天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

お金を稼ぐことを汚いと感じないための5つの考え方

 今日は、お金を稼ぐこと、儲けることに対して、少なくない人々が示す偏見について――そして、その偏見から脱するためにどのような考え方をとればいいのかについて書いてみようと思います。

 

 

謎の金儲け嫌悪

 この国の特徴なのか、それとも世界中どこも似たようなものなのかはわからないのですが、いわゆるお金儲けを「汚いこと」だと考えている人って、結構いますよね。

 がっつり稼いでいると言うと、急にその人を胡散臭げに捉える。稼いでいることを信じないならまだわかるのですが、むしろ積極的に信じた上で、それをネガティブなところに位置づけようとする。

 

 清貧思想とまではいかないのですが、「お金をたくさん稼ぐには、清くなくなることが絶対的に必要となる」みたいな発想が、そこには見られます。

 ゆえに、豊かな人を見つけると、「綺麗な人間」という立場から、多かれ少なかれ責め立てるような視線を向けるわけですね。

 

 もちろんそういう人達も、生きるのにお金が必要なのはよくわかっています。

 というか、そういう人達も、ちゃんと日々ある程度のお金を稼いで生きている。逆に生活保護を受けている人のことも、それはそれで叩いたりするのが興味深いところ。

 要するに程度問題なんですよね。彼らは自分達のような「普通程度の経済状態」の人間だけが清く正しくて、その上も下も、何かしら問題を抱えているのだという世界観で生きているのです。

 象徴的なのは、そこでの「普通」の定義が、単に各人のフィーリングである点。

 その適当さがまた、発想の身勝手さをよく表しているよなと私などは思います。

 

貧乏人として一言

 前々から当ブログでは何度もネタにしていますが、私はそこそこ貧乏です。

 飢えるほどの困窮はしていませんが、どう解釈しても平均的な人間と同じ余裕は持てておりません。

 いろいろあって、「いわゆる正統的なかたちで」お金をたくさん稼げるルートに進むことができなかったのです。

 

 なので言葉はアレですが、日々「一発逆転」の可能性がどこかにないかと、きょろきょろしながら生きている次第。

 

 そんな私の目に、お金を稼ぐこと、特にたくさん稼ぐことは、どう映るか?

 これを訊ねられたときの私の回答は明白です。

「お金というのは本当に尊いものだし、それを稼ぐというのは極めて素晴らしいこと。大きく儲けることのどこが汚いのか、私にはさっぱりわかりません」

 

 というより、今の日本において、お金儲けを嫌うのはかなりヤバイ気がするんですよね。

 国の状態を鑑みるに、ここが本当に踏ん張りどころ。どこぞの勝ち逃げ世代の文化人が言うような「皆で貧しくなればいいじゃないか」などを実践しようものなら、シャレにならない数の不幸が国中に発生することになります。

 日本人は今こそ、一億総出で、稼ぐことにガツガツしていくべきではないのかと、私などは思うわけです。

 

 そのためには、巷に蔓延している「稼ぐことは汚い」という価値観を、何とかして消し去る……のは難しいにしても、せめてどマイナーな勢力に弱めていく必要があります。

 そこで必要になるのは、成人に対するお金の再教育、そして子供達に対する、正しいお金の初等教育でしょう。

 以下では、そのために私が有効だと考える、5つの考え方を書いていこう思います。

 

お金と正しく向き合うための5つの考え方

その1:お金は不幸を避ける手段である

 お金をたくさん持っている、というと、結構多くの人が「豪遊」「贅沢」といったものをイメージしますよね。

 まあ、それがまるっきり間違いというわけではありません。お金持ちが豪華客船で世界一周のクルーズ云々、みたいなのは現実の話ですし、モノにしても「お金持ち専用」としか言い様のない高級品は世の中にたくさんあります。

 そういったことにお金を使うのも、普通にアリなことです。

 

 でも私の考えでは、お金はそれ以前にまず「不幸を避ける」のに使われるものなのだと思うわけです。

 一番シンプルなところでは、飢えることを避ける、というのがありますね。

 そして食生活に正しくお金をかければ、健康を維持するのもより簡単になる。

 他にも、環境面での安全、いざというときの蓄え・保険、そういったことにお金は絶大な効果を発揮します。

 

 お金を稼ぐというのは、何よりもまず「そういうトコを充実させる」ことであると思いますし、そういう価値観がスタンダードになるべきだと思うんですよね。

 不幸を避ける手段が汚いこと? そんなはずはありません。

 ここをきちんと押さえれば、たくさん稼ぐことへのネガティブイメージなど、すっかりなくなってしまうのではないでしょうか。

 

その2:経済を回すことは尊い

 豊かさというのは、個人レベルの話にはとどまらず、社会がどうであるかも深く関わってくるものです。

 個人がどれだけ懸命に働いてみたところで、社会が経済的に停滞状態にあると、なかなか豊かさを体感することはできません。

 では、社会がどうなればいいかというと、これは簡単で、要は経済が(お金が)元気よく回れば、それだけ個人レベルにも恩恵が巡ってくるのです。

 

 そのためにどうすればいいかというと――これは専門的な話をすれば複雑になるのでしょうが、あえて単純化するなら、お金をたくさん稼いでいる人が、できるだけたくさん使うのが効果的です。

 ここで重要なのは、お金を使うことが社会貢献になる、という点ですね。

 たとえば、ある大富豪が、自分の物欲のままにあらゆる高級なものを買って買って買いまくったとします。

 それはその大富豪の意図とは無関係に、確実に経済を回し、仕事を生み出し、他者の稼ぎを生み出し、社会全体を活性化させる方向に繋がっていくわけです。

 

 これを考えると、お金をたくさん稼ぐことの重要性が掴め、それを忌避することはなくなっていくのではないでしょうか。

 

その3:お金を汗の対価とみなすのは自分本位である

 お金をたくさん稼いでいる人は、その手法がとても効率的です。

 時給1,000円のバイトを1日に100時間、毎月100日できれば、月収1,000万円になりますが、そういう計算で大金を稼ぐことはできません。

 大きく稼ぐためには、何かしらの意味で不労所得的に映る方法論を実践する必要があるのです。

 

 この辺りが、ある種の人達には不満みたいなんですよね。

 つまり、お金というのは汗水たらして苦労することと引き換えに得られるものであって、それを経ずして大金を手にするなんていうのは、ズルいし汚いし、まっとうに働いている人達を侮辱する行為ですらある――とまあ、こんな風に考えるようなのです。

 

 しかし、私に言わせれば、それは非常に自分本位の考え方です。

 彼らはいかにも「労働する美しい姿」を称えているように見えますが、実のところは「どうして働くとお金をもらえるのか」を勘違いしているんですよね。

 お金というのは、自分がつらかったぶんだけ得られるのではなく、他人の役に立ったぶんだけ得られるもの。

 だから極端に言えば、何一つ苦労しなくとも、ただ呼吸しているだけで世界一他人の役に立てる人間がいるなら、その人間は呼吸しているだけで世界一稼いで然るべきなのです。

 自分の汗はまったく関係ないのです。

 

 ここを考えれば、例えば投資家の稼ぎ方などにも、理解を示せるのではないかと思います。

 マネーゲームがどうのと言われる彼らの仕事ですが、丸損するリスクをとって、資金を欲しがっている者に投資するというのは、ものすごく他人の役に立つことなんですよね。

 あえて刺激的に言うならば、ある一人のフリーターのコンビニバイトでは、命を賭けたところで貢献度の点で勝ち目はありません。

 

 自分の苦労ではなく、他者への貢献。

 指標を正しくすることで、稼ぐことへの偏見も薄れるのではないかと思います。

 

その4:稼ぐことはゼロサムではない

 どうも世の中には、勝負事の概念をありとあらゆるところに、考えなしに適用する人が少なくないように見受けられます。

 誰かが勝ったのなら、それは誰かが負けたということ。誰かが成功したなら、それは誰かが失敗したということ。そういう考え方ですね。

 そしてそれは、お金儲けに強く当てはめられる傾向があるように観察されます。

 たくさん稼いだ人は、そのぶんたくさんの人から実質的には「奪った」のだ、みたいな世界観です。

 

 確かに、ある領域のある部分を切り出してみると、そういうところはあります。

 例えば株だったら、誰かが勝っていれば、それだけ誰かが負けている。スポーツの大会なら、勝てば賞金を得られ、負ければ得られません。

 そういうのはとても見た目がわかりやすく、ゆえに象徴的に頭に焼き付くのでしょう。

 

 しかし社会全体としてみると、稼ぐというのはそういうかたちにはなっていません。

 Aさんが100万円の価値のあるものを生み出し、Bさんがそれを100万円で買ったのなら、Aさんの手元には100万円が、Bさんの手元には100万円の価値のあるものが残ります。

 合計で200万円分の「価値」が社会に残るわけです。

 実際にはこれこそが「稼ぐ」ことの本質です。どんどん作り出し、売り買いし、さらに作り出し、売り買いすることで、社会全体の資産を増大させていく。

 稼ぐことは、社会を大きくしていく行為に参加することなのです。

 決して、限られたものを奪い合うバトルではありません。

 

その5:貧乏こそ良心や誠意を削っていく

 大金を手にするとこんなことになる、みたいな「悪いエピソード」が、世の中には結構転がっています。

 そのうちの幾つかは、確かにそうなのでしょう。例えば、宝くじで大金を当てた人のその後が、あまり幸せな方向に進んでいないことが多いというのは、事実としてあるみたいです。

 そこから学べることも、あるにはあるでしょう。

 

 しかし私としては、それより重要なこととして、貧しい状況こそが人を腐らせていく、ということを、強く主張したいんですよね。

 それは単に「貧乏人には余裕がない」とかいうレベルの話ではありません。

 お金がないという状態は、デフォルトで人から良心とか誠意といったものを削っていき、その人を醜くしてしまう危険がある、という話です。

 

 いや、もちろん貧乏なら必ずそうなる、というわけではありませんよ。

 でもそれを言うなら、お金持ちになると云々の話も同様ですし、どちらがより「あるある」かと言ったら、間違いなく貧乏のほうだろうと私は思うわけです。

 無料サービスをやめて有料だけにしたら、急に客絡みの揉め事が少なくなった、みたいな話はよくありますが、それらも事例の一種と言えるのではないでしょうか。

 

 人間は、まっすぐであり続けるためにも、貧しくあるべきではない。

 貧すれば鈍する、というのは、現代でも100%通用する諺だと思う次第です。

 

おわりに

 意識の高い人が何かと揶揄される世の中ですが、本当にヤバイのは、意識の低さのほうだと思うんですよね。

 それを続けていると、低空飛行している自分が何だか純粋なもののように思えてきて、上昇しようとする人間をやっかんだり、足を引っ張ったりすることが常態になってしまう。

 そういうのは本当に醜悪だし、社会的にも損失というほかありません。

 

 私がこういうことを言えるのは、たぶん普通の人よりさらに低空飛行をしており、上のほうで人が何かごちゃごちゃやっているぞ、みたいに、他人事として観測できるからなのでしょうね。

 そういう意味では、この位置にいることにも一つメリットがあったと言えるのかもしれません。

 しかし、現状に留まっているのはまっぴら御免です。

 

 お互い、ガンガン稼いでいきましょうよ。

 

 そして国は、そんな国民を徹底的に支えていくべきだと思うのです。

 消費税なんか上げている場合ではありません。

 出すものも出さずに精神論を振りかざすのではなく、黙ってお金を出す。それが今、国に求められていることだと思います。

 それを受けて国民は、お金儲けを愛し、豊かさを愛しながら稼ぎ続ける。

 そんな循環が生まれればいいなと願っています。

 

 お金に対する考え方を身につける本としては、以下の漫画をオススメしたいです。

 とても読みやすくわかりやすいので、経済と聞いて怯んでしまう私と同じタイプの方でもおおいに勉強になると思います。