天国的底辺

二次元、創作、裸足、資格試験、その他諸々についての思索で構成されたブログ

「アニメ観るの面倒臭い病」をときどき発症します

 今日は、趣味分野でちょっと困っているという話を書いてみようと思います。

 これって私だけの超特別なことではなく、そこそこの割合で観られることなのではないかと思ったので、「あるある」を狙って記事にしてみる次第なのですが、これで誰の共感も得られなかったらちょっとショックですね。

 そのときは真剣に、何か病名でも探ってみようかな……。

 半分冗談ですが、半分はそうでもなかったり。

 

 

 

趣味なのに面倒臭い

 私はもうずいぶん前から、アニメの視聴を趣味にしています。

 いわゆるアニオタというやつです。

 いつ頃から――というのを語るのは、ちょっと難しいですね。この国では子供の頃には誰もがアニメを観るわけですから、それを含むなら「物心ついた頃から」となりますが、この場合の「いつ頃」はそういう意味ではないでしょう。

「オタク的にアニメに向き合うようになったのはいつ頃からか?」というのがこの場合の主旨でしょうが、本当に「段々とそうなっていった」としか言いようがなく……。

 気がついたら、すっかりアニオタになっていたのです。

 まあ、どこを自分のオタク起源とするにせよ、それなりの年月は経っていますね。

 

 そのあいだ、絶え間なくアニメを嗜んできたわけですが……。

 ある時期から(これもよく覚えていません)、ちょっとした「症状」が現れるようになりました。

 アニメを観ることは完全に趣味であり、そうしなければならない事情など一切ない、自由な行為です。

 そして実際、観ればいつだって楽しめます。

 にもかかわらず、なぜか物凄く「視聴を始めるのが面倒臭い」ときが出てきたのです。

 

 その面倒臭さたるや、瞬間的には相当なもので、やりたくない仕事をこなさなければいけないときとほとんど変わらない度合い。

 あとボタンを1回押せば再生が始まる、というところまで持っていってもなお、その最後のボタンを押すことができずに観るのをやめてしまう、ということまであったりするほどなのです。

 今の私は平均すると週に10本ほどTVアニメを観ているのですが、それの発生頻度が高めの時期は、ポンポン消化していくことができず、かなり溜めてしまうことになります。

 そうなると結構焦るもので、ますます「仕事感」が出てしまい、面倒臭さに拍車がかかるという悪循環が生まれてしまうわけです。

 

作品内容によって症状の度が違う

 基本的に、いったんそれを「発症」すると、その日はもう何も受け付けなくなってしまうのですが、最近になって、その度合いが作品内容と少し関係していることに気づきました。

 私はこれまで、TVアニメを「放送された順番に」消化することにこだわっていたのですが、どうやら次に観るアニメが内容的に「重たい」ときに、より発症しやすくなるようだったのです。

 

 ここで言う「重たい内容」というのは割と微妙なニュアンスなのですが、乱暴に言ってしまうと、まず第一に「シリアスもの」がそうですね。

 コメディよりは明らかにシリアスのほうが、面倒臭さを感じやすい。

 そして重要なのがもう一点。同じシリアスでも、「身近な人間関係がゴタゴタする」タイプの作品ほど、そうなりやすいみたいだ、という結論に達したのです。

 この条件を満たす作品を、次に観なければならない(という言い方は趣味なのにおかしいですが)というときに、猛烈に腰が重くなる。

 

 私はこの症状を、個人的に「アニメ観るの面倒臭い病」と、どシンプルな名前で呼んでいます。

 TVアニメはどんどん放送されていくものですから、しっかり消化していかないと、あっという間に溜まってしまうもの。

 なので面倒臭いなどと言っている場合ではないのですが――いったん発症すると、自分ではどうしようもなくなるんですよね。

「趣味として好きでやっているのに面倒臭がっている」と言うと奇妙ですが、「趣味であるがゆえに強制力が弱く、こなすのが難しい」と言うと、伝わるものがあるでしょうか。

 どうしたものかなと、手を焼いているところだったりします。

 

加齢のせい?

「それって単に、シリアスなアニメが好きではなくなったってことじゃないの?」

 と思った方もいると思うのですが、いちおう私の中には、シリアスものを観たいという願望はちゃんとあるのです。

 なので、毎シーズンの視聴ラインナップを決めるときに、「これは真面目なやつだから観ないでおこう」とか「人間関係がしんどそうだから避けよう」いう風にはできないんですよね。

 これがまた困ったところで、発症しているときとそうでないときとで、感性がバッティングしているわけです。

 

 この辺りの自分の「症状」について、これまでずっと漠然と「何なんだろうなコレは」と思い続けてきたのですが、先日、Twitterで次のような主旨のツイートを見かけて、ハッとしてしまいました。

「オタクは歳を重ねるに従って、段々と咀嚼力がなくなってきて、おかゆみたいな消化の良いものしか受け付けなくなっていく」

 

 シリアスなもの、そしてその中でも身近な人間関係がゴタつくものは、間違いなく私にとって、コメディよりも咀嚼力を必要とするコンテンツです。

 ということは……もしかしてこれって、歳をとって食べられるものが限定されてきたということなのだろうか?

 

 元のツイートは、シリアスかコメディかの違いよりもむしろ、「新しさのあるコンテンツかどうか」で咀嚼力をみるようなニュアンスだったと記憶しています。

 その意味で言うと、私はまだ「衰えて」はいません。新鮮味のあるものは大好きですし、そういうものに触れることで自分の価値観が物凄い勢いで再構築されていく感覚は、めちゃくちゃ大好きなので。

 でも、論点を「シリアスもの」に持っていくと、ほとんどズバリ当てはまるように感じたんですよね。

 これが自分の老い方ということなのだろうか……と。しばし戦慄いたしました。

 

とりあえずの対処

 まあ実際にどうであるかはわからないわけですが、もし加齢によるものなのだとしたら、今度いっそうこの状態は顕著になっていくことになります。

 先述したように、私はこれを「アニメ観るの面倒臭い病」と呼んでいます。

 本物の病気なら、あるいは何か治療法があって、「治せる」こともあるかもしれません。

 しかし加齢による衰えとなると、そうはいかないですよね。

 

 考えられる対策としては、衰えを少しでも遅らせるために鍛えるというのがありますが、この場合の鍛えるとは、具体的に何をすることなのでしょうか。

 筋肉と同じに考えるのであれば、シリアスな作品を徹底的にインプットして負荷をかける、みたいにすればいいのでしょうが、それはちょっと違う気がします。

 というか、趣味でそこまで深刻にはなりたくない、というのが本音。

 

 とりあえず、作品を溜めてしまうことだけは何とか避けたいところなので、少し前に、放送された順に消化していくという自分ルールを撤廃しました。

 人間関係のこじれがコンテンツになっていそうな作品はとりあえず保留にして、楽しいコメディをどんどん片づけていこうという、方針転換です。

 その結果、これを書いている今現在、2019年夏アニメのうち『荒ぶる季節の乙女どもよ。』が7話分も溜まってしまったのですが(一応書いておくと、私はこの作品をとても面白いと思っています)、引き換えに「1話も消化できない」という日は少なくなりました。

 

 しかし来月の上旬には夏アニメ全体の感想記事を書きたいので、『荒乙』ともここ数日のうちに向き合わなければならず……。

 しんどいなあ、とか思っているところです。100%趣味でやっていることなのに。

 

おわりに

 おまけでもう一つ心配なのは、この「アニメ観るの面倒臭い病」の正体が、極めて軽い鬱症状の一端とか、そんな感じの代物だった場合ですね。

 そういうことなのだとしたら、これは加齢以上に深刻な問題です。

 事はアニメの範疇に収まらなくなるわけで、生活の改善等を考えるべきだということになるでしょう。

 

 まあ、実際はそんなオオゴトではないとは思うのですが……。

 とにかく厄介です、アニメ観るの面倒臭い病。

 いつでもどこでも、気楽にサクサク消化できるようになりたいものです。