今日は、ネットで知り合った人とリアルで会うことについて、私のスタンスを書いてみたいと思います。
一般的な話として、若い人、特に女性に対して、「どんな危ない相手かわからないから、安易に会わないほうがいいですよ」という注意喚起はありますよね。
でも当記事ではそれとはちょっと違う切り口で、主に私の側の問題として「相手に会えない」ことを深堀りしております。
「もしかしてコミュ障系の記事かな?」と思った方、半分正解です。
残り半分も含めて、ふむふむと思って読んでいただけると嬉しいです。
ネットの知り合いと会ったことがない
私がインターネットというものに出会ってから、もう結構な年月が経ちました。
いま現在、他人が追うことのできる私の情報としては、Twitterを開始したのが2010年2月であるというのがありますが、もちろんネット歴となるとさらに古くなります。
具体的な数字は控えさせていただきますが(あまりパーソナルデータを出したくない人)、まあ「インターネット老人会」への入会資格は有しているんじゃないかという感じですね。
しかし私は、そのネット歴の中で、知り合った人とリアルで会ったことが一度もありません。
コミュ障なりに、ちょぼちょぼとネット内での交流はありました。今だとTwitterですが、かつてはチャットとかですね。
とある場所の常連になって、大量の時間を注ぎ込んであれやこれやと「会話」していたのが、昨日のことのように思い出されます。
しかし、その交流が「じゃあ今度、○○でお会いしませんか」みたいな話に発展したことは、まったくないのです。
理由は単純なような、複雑なような……一言でいうと次のようになります。
「幾つかの意味で致命的にしんどいから」
オフ会とか一対一の顔合わせとか
世間は繋がりでいっぱい
コミュ障の自分にはよくわからない世界ですが、世間の人のリアルは、繋がりでいっぱいみたいですね。
Twitterなどで、自分のことを陰キャとか自虐的に言っている人も、よくよくツイートを追ってみると、リアル友人が一人はいたり、誰かと付き合ったことがあったり、というか既婚者だったり、そんなオチばかり。
その上で「あえて一人になる」のが好きとか、そういう話だったりする。
皆さん、「普通にしていれば」誰かと繋がることが可能な性質をお持ちのようで、私などはただただ、凄いなあと感心してしまうのです。
特に私から見て印象的なのは、最近のオタクです。
人並みに社交的で、趣味以外の会話でも人と繋がることができ、私にとっては天の川のあっちとこっちくらいある距離を、簡単に詰めてしまうタイプ、多いんですよね。
ましてや趣味の領域ともなれば、まさに水を得た魚。
まあ昭和の時代から、同人作家さんなどは横の繋がりが積極的で、オタクは趣味的分野であればむしろ人並み以上に交流するもののようですが、昨今はますますその傾向が強くなったように観察されます。
オフ会なり、誰かと約束して会って食事、みたいなことは、もう完全に浸透しきっており、あえて「行動力」と呼ぶようなことですらなくなっている感じ。
世代の問題
いわゆるデジタルネイティブ世代だと、ネットとリアルの使い分けがほとんどゼロだったりする人もかなりいるようで、危なっかしいと思う反面、その垣根のなさに、ある種の感心と驚異を抱いてしまったりもします。
というか、「本名を知られたら生きていけない!」みたいな世界観は、ネット全体を俯瞰して見てみれば、もうマイナーに属するものなんですよね、たぶん。
古い人達のあいだ、あるいは一部の「人に言えない趣味嗜好」を発信している人のあいだでだけ、当たり前のように残っているものでしかない。
自分はまさにその2つのダブルパンチです。
ネット的には明らかに古い人に属しますし、思いっきり「人に言えない趣味嗜好」を発信しまくっている。
そのため、ネットとリアルが頭の中ではっきりと分離されており、そのあいだには、恐らく今後一生消えることがないであろう境界線が引かれている。
で、この境界線をまたいで誰かとリアルで交流したことが、ただの一度もないと、こういうわけなのです。
何が致命的にしんどいのか?
「それだけ警戒心があれば、変な相手にどうこうされることもないだろう。趣味の合う人が相手なら、試しに会ってみても問題ないんじゃないの?」
こう思われた方もいるのではないかと推察します。
しかし、私としては、ネットとリアルの境界線を越えることの「しんどさ」とは、そういうことではないんですよね。
では、いったい何がそんなにしんどいのか?
その答は、以下の3つに集約されます。
ネットで発信している以外の話題がない
ある特定の趣味繋がりで、誰かと会ったとしましょう。
もちろん会話のメインは、その趣味についてのあれこれになるのでしょうが、「ナイストゥーミーチュー」から「シーユーアゲイン」までのあいだ、終始それだけしかないかといったら、そんなことはまずありません。
どうしたって、それ以外の雑多な話題にも移るでしょうし、そこでも楽しく盛り上がることが必要とされます。
しかし私には、そこで語れるものが本当にないんですよね。
というか、事前にシミュレーションしてこなかったものについて、リアルタイムで速やかに、朗らかに、場が盛り上がるように、話すことが上手くできない人間なのです。
まあ、コミュ障の本領が発揮されるところです。
そうなると、相手にとっての「私に会いに来た価値」はだだ下がりです。
ひどく退屈な思いをさせることになるでしょうし、もうこいつとは二度と会うまいと思われるでしょうし、その後のネットでの関係性も、微妙に崩れていくかもしれません。
この辺りを考えると、安易に誰かと会ってお喋り、という風には考えることができないのです。
人と会って何かをするお金がない
誰かとどこかで会って、何やかや盛り上がるのも、タダではありません。
まず絶対的に交通費はかかりますよね。
そしてどこかで待ち合わせたとして、そのまま往来でひたすら会話して終わり、というわけにはいきません。
まあ普通はどこかのお店に入って、何かしら飲み食いしながら、という流れになるでしょう。今どき中学生でもこのパターンは踏襲します。
しかし恥ずかしながら、私はそういうことに耐えきれる経済状態にはないんですよね。
楽しい会を成立させるのに必要な交通費と飲食代を捻出するなど、到底不可能。私の家計簿に「交際費」の3文字は存在しないのです。
かといって、まるまる奢ってもらうわけにもいかないでしょう。
仮に相手がとても裕福で、積極的に「今日は私が払います」と言ってくれたとしても、尻尾を振ってそこに乗っかれるような便利な人格は持ち合わせていません。
結局、「先立つものはお金」という言葉の重みを噛み締めながら、一切を諦めざるを得ないわけですね。
自分本体に対するコンプレックスが強い
これが一番大きなことかもしれません。
堂々と言うことでもありませんが、私はとにかく、生き物としての自分の魅力に自信がないのです。
容姿、声、トータルの雰囲気、それらすべてが「できれば見せたくない」ものばかり。
コンプレックスという言葉は、どこか安直に聞こえてあまり好きではないのですが、でもたぶんこの言葉で合っているのでしょう。
私は生身の自分の発する情報について、徹底的にコンプレックスを持っているのです。
ネットでは、その辺りが上手く隠れてくれるんですよね。
いや、いろいろとイタい部分はバレているとは思うのですが、私が本当に見せたくないものについて言えば、ネット越しには伝わらずに済んでいる。
これはべつに「自分を偽っている」わけではないので、良心の呵責のようなものもなく、実に気が楽です。
この空間でなら、まあ何とか普通の人間の仲間みたいな顔をして活動することができるのです。
それだけに、ネットで知り合い、ネットの私を見て私という人間の像を思い描いている人と会うのは、恐怖なわけです。
どのようなイメージを持たれているにせよ、恐らくそれは、直接会うことで、悪い意味で完全に崩壊することになるでしょう。
そうなったら、私だけでなく相手もまた「会うんじゃなかった……」と後悔することになる。控え目に言っても地獄です。
願望がないわけではない
厄介なのは、上記のような「致命的なしんどさ」を抱いているにもかかわらず、誰かと会ってみたいという願望がないわけではない、というところです。
私はコミュ障であり陰キャなわけですが、そういう人種だからといって「一生、いかなる瞬間においても一人きりがいい」とまで思っているわけではありません。
他人と上手く盛り上がれるものなら、盛り上がってみたいなあ、くらいの気持ちは持っているのです。
特に、普段リアルでは誰にも言えない性癖の話とか、一度くらいは目の前の人間を相手に展開してみたい。
何の気兼ねもなくそういうことができたら、さぞ楽しいだろうなという想像をする程度の頭は、私にもあるんですよね。
ただ、現実の障壁を思うと、それが一気にしぼんでしまい、「まあ、夢だよね……」となってしまうわけです。
せつない。
おわりに
当記事で書いた内容のうち、一部は「勇気」の問題かなとは思います。
一歩踏み出してみれば、意外とちゃんと道が開けるのかもしれない、という風に思える部分もある。
しかし残りの部分については、純然たるリソース不足の話です。
要するに私には、他人を楽しませるのに必要な資質が、何もそこまで、というくらい欠落しているんですよね。
「それって結局、努力が足りないからでしょ?」
という声もあるかもしれません。
そう言われたら、私としては「自分なりには頑張っているんだけどなあ」と思いながら黙るしかないところです。
だって、どんなに論理的な反論をしても「言い訳するな」と返されますからね。
ああ、人間関係の広がり、欲しいなあ。
たぶん、今の私には一番必要なものかもしれないんですよ。