天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

【情報整理】秘密を抱えるリスクについての小さな思い出

 今日は、情報は多く持っていればいるほど有利とは限らず、そこにリスクが伴うこともあり、場合によってはそのせいで何かを損なう可能性もある――という話を、私の小さな思い出を引き合いに出しつつ書いてみようと思います。

 

 

基本的に、情報は大切な武器防具である

 まず大前提として、情報はこの世の中を生き抜いていく上で、とても重要なものです。

 ここに疑問を挟む余地は、まあ無いと言っていいでしょう。

 ある情報を知っているかいないかで、文字通り人生レベルで命運が分かれることもしばしば。

 武器と防具、どちらにも喩えることができると思います。ある場合には打って出るための剣となり、ある場合には身を守るための盾となる。

 

 個人レベルで良く語られる例としては、実はたくさん用意されている社会保障制度が挙げられるでしょうか。

 学校で教えてくれるものでもなく、社会に出たところで誰かがわかりやすい冊子をくれたりすることもない。自力で学ぶ以外に知る手段はないのに、知らないと恩恵を得られず、無駄な苦労を背負い込むことになる。

 情報一つで、人生設計がまるで変わってしまい得るわけです。

 

 さて、私達が人生で出会う様々な情報の中には、決して万人が知れるようになっていないものもたくさんあります。

 特定の条件を満たした者しか触れることのできない、特別な情報。

 どこかの誰かにとって、隠しておくことに理由がある情報。

 そういう情報のことを、私達は「秘密」と呼んでいます。

 

 少なくない人達が、この秘密を、とても無邪気に集めたがります。

 個人レベルでも、組織レベルでも、国家レベルでも、それはほぼ似たようなもの。

 誰かにとって伏しておきたい情報には、そういう扱いを受けるだけの理由と価値があり、だから隙あらば自分もそれを知る立場になりたい……と、そう考えるわけですね。

 実際、その発想は間違っているわけではありません。

 そういう「レアな」情報を手に入れ、うまく活用することで、人に先んじて何かを得ることができるという場面は多々あるでしょう。

 

 ただ、ここで一つ、立ち止まって考えてみて欲しいことがあるのです。

 秘密をゲットすることには、果たしてメリットしかないのでしょうか? 手放しで喜んでいれば、それでいいのでしょうか?

 

秘密に潜む危険性

 秘密というのは、とてもデリケートなものです。まさに取り扱い注意。

 例えば、自分は知りたいけれども、他の皆まで知ってしまったら意味がない秘密の場合、知った途端、今度は「それを隠し通す側」に回らなくてはなりません。

 しかしそういうところもまた秘密というものの魅力を引き立てることになり、そのため私達はしばしば、秘密を抱えることを、レアアイテムを集めることにも似た無邪気な利得行為として捉えてしまいます。

 

 そこで私達は、秘密を抱えるコストのことを、うっかり忘れてしまいがちなんですよね。

 秘密というものは、手に入れたらそこがゴールではありません。それをただ保持しているだけでも、場合によってはいろいろなものを支払わなくてはならなくなるのです。

 試しに、「秘密を抱える」で検索してみてください。

 秘密を抱えて生きることで脳にストレス性の負担がかかるとか、メンタルの維持が難しくなるといった、心理学的見地からの警句がいろいろとヒットします。

 秘密には、然るべき「維持費」がかかるのです。

 

 そしてもう一つ、秘密を抱えることには重要なデメリットがあります。

 深く考えずに他人の秘密を抱えてしまうと、それが一種のセキュリティホールのように機能し、私達の暮らしにヒビを入れてしまうこともあり得るのです。

 

小学生時代の思い出

 あれは確か、私が小学校5年生か6年生のときです。

 詳しい成り行きは忘れてしまったのですが、ある女子から内緒で、その子が好きな男子の名前を教えてもらったことがありました。

 どうしてそんな展開になったのかは、まったく思い出せません。かすかな記憶を辿ってみても、当時の私はその情報にほとんど興味を持ってはいませんでした。

 いったいどういう話の流れがあったのでしょうね?

 わかりませんが、いずれにせよ、私はその女子のかなりセンシティブな情報を得ることになったわけです。

 言うまでもなく、それは「秘密」と呼ぶべき情報でした。

 

 それからしばらくしたある日、私が登校して教室に着くと、その女子が私に詰め寄ってきたのです。

 ここだけは今もはっきり覚えているのですが、その子の顔は真っ赤でした。

 赤面という言葉がありますが、私は今まで、人間の顔があれほど「本当に赤くなっている」のを見たことがありません。

 

 それが可愛らしい恥じらいのたぐいなら、話は穏やかだったのですが、その子の表情はまったく方向の違うものでした。

 明らかにそれとわかるような怒りに満ち満ちていたのです。

 少なからず動揺した私に、その子はおおよそ次のようなことを大声で叫びました。

「誰にも言わないって言ったでしょ!」

 

 ……この時点で、恐らくあなたは大方の状況を察したのではないかと思います。

 当時の私も、同じタイミングで察しました。

 そう、他の誰かもその子の好きな男子の名前を知っており、その人物からどうやら情報が漏れ――しかしその子は、私こそが漏らした張本人だと思い込んだわけです。

 

 そのごたごたがどう片付いたかは覚えていないのですが、その後その子と何かやり取りがあった覚えは一切ないので、恐らくその件を境に、完璧に疎遠になったのでしょう。

 そのときに私は、小学生なりに深い学びを得ました。

 秘密を抱えるというのは良いことばかりではなく、そこからとんでもなく大きな綻びが生まれることもあるんだなあ、と。

 

この思い出の応用例

 上記は小さな小さなエピソードですが、舞台設定が違えば、まったく同じかたちの現象が致命的なダメージに繋がっていたであろうことを思うと、とても示唆的というか、ある意味で教育的であったように感じます。

 

 まず、漏洩者として糾弾されるという私の体験は、大人の社会でそれなりのものを背負って動いていた場合、大問題に発展します。

「人がこんなに顔を真っ赤にしているのを初めて見たよ」などと呑気な感想を言っていられる状況では、まあないでしょうね。

 相当な責任問題になりますし、そこで「いや、私が漏らしたわけではないんです」という釈明をいくらしても、通るかどうかは五分五分です。

 場合によっては、事実関係にたいした意味がないこともあるからです。

 

 また、秘密を保持することで、その秘密を求める者に狙われる、というリスクも忘れてはいけないものです。

 その秘密が貴重なものであればあるほど、そういうことも活発になるでしょう。

 例えば、いわゆるハニートラップと呼ばれる行為がありますが、ああいうのも決してフィクションの中だけの話ではありません。

 立場が立場なら、そういう狙われ方も本当にされるのです。

 いや、ハニトラならまだ可愛いものでしょう。

 社会でそれなりにやっていれば、ひょんなことから「裏」の人々の活動にカスることもあり得るわけで、事と次第によっては、古典的でヤバイ方法で口を割らせられることもあるかもしれないのです。

 

 そして、秘密の内容が何らかの計画で、それが失敗したときに、その秘密を知っていた者として責任を取らされる場合もあり得ます。

 つまり、実質的には「ただそれを知っていた」というだけなのに、関係者の枠に入れられてしまい、トカゲの尻尾にされるというか、詰め腹を切らされるというか、そういう処分を食らう可能性もあるという意味ですね。

 人は(というか社会の仕組みは)無責任に「知っていたなら何とかすべきだった」みたいな糾弾をしてくるものなので、権限みたいなものがあろうがなかろうが、そういう火の粉が飛んでくることもないとは言えないのです。

 

 ――これらはもちろん、大袈裟だと思われるだろうなあと予想しながら書いている例なわけですが、しかし「あり得る」か「あり得ない」かで言ったら、あり得ますよね。

 秘密を抱えるというのは、つまりこういったことを抱えるということなわけで、そもそも論として「軽いものではないんだぞ」というのは、確実に言えることなのではないかと私は考える次第です。

 

おわりに

 先述したように、秘密には大きな誘惑があり、人はしばしば、使いどころがなくともそれを手に入れたがります。

 とにかく持っているだけでも嬉しい、貴重だ、愛でたい、というノリですね。

 しかし、秘密というのは、抱えているだけでもコストとリスクが発生する――くれぐれも、このことを忘れるべきではないと思います。

 場合によっては、「知らない」ということもまた、武器や防具になり得るのだと。

 

 情報はとても大切なものですが、適度に拒絶してスリム化を図るのも、賢い生き方のうちであると言えるのではないでしょうか。

 余計なことを知りたがって、せっかくの安定を崩すことのないよう、お互い気をつけて暮らしていきましょう。

 

 ……こういうことを考え始めると、人生がとても難しくなってしまうのですが、仕方のないところですね。恐らくこの辺りは仕様なのです。