にプールと大雨は神の恵みと思っていた
学校に通っていて、裸足が見られる2大イベントと言えば、「プール授業の後」と「大雨が降った日」です。
この2つのシチュエーションは、裸足フェチにとってはほぼ全員に共通する天国と言えるのではないかと思われます。
普段は決して裸足を晒したりしないあの子やあの子が、教室という規律正しくあるべき空間でそれを露わにしている。
しかも授業中、まるで人の目を盗んでイタズラをするかのように、もぞもぞと上履きを脱いで、他の状況では決して見ることのできない足の裏を晒してくれる。
これを天国と言わずに、何を天国を言うのでしょうか。
個人的には、大雨の日のほうが、シチュエーション的には興奮するものがあります。
家を出るとき、すでに大雨で靴下が濡れるのはわかっていることなのに、替えの靴下を持たずに登校しているわけですよね。
これはつまり、「今日は裸足で過ごそう」という明示的な意思決定がそこにあるわけなんですよ。
その文脈を想像できるぶん、興奮度ではこちらに軍配が上がるかな、というのが私の意見です。
アニメで靴下描き忘れの作画ミスに目ざとい
アニメをよく観る人ならご存知だと思うのですが、アニメには作画ミスがつきものですよね。
描かれているべきものが描かれていなかったり、あるいはデッサンが狂っていたり。
そんな中でもよくあるのが、キャラクターの靴下を塗り忘れ、見た目が素足履きになっているというミスです。
メインキャラクターではほとんど起こりませんが、モブがたくさんいるカットでは、画面の端っこに描かれている小さなモブがそれを起こしていたりします。
裸足フェチのアニオタは、これを絶対に見逃さないんですよね。
「お、靴下履いてないキャラ発見! たぶん作画ミスだろうけど、どうせ名もなきモブだし、自分の中では素足履きということに決定!」
みたいなことを考えて、一人で喜ぶわけです。
私などは、いっそモブ女子は全員素足履きでいいよ、などと普段から考えている次第。
少しでも作画の作業量を減らすため、女子の脚は先っぽまで全部肌色で着力してしまっていいんですよ……と、それっぽい言い方に変えたりしますが、要するに願っているのは素足履きをたくさん拝むことだったりします。
特に学園モノは、その方針でやっていただきたいですね。靴下なんか描くの無駄!
おわりに
以上、とりあえず思いついたところを列挙し、解説を加えてみました。
一応「あるある」として書いたのですが、当然ながら、裸足フェチ全員に必ず当てはまるというものではないでしょう。
「自分は違うぞ!」という方がおられましたら、あまり気にせず、少なくともlokiはそういう人間なのだと捉えていただけると助かります。
「他にもこんなあるあるはどうだ?」みたいなご意見がありましたら、ぜひコメントで教えてください。
なるほどと思うものがあれば、追記させていただきます。
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当ブログの管理人lokiは、裸足フェチをテーマにしたオリジナル小説を執筆しております。
興味を持たれた方は、ぜひ下記の記事から一連の作品群へアクセスして頂ければと思います。
裸足フェチの皆さんには決して損はさせません!
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