天国的底辺

二次元、創作、裸足、資格試験、その他諸々についての思索で構成されたブログ

最近、非同期コミュニケーション愛好家としての肩身が狭い

 今日は、主にネットにおける非同期コミュニケーションが、最近ちょっと押され気味に感じることについて、焦りのようなものを書き残しておきたいと思います。

 せっかく自分にぴったりの土地を見つけたと思っていたのに! ……みたいな話です。

 

 

非同期コミュニケーションとは

 一応説明しておきますと、非同期コミュニケーションというのは、相手からの広義の呼びかけに対して、即座に対応する必要のないタイプのやり取りのことを指します。

 その反対の概念が、同期コミュニケーションですね。こちらは相手から何か言われたら、その場で応答することが求められるタイプのやり取りを指します。

 

 より原始的なのは同期型のほうでしょう。人類の歴史において、まずはこちらが先に発達したのは言うまでもありません。

 その最たるものは、もちろん直接顔を突き合わせての会話です。これこそコミュニケーションの基本形であり、あとのものはすべて、これの変形バージョンであると言える。

 テクノロジーを用いた同期型コミュニケーションとしては、電話が真っ先に挙げられるでしょうか。これは上記の会話から、距離の制約だけをなくした手段ですね。

 

 それに対する非同期コミュニケーションですが、古典的なのは手紙です。

 特に昔の郵便事情は呑気なものでしたから、手紙のやり取りで会話らしきものを行おうものなら、それはそれは長い時間がかかったものと思われます。

 かつては「郵便チェス」なんて遊びがあったみたいですね。文字通り、郵便を使ってお互いに一手ずつ進めていくチェス。これはこれで、通常の対戦以上に熟考を重ねる趣があったのでしょう。

 

 この非同期コミュニケーション、インターネットの台頭によって、ここ20年ほどで一気に進化しました。

 それまでの非同期型のやり取りは、「仕方なくタイムラグが生まれる」面が非常に強く、同期型と比べてコミュニケーションの進行が非常に遅いという欠点があったのですが、ネットにおけるそれはだいぶ違います。

 たとえばメールは一瞬で相手のもとに到着しますから、その気になればほとんど待ち時間なしでお互いの話を進めることができるようになりました。

 その後に登場する各種のコミュニケーションツールも、基本的には非同期型で、いずれも時間を自由に使えます。ゆっくり返答したければそうすればいいし、即答することも可能となっている。

 

 非同期コミュニケーションサービスで、登場したとき特に斬新に思えたのは、ニコニコ動画でしょうか。

 あれは非同期型で、ある動画に対して視聴者が各自バラバラの時間にアクセスする仕組みなのに、コメントの流れ方のために、まるで皆で一緒に観ているような錯覚が生まれるようになっている。

 人間の感覚を、仕様一つで見事にコントロールすることに成功した例だったのではないかと思います。

 

非同期型はコミュ障に最適

 ネットによる非同期コミュニケーションは、世界のかたちを一変させたと思います。

 先述したように、これらの手段には「即答も可能だし、ゆっくり内容を考えてから返答することも可能である」という柔軟性がある。

 これにより、自分にとって都合の良い時間に返答すればそれでよい、そういうことをしても遅くなりすぎない、という「機能を損なわないゆるいやり取り」が可能になりました。

 

 ホリエモンこと堀江貴文さんの電話嫌いは有名ですが、彼の言いたいことはよくわかります。

 同期型は相手の時間を無遠慮に奪うもので、非同期型をいったん使いこなしてしまうと、ある意味で暴力的にすら感じることがあるんですよね。

 時間というものは、常に同じ価値を保っているわけではありません。比較的フリーな時間もあれば、ここだけは誰にも邪魔されたくないという時間もある。

 お互いにフリーな時間だけを使って、しかしそれなりに素早くやり取りを進められるなら、これほどWin-Winな手段はないでしょう。

 

 また、非同期コミュニケーションは、私のようなコミュ障には福音でした。

 リアルタイムの会話においては、とっさに気の利いたアウトプットをすることができず、後になって「どうしてあのときこの言葉が出なかったのだろう」みたいな後悔をすることが多々あるんですよね。

 一言一言に見えない時間制限があるので、即興性に長けた人、それっぽいことを短時間で思い付ける人が圧倒的に有利になるのです。

 

 でも非同期型では、反応をじっくりと、自分のペースで作り上げることができます。

 何より好都合なのは、その反応のためにかけた時間と手間が相手からは見えないので、人一倍苦労をしたとしても、それがバレないところですね。

 時間をかけて必死にしたためた反応を、さも「暇ができるまで時間がかかったので少々遅れました、失敬」みたいな涼しい顔で発信することができる。

 コミュ障でも、いっぱしのやり取りに参加できるわけです。

 

 もっと重い障害を抱えた方は、さらにその恩恵を受けることができるでしょう。

 例えばの話、脳性麻痺を抱えておられる方などは、リアルタイムでは流暢なコミュニケーションをとるのが難しいかもしれませんが、ネットでは健常者とまったく同じノリでやり取りすることができたりすることもあるわけです。

 

 まさにネットの非同期コミュニケーション万々歳。大袈裟ではなく、人類のコミュニケーションを一段上のステージに引き上げる、素晴らしいものだと思う次第です。

 

同期型への揺り戻し

 しかしどうも最近、その辺りの空気が変わってきたように思うんですよね。

 社会全体にほんのり見えてきた風潮として、同期型コミュニケーションの価値が改めて主張され――しかもそれが、非同期コミュニケーションの領域にまで侵食してきたように感じられるのです。

 

 わかりやすい例としては、「『モノ』から『コト』へ」みたいなムーブメントが挙げられるのではないかと思います。

 何かを所有するということから、体験を共有することへと、価値観が変化してきた、みたいな話ですね。

 たとえばミュージシャンなら、これまではCDやら配信やらを主体に稼いでいたのが、だんだんそれでは立ち行かなくなり、逆にライブ等を収益のメインにする昔のスタイルに回帰しつつある、みたいなことです。

 あとは、セミナーやら何やら、直接的に人と会うことの再評価。ネットが成熟してきたがゆえに、改めてそういうことの重要性が言語化されるようになってきたわけです。

 

 若い世代のLINEの使い方なども、その仲間であるように思います。

 元来LINEというのは、典型的な非同期コミュニケーションツールです。

 例のあの既読機能も、東日本大震災を受けて「メッセージを見ただけで、そのことが相手に伝わり、それが一種の生存報告になるように」作られたものだという話を、どこかで読んだことがあります。

 しかしどういうわけか、その既読機能に変なマナーがついてしまった。

 いわゆる既読スルーですね。読んだら何かを即座に返せ、それをしないのは友達として冷たい行為だ――というかたちで、「同期型ツール化」してしまったわけです。

 

 YouTubeやニコニコ動画、その他ネットの各種エンタメ領域でも、最近は生配信が存在感を増してきています。

 ちょっと前までは「ある動画をいつでも観られる」ことが価値の頂点にあったのですが、今では――ちょっと大袈裟な言い方になりますが――非同期型の動画で名前を売り、同期型の配信で稼ぐ、みたいなスタイルもぽつぽつ出てきていますよね。

 VTuberなどには、特にその傾向が見られるように思います。

 

 そしてTwitterなどでも、結局はTVの実況がいちばん盛り上がることだったりする。

 まあTwitterの場合は、もともと「思ったことをすぐ書く」性質が同期型のそれに近く、ゆえに炎上も多いわけで、ちょっと別個に考える必要があるかもしれませんが。

 

 ……このように、そこはかとなく「やっぱり皆で一緒に何かをするのはいいぞ」という空気が復活しつつあるんですよね。

 もちろん非同期コミュニケーションが衰退していくかというと、そういうわけではないのでしょうが、「やっぱり同期型こそ人の本質だよね」という流れは、私のような人間にとってはとても嫌な感触のするものであったりするわけです。

 

同期型嫌いの生存戦略

 まあ、直接人とやり取りするのがいちばんスムーズである場面が多く存在するのは、認めざるを得ないところではあります。

 最先端を行くIT系のビジネスマンが、それでもやっぱり商談の際に直接会うことをやめないのは、そこに歴史的背景を伴う強い意味があるからでしょう。

 そういうのを全否定したいわけではありません。

 

 しかし、せっかくネットで発達した非同期コミュニケーションが、同期型的に使われてしまうことについては、少なからず苦々しく思ってしまうのです。

 怖いのは、若者のLINEがそうであるように、非同期コミュニケーションツールであるにもかかわらず、同期型的反応がマナー化してしまったときですね。

 ものすごく面倒臭いですし、何よりコミュ障的には、そんなことになったら本当にただただ「応答がへたくそ」な人間に落ちぶれてしまうのです。

 

 そうなったらどうすればいいのか。

 あるいは、そういう世の中にしないためにはどうすればいいのか。

 その辺りの生存戦略は、今のところ私にはわかりません。

 一連の「同期型の復権」が一段落したあとに、また今度は「非同期型の復権」がやって来るなら、めでたしめでたしなのですが、何となく、そういう風にはならない気もします。

 

 とりあえずできるのは、怯んだりせず堂々と、非同期型が有効なところでは非同期なやり取りを立派にこなしていく。

 これしかないのかなという感じですね。

 

おわりに

 こうして書いてきて、もしかしたら次のように思われた方もおられるかもしれません。

「そもそも、一つ一つのやり取りをシリアスに考えすぎなんじゃないの?」

 そう指摘されると、私としては「そうかもしれません」と答えるしかなかったりします。ちょっぴりそういう自覚があるからです。

 

 しかし実際、人間関係って、たった一度のやらかしですべてが崩れてしまうこともあるじゃないですか。

 コミュ障的には、やっぱりそういうのって脅威なんですよね。

 それを少しでも高い確率で避けるために、非同期コミュニケーションが有効なわけですが……皆、もっと好きになってくれないかなあ。

 

 自分のリズムでアウトプットするのが何よりだと、私は思うのです。

 同期型コミュニケーションは疲れて仕方ありません。きらい。

 

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