天国的底辺

二次元、創作、裸足、資格試験、その他諸々についての思索で構成されたブログ

【フェチ】裸足の小学生時代:楽しい思い出&恥ずかしい思い出

裸足

 

 本日8月14日は「裸足の記念日」です。

 一般社団法人日本スポーツ&ボディ・マイスター協会が制定したもので、裸足での生活やランニング等を通して、人間本来の感覚を取り戻し、健康になることを推奨する、という趣旨があるのだそうです。

 まあでも、裸足フェチの私からすると、そんな本来の狙いなどどうでもよく、ひたすら「フェチを礼賛する日」であったりするわけで……。

 今日はそういう、協会が聞いたら眉をしかめそうな、ちょっと不健全なお話を書いていこうと思います。

 

 冒頭の画像はゴッツさん(@lovegreen11821)からお借りしました。

 快諾していただき、本当にありがとうございました!

 

 

裸足の小学生だった私

 私がいつ頃から裸足フェチになったか、その頃どのようにそれと付き合っていたか、ということについて、以前次のような記事を書きました。

 

www.tengoku-teihen.com

 詳しくはぜひともお読みいただきたいのですが、この記事のおおまかな内容としては、以下の2点を挙げることができます。

 

  • 私は幼稚園に通っていた頃にはフェチに目覚めており、小学生時代にはそれを思いっきり花開かせていた
  • 当時の私の、フェチとしての大きな特徴は、他人の裸足を見て興奮するのと同時に、自分が裸足になることにも興奮することだった

 

 本当に、きっかけがまるでわからないのですが、当時からとにかく猛烈に裸足に思い入れがあったんですよね。

 裸に興味を持つより遥か以前に、同じような意味を裸足に見出していた。

 こういうことのメカニズムって、現在の科学でどの辺りまで解明されているのでしょう。自分で自分が不思議でしょうがないので、いつかはっきりわかるときが来ればいいなと思っている次第です。

 

 さて、そんな風に自分が裸足になることにも興奮する小学生だったわけですから、当然ながら、私の服装はその欲望に忠実な特徴を備えていました。

 そう、ほとんど靴下を履かない生活をしていたのです。

 後にそうではなくなるのですが、小学生までの私にとっては、とにかく靴下は無粋で邪魔なものであり、「社会が生んだ謎の拘束具」に他なりませんでした。

 そんなものを普通に受け入れるはずもなく、その結果、学校へも靴下を履かず、素足に靴という恰好で通う時期が、一年の大半を占めていました。

 幸い、親も学校もその辺に口出しをすることはまったくなかったため、私の要望がそのまま通っていたわけですね。

 

 周囲の大人やクラスメートからすると、私という子はちょっとアンバランスな存在だったかもしれません。

 いわゆる元気っ子というわけではなく、自分で言うのもアレですが、明らかに動きの少ない優等生タイプだったのです。

 それなのに一年中半ズボンで、その大半が靴下もなし。他に靴下を履かない生徒はほぼいない学校だったので、それは私をかなり目立たせていたと思います。

 

 当時その点についてどんな風に思われていたのかは、今となっては確かめるすべはありません。

 しかし一つだけ言えるのは、間違いなく誰一人として、私の動機を見破ってはいなかっただろうということですね。

 

 私が靴下を拒んでいたのは、とにかく裸足でいることが好きで、そこに特別な興奮を覚えていたからでした。

 決して表情には出しませんでしたが(たぶん出ていなかったはずです)、靴下を履かない生活をしながら、日常的に靴や上履きのかかとを潰しながら、私はいつもそこに悦びを感じていたのです。

 それは密かな楽しみで、もちろんリアルで誰かに語ったことは一度もありません。

 子供だった私の、誰にも言えない生活の彩りでした。

 

 ――以下では、その頃の思い出の具体的なところを、「楽しかった部門」と「恥ずかしかった部門」に分けて、それぞれ3つずつ語ってみようと思います。

 事の性質上、楽しかった部門は「いつもやっていたこと」を種別ごとに語り、恥ずかしかった部門は、そういう思いをした特定の出来事を語るというやり方をします。

 裸足の記念日は、いわば裸足になること記念日。それに因むかたちで、今回は他人の裸足ではなく、自分の裸足の話をしていきたいと考えた次第。

 私が小学生の身でいかに裸足沼にどっぷり浸かっていたか、あなたにも知っていただけると嬉しいです。

 

楽しかった思い出

唐突に靴下を脱ぐ

 ここまで語ってきた通り、私は小学生時代、一年のほとんどを靴下なしで過ごしており、そのことを心から楽しんでいました。

 しかし「ほとんど」という言葉の通り、靴下をまったく放棄していたというわけではなく、しっかり履いて過ごす日もないわけではありませんでした。

 履く日と履かない日にいったい何の違いがあったのか、今となっては思い出せません。

 単純なところでは、例えば夏よりは冬のほうが靴下率は高くなっていただろうと思いますが、それだけでもなかった気がします。

 

 そんな「靴下の日」が私にもあったわけですが、しかしそういう日がせっかくの快感を封印された窮屈な日だったかというと、必ずしもそうとは限りませんでした。

 靴下を履いているときには、その状態ならではのお楽しみがあったのです。

 それが、靴下を脱ぐという行為です。

 

 始めから靴下を履いていないことは、もちろん楽しいことでした。

 靴なり上履きなりを脱げばすぐ裸足に慣れるわけですから、開放感が違います。

 しかし靴下を脱ぐという行為には、特有の悦びがありました。

 他の人達と同じように身を包んでいるものを、自らの手で剥ぎ取り、もっともいやらしい部位をさらけ出す……それはとても興奮することだったわけです。

 脱いだ靴下が、丸まった状態で手の中にあることも刺激的でしたね。さてこれをどう処理しようか、みたいなことを考えているときには、何とも言えないゾクゾク感がありました。

 

 そしてそれは、明確な理由や脈絡のないものであればあるほど興奮できました。

 例えば、水に濡れてビシャビシャになった靴下を脱ぐのは、至って普通のことです。確かに裸足を晒す行為ではありますが、そこには100%の妥当性がありますよね。

 それに対して、私が特に好んだのは、人が見たら「なぜそこで」というTPOで、唐突に靴下を脱ぐことだったのです。

 その必然性のなさゆえ、その行為に残っているのは、背徳感や変態性だけ。そこが小さかった私をめちゃくちゃたぎらせたわけです。

 

 特に学校でのそれは楽しかったですね。

 学校で「靴下を脱いでそのまま過ごす」と言えば、定番はプール授業の後か、大雨の中を登校してきた直後でしょう。

 もちろんそういうシチュエーションは全部押さえていたわけですが、それだけでは物足りず、本当に何でもないタイミングで、急に靴下を脱ぐことを楽しんでいたのです。

 

 いちばんドキドキしたのは、授業中に靴下を脱ぐ行為でした。

 先生が授業を進め、クラスメートは皆きちんとそれを受けている。そんな中で、おもむろに上履きを脱ぎ、靴下をかかとまで下ろし、それをするっと脱ぐ。

 そしてそれを、バレないうちにこっそりと、机の脇に掛けてある手提げにしまい込むわけです。

 決して校則違反とかではなかったわけですが、頭の中は「これはイケナイことなのだ」という感覚でいっぱい。まんまとやってやった、という甘美な達成感がそこにはありました。

 

 これをかつて、いちばん前の席に座っていたときにやったことがあります。

 特にこれという機会があったわけではなく、ただ物凄く靴下を脱ぎたくなって、その衝動のままに脱いだのです。授業中に。

 今にしてみれば、後ろに座っていたクラスメートの誰か一人くらいは、それを目撃していたはずです。

 我ながらよくやったものだと思いますね。そのときはとにかく今脱ぎたいという一心で、妙な度胸が湧いていたのです。

 

授業中に裸足になる

 いわゆる素足履きをしているというと、足が蒸れるとか臭くなるといったネガティブな要素が、普通の人は真っ先に浮かぶのではないかと思います。

 確かに、靴下を履かずに「真面目に」履き物を履いていたら、そのようになるでしょう。

 しかし私の場合、こと上履きを素足履きすることについて言えば、そういう要素は極めて薄かったと言えます。

 というのも、靴下を履いていないとき、私はほとんどまともに上履きを履いていなかったからです。

 

 私にとって学校の上履きというのは、「履くもの」であることと同じか、下手をするとそれ以上に「脱いでイジるもの」でした。

 学校に着いて、昇降口で上履きに履き替えたら、かかとを潰したまま教室まで歩いていく。

 そして教室の自分の席に着いたら、ランドセルの中身を机の中に移しながら、その上履きから早速足を抜き出して、裸足になる。

 以降、下校するそのときまで、移動しなければならない時間を除いて、上履きは足から離れているか、履いているとしてもせいぜい軽く足を突っ込んでいる程度に留まっている。

 そういう付き合い方をしていたのです。

 

 ここでももちろん、刺激の本場は授業中でした。

 当時の私の中では、授業中の教室という時間・空間は「神聖にして侵すべからず」なものであり、そこで裸足になってみせることは本当に禁忌性のカタマリだったんですね。

 言葉では言い尽くせない興奮と快感が、そこにはありました。

 

 上履きの脱ぎ方、裸足のなり方にも、いろいろあります。

 私は体操の技のように、自分なりに様々なパターンを作り、それを「難易度」別に分けて、簡単なものは普段から積極的に、難しいものはここぞというときにチャレンジ、ということをよくやっていました。

 ここでいう難易度とは、「周囲にどのくらいバレやすいか」「いざというときにすぐ上履きを履いた状態になれるか」を指標としたものです。

 

 いちばん簡単なところでは、単純に上履きを脱いで椅子の下で裸足を組むとか、上履きの上に裸足を乗せる、といった辺りが挙げられますね。

 少し難易度を上げると、上履きの上下を引っくり返す裸足を机の区画から外に突き出す起立のときに上履きを机の下に置いて裸足で立ち上がる、といった「技」が登場します。

 さらに難しいものとしては、脱いだ上履きを机の区画の外に放り捨てる、というのがありました。上履きが誰かに見つかりやすいですし、何かあったときにすぐには履くことができない。それなりに度胸が要ります。

 合わせ技としては、上履きを机の前方に放り捨て、自分の裸足は机の脇から通路に出してそれをくねらせる、といったものがありましたね。これを一定以上のあいだ持続するのは高難度でした。

 

 今になって悔やまれることが一つあります。

 小学校の6年間で、やろうやろうと思いつつ結局一度も実行に移せなかった「技」があるんですよね。

 それは、「できた者から順に教壇に提出する小テスト」において、机の下に上履きを残したまま、裸足で提出しに行くというものです。

 先述したように私は優等生タイプでしたので、小テストのたぐいを解答するのはいつも速かったんですよ。

 だから皆が問題に集中しているうちに、サッと裸足で出向いて、サッと提出して席に戻ることも可能だったはずなのです。

 しかし6年間、最後までその勇気を出せなかった。これは裸足の民としては、一種の汚点であったと感じています。

 

 しかしまあ、それ以外のことは大抵楽しんできました。

 これも先述したように、私の小学校にはほかに靴下を履かない生徒はほぼいませんでしたので、普段はまったくのソロプレイでした。

 しかし時々、何かの弾みで素足上履きの「同志」が生まれることがありまして。

 そんなときは本当に楽しかったですね。その子が裸足になっているのを目で楽しみながら、自分も裸足になっていろいろなプレイに興じるわけです。

 もちろん相手はこちらのことなどまったく意識していなかったでしょうが、私にとっては一種の協力プレイに他なりませんでした。

 これは良き思い出となっています。

 

登り棒的なものに裸足で登って気持ちよくなる

 先述の記事の中にも書いたことですが、私は幼稚園の頃に、友人から「登り棒的なものに登ると気持ちよくなる」ことを教わり、以来それにハマり込みました。

 いわゆる本物の登り棒は、むしろメインではなかったかもしれません。

 マンションにある共同物干しの棒、ゴミ捨て場や駐車場にある電灯、鉄製の螺旋階段の柱、手すり……。

 そういった身近な「登れる鉄の棒」に目をつけては、裸足になって登る。むしろこちらが主戦場でした。

 

 何しろ第二次性徴を見せる前のことでしたから、絶頂に達しても何も出ません。

 なのであらゆる意味で「準備」の必要がなく、気が向いたらいつでも裸足で飛びついて、気持ちよくなるまで存分に登り降りを繰り返す、という日々でしたね。

 

 まず、外で裸足になるということ自体に興奮していたというのがあります。

 これもTPOが深く影響するところで、例えば浜辺で裸足になっても、興奮の度はたいして強くありません。

 そうではなく、ただ棒状のものに登るために裸足になるのだというところに、妙味がありました。

 

 また、気持ちよくなる行為が「あまり人に言うものではないこと」であるというのは子供なりに何となくわかっていたので、その内緒のお楽しみのために裸足になるのだということもまた、私をゾクゾクさせる要素でした。

 そういえば、靴のまま登ろうと試みたことは一度もありませんでしたね。

 そもそもの最初から裸足での行為だったので、それ以来ずっと当たり前のように、登るときには靴を脱ぎ、靴下を履いていればもちろんそれも脱ぎ、必ず裸足になって登っていました。

 私の中で裸足と登り棒(的なもの)はセットであり、不可分だったわけですね。

 裸足=こっそり気持ちよくなる手段。これは今もなお違うかたちで私の中に生きている公式です。

 

 そして、自分の足の裏がベタついていて、それによって棒にしがみつくことができるのだという事実もまた、私を非常に興奮させました。

 これは自分でもよくわからない心理なのですが……推測するに、生理現象として足裏がベタつくことと、自分の興味である登り棒があまりにマッチするため、パブロフの犬的に、両者が「気持ちいいこと」として頭の中で結びついてしまったのではないかと思います。

 そのベタつきに任せて、気持ちよくなるまで何度も登り降りを繰り返し、途中で足裏が乾燥して吸着力がなくなったら、そこに唾をすり込んで自分でベタつきを作り出す、ということをよくやっていたのが思い出されます。

 

 絶頂に達したときのあの感じは、言うまでもないでしょう。

 大抵その状態は棒の上のほうにいるときに迎えていたのですが(どういう理由でしょうね?)、そこから頭の中を真っ白にしたままずるずると降りていくのが、また格別に心地よい時間でした。

 何というか、「何かに敗北して無様な姿を晒している」ような感覚があって、私はべつにそんなにMではないのですが、それが凄く好きだったんですよね。

 そのまま地上に置いてある靴の上に着地し、しばらく棒を掴んだまま呆けている――何度経験したかわからない段取りです。

 

 小学校の休み時間には、たまに登り棒を使いました。

 たまに、と言うと意外に思われるかもしれませんが、私は休み時間に関しては、当時の友人と遊ぶほうを選びがちだったんですよね。

 私なりの優先順位だったのだと思います。決して裸足だけがすべてではなかった。

 でも登り棒に勤しむこともあったわけで、そのときには限られた時間の中でしっかり絶頂を迎えることができるかどうか、一種の競技状態にあったような覚えがあります。

 

 登り棒にいるのが私一人ということはなく、必ずいろいろな学年のいろいろな生徒が見られました。

 裸足になって登っている子もいれば、そうでない子もいる。気持ちよくなることを知っている子もいれば、そうでない子もいたことでしょう。

 しかしいずれにせよ、女子が裸足になって登り棒にしがみつく姿は、当時の私には素晴らしい「オカズ」でした。

 そんな女子を間近に見ながら、自分も裸足になって登り降りをし、最終的には達して気持ちよくなるって、控え目に言っても極上のプレイじゃないですか。

 場合によっては自家発電の見せ合いっこでもあったわけで、今考えると凄い光景だったなと思います。

 

恥ずかしかった思い出

本屋で裸足になっていたのがモロバレする

 ある日のこと、私は近所の、人がほとんどいない本屋で、店員から死角になる位置で靴を脱ぎ、裸足で歩き回るということをしていました。

 普段はほとんど「外を裸足で歩く」というプレイはしないタイプだったのですが、そのときは何だかむらむらして、そういうことをしたくなったのです。

 

 ドキドキしながら過ごしていたのですが(もちろんまともに本を物色する気になどなれませんでした)、何しろ人のいない時間帯だったので、これということは特に起こりません。

 そうしているうちに、私も少しずつ大胆になっていき、靴からの距離を伸ばして「遠出」を楽しんでみたりしました。

 授業中の裸足プレイと同じ理屈で、すぐ通常の姿に戻れない状況に追い込むほど、興奮度は増したわけですね。

 

 しかし、そこで痛恨のミス。

 ちょっと遠くまで歩いて、さあ靴のところまで戻ろうと角を曲がったら――そこに大人の女性がいて、私が置いた靴を不思議そうに眺めていたのです。

 

 当然私はパニクったわけですが、幸いなことにと言うべきか、とっさに「被害」を最小限に留める動きをとることはできました。

 とにかく下を向いたまま無言で、置いてある靴に裸足を通し、そのままスタスタと、その女性から見えないところへ歩き去ったのです。

 たぶん私の背後で、女性は最後まで頭の中をハテナマークでいっぱいにしていたことでしょう。

 それを思うと今でも顔が熱くなりますね。変な子供をやってしまいました。

 

塾で裸足になっていたら指摘される

 私は小4から小6まで塾通いをしていました。

 まあ言うまでもないことでしょうが、塾においても学校と同じく靴下は履かず、授業中にはよく裸足になっていました。

 ただ、上履きと勝手が違うので、多少遠慮がちなところはあったでしょうか。

 

 その塾は、前週のテストの結果によって毎週クラスや席順が変わるところで、そのため場合によっては、周囲の環境がかなり変わることもありました。

 その日も確か、そんな感じでいつもとは周囲のメンツがだいぶ異なる席順だったと記憶しています。

 いつものように、私が自分の席について、授業中裸足になっていたら、突然、後ろから知らない男子に声をかけられたのです。

「なに裸足になってんの?」

 

 思わずビクッとした――かどうかは覚えていないのですが、それが自分への指摘であることはすぐにわかることで、私は後ろを振り返ることもせず、そのまま応急処置的に靴に裸足を通しました。

 ちゃんと履くには手を使うことが必要だったので、かかとは潰したままでした。

 

 そうこうしているうちに、やはりまた脱ぎたくなってくるのが私という生き物。

 それでついつい、また同じように裸足になってしまったのですが……そうしたら今度は、べつの男子からまったく同じ指摘を受けてしまったのです。

「なに裸足になってんの?」

 そしてそれに続いて、このような言葉が被さってきました。

「こいつ、さっきも裸足になってたよ」

 

 再び慌てて靴を履き、そして今度は授業が終わるまで、二度と裸足にはなりませんでした。

 これはさすがに恥ずかしかったですね。後ろを向いて相手を確認することはとてもできず、彼らがどんな顔をして私を見ていたのかはわからずじまいでしたが、まあ文字通り「何なのこいつ」という感じだったのでしょう。

 そしてこの場合、間違いなく彼らの反応は正しい。

 一方的に、私が変な奴だったというのが正味のところです。

 

学校の教室で男女グループのネタにされる

 小5か小6、どちらだったかは忘れてしまったのですが、その日、いつものように、私は学校の教室で席につき、上履きを脱いで裸足になっていました。

 ホームルーム(小学校では「朝の会」でしたっけ)が始まる前だったか、あるいは中休みだったか昼休みだったか、その辺りはよく覚えていません。

 何をするわけでもなくぼーっとしていたのですが、ふと視界の隅に、何人かのグループ(男子と女子の混合でした)が妙な空気になっている様子が入ってきました。

 

 何だろうと思い、見ていることがバレないよう少しだけ視野を移動させて、様子をうかがうと――彼らはある一点を皆で見つめながら、口元に苦笑のようなものを浮かべていたのです。

 その一点とは、明らかに私の足元でした。他に候補となるものは何もなかったので、それを理解するのに思考はまったく必要ありませんでした。

 

 さてどうしよう、と思いました。

 とりあえず上履きから裸足を離すことはやめて、足先だけ履くかたちにしたのですが、そこから身動きが取れない。

 何というか、「蛇に睨まれた蛙」状態で、固まってしまったんですよね。手を使ってきちんとかかとをはめ込むこともできず、とても中途半端なまま、とにかく彼らの注目に気づいていないフリをするのが精一杯でした。

 

 そのうちに、グループの男子が一人、私の背後まで近寄ってくるのがわかりました。

 そしてどうやら、しゃがみ込んで私の上履きにタッチらしきものをしていった。

 後から想像するに、一種の度胸試しのノリで、「私の裸足と上履きのあいだに、気づかれないように触れて戻ってくる」的な遊びをしていたのだと思います。

 まあ私は気づいていたわけですが、とにかくそんな感じで、私の裸足プレイは束の間の娯楽のネタにされてしまったのでした。

 

 その一部始終を、気づいていないフリをしながら甘受するのは、猛烈に恥ずかしかったですね。

 幸いなことに、その後変な風にイジられることもなく、その件はそれっきりになったのですが、環境が悪ければイジメ的なことにも発展していたかもしれません。

 その意味ではラッキーだったと言えるでしょうか。

 

 それで私が少しのあいだでも懲りたかというと、そんなことはまったくなく、直後からまた普通に裸足を楽しんでいたのが、我ながら笑ってしまうところです。

 本当に、何にも代えがたい悦びだったんですね。裸足になることが。

 

バレたら恥ずかしいことを人前でする心理

 ここまで書いてきて改めて思ったのですが、私の「自分が裸足になる快感」のメカニズムは、実にわかりやすいですね。

 要するに私は、「人がいて、かつ裸足になるべきではないところ」で裸足になることに強い興奮を覚えるが、いざ人にバレてしまうと、克明な思い出として後々まで語れるくらいそこに恥を感じる人間だったのです。

 人並み以上に裸足を見られたくなくて、でもだからこそ人並み以上にそれを晒してしまっていたわけですね。

 

 これってもしかして、いわゆる露出狂の心理と同じなのでしょうか?

 彼らは一般的には「見せたがっている」という風に受け取られていますが、もしかしたら私のこれと同じように、その前提として「人並み以上に恥ずかしがる」性質があったりするのでしょうか?

 なんか、彼らのことをわかった気になるのも凄く妙な感じなのですが……仮にこれが合っているのだとしたら、良くも悪くもいろいろと腑に落ちます。

 

 しかしそう考えると、裸足という部位の「罪のなさ」が本当にありがたいなと感じずにはいられません。

 どんなに晒しても犯罪ではありませんし、せいぜい「何だあいつ」止まりで目撃者の思考も済んでしまう。

 これがもし裸足ではなく、もっとセンシティブな部位に対してそういう嗜好を持つ人間であったなら、私は生きるのがものすごーくしんどくなっていたことでしょう。

 

 まあでも、私が「自分の裸足」にこだわっていたのは、その辺りまででした。

 思春期の訪れと共に、だんだんそちらからは興味が引いていき、他人の裸足に興奮する嗜好だけが残ったのです。

 そこであろうことか中高一貫の男子校に進学してしまい、制服裸足の女子という最高の存在を間近に拝む機会を失ってしまったのは、またべつの話――。

 

おわりに

 以上、かつて燃え上がらせていた「裸足になることに興奮する」嗜好について、覚えている限りを書かせていただきました。

 先述したように、裸足の記念日って、たぶん他人の裸足にどうこう思う話より、自分が裸足になる話のほうがよりしっくり来る日ではないかと思うんですよね。

 それを意識するかたちで、今回はこのような記事とさせていただきました。

 女子のネタを楽しめると思って来られた方、大変申し訳ありません。

 でもこれも、裸足フェチの重要な一面だと思う次第です。

 

 さて、これで当記事を締めくくらせていただきますが、読者の皆様の中には、同じように「自分の裸足」に何か特別な思い出があったという方はおられますでしょうか?

 もしおられましたら、ぜひコメントで体験談などお聞かせいただければと思います。

 

 それではご一緒に、ハッピー・ベアフット・デイ!

 

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