今日は小説・ラノベ(個人的にこの二つを分けて表記するのって好きではないのですが、検索効率を考えてこのように扱います)の新人賞を縁の下で支えておられる、いわゆる下読みさんと呼ばれる方々について書いてみようと思います。
内容的にdisるというか、逆恨みというか、そういうニュアンスがちょっと出ているかもしれませんが、投稿者という立場からの言葉として、ある程度そういうのがあったほうがリアルな手触りがあるかなと思い、あえてそうした部分もあります。
この点、ご了承いただければ幸いです。
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2014年の怪文書
遡ること数年前、2014年に、はてな匿名ダイアリーにて次のような記事が投稿されました。
詳しい内容はお読みいただくとして、ざっくり言うと、「下読みのレベルが落ちており、信頼できる選考になっていないことが増えてきた」という一種の内部告発です。
もちろん匿名の投稿なこともあり、批判精神ゼロですべて真に受けてしまうのは問題があるとは思うのですが、少なくともその内容には一定の説得力があり、くだらないデマだと一笑に付して終わることもできません。
まあ、ちょっとした「怪文書」の類でしょう。
2014/07/30というと、私が初めての長編小説に着手する直前くらいでしょうか。
なので恐らく当時の私は、この記事をかなり「他人事」として読んでいたのではないかと想像します。
ラノベ自体も全然読まない生活だったので、「なるほど、本当だとしたらだいぶ雑な業界なんだなあ」くらいの感想だったのではないかと……。
でも、それなりに投稿歴も重ねた今、改めて読み返してみると、ちょっと簡単には処理できないものを感じるわけです。
これは小説を投稿をなさっている方ならおわかりかと思いますが、頑張って書き上げた作品が、コンスタントに毎回高次選考に行ける人はほんの僅かです。
まず一次選考を通過できるか否かというのが一大イベントであり、そこで何度も苦汁をなめてきた方は山ほどおられる。
そんな一次選考が、上記記事のような雑な内情を抱えているのだとしたら、これは心穏やかにはいられないところでしょう。
日本語ができていれば一次は通る?
上記記事の締めでも言及されておりますが、かつて小説・ラノベ新人賞の一次選考といえば、「まともな日本語で小説らしきものが書けているかどうかを見る段階」と言われていました。
実際にどうだったのかは、その当時の投稿者ではないので何とも言えないのですが、それが通説であったことは確かだと思います。私も何ヶ所かで、そのようなことを言っている方(中にはプロもおられました)を見たことがありますので。
ですが現在、上記記事も述べているように、もはやそれは過去の話となっています。
まず第一に、上位のレベルはともかく、下位のレベルがそれなりに上昇し、「まともな日本語になっている小説」の数が増えてきたのではないかということが推測されます。
そして第二に、これは特にラノベに見られることなのでしょうが、応募の絶対数が増えたため、以前と比べて「よりまともなものでも落ちやすくなった」ということが挙げられるのではないでしょうか。
これにより、一次選考の世界は「杓子定規に振るいを掛ければそれでいい」ところから、「下読みさん個人の『読み』も試される」ところへと変貌したのではないかと思います。
なのに(上記記事によれば)人員不足により下読みさんの集め方が雑になっており、結果として現場の判断にかつて無かったような混乱が生じていると。
はっきり言って、誰も嬉しくない事態になっていると言うほかありません。
「いやいやちょっと待った。それって上の怪文書を元にした想像でしょ? 自分が一次落ちしているのを、自分の筆力以外のせいにしたいだけじゃないの?」
ここまで読まれて、そう感じた方もおられるかもしれません。
なので以下では、界隈でかなり有名な例と、僭越ながら個人的な投稿のエピソードを記すことで、現在の一次選考がかなり「ファジー」なものであることを示そうと思います。
『86』の一次落ちエピソード
第23回電撃小説大賞受賞作『86 ―エイティシックス―』は、当時かなりのインパクトを持って世に送り出され、大きな好評を得る結果となりました。
それ自体、輝かしい記録として今後も残っていくものなのですが、同時にこの作品、作者さん自らの発言によって、私のようなワナビのあいだに、まったく方向性の違う、とある「功績」をもう一つ刻み込みました。
それは次のようなエピソードです。
「『86』は前年の電撃小説大賞にも応募していたのだが、一次選考で落選してしまった。その作品の最後に2ページ加筆して再度応募したら、今度は大賞を獲ってしまった」
もちろん、小説というものは、ラスト2ページがそれまでの内容の価値を大きく変えてしまうこともあり得るメディアです。
なので、前年度の『旧86』が失礼ながらたいした作品ではなく、受賞した『86』が傑作であったと単純に考えることも、一応可能ではあります。
しかし常識的に考えて、一次落ちと大賞ではいくら何でも結果が違いすぎです。
前年度に『旧86』を落とした下読みさんに、翌年の『86』を読ませたら、果たしてそれを、大賞に値する作品であると評価していたのでしょうか。
また、ラスト2ページを加筆しただけで再度応募したということは、全体の文章のほとんどが前年度のままであったということになります。
つまり、『旧86』の段階で、すでに日本語的には大賞を獲れる器であったわけです。
これこそまさに、現代の一次選考が「日本語の不出来で落としているわけではない」ことを示す、何よりの根拠になるでしょう。
一つだけこのエピソードに難色を示すとしたら、あまりにもワナビのあいだで知られすぎて、「むやみやたらと他責な人」がひたすら選考をdisる際の、便利なアイコンになってしまっているところでしょうか……。
実体験:一次落ちを再投稿したら三次落ちに
『86』ほど華々しくなくて恐縮なのですが、私の投稿歴の中にも、一次選考がちょっと怪しく思えてくるエピソードは幾つかあります。
電撃大賞に絞っても2つは挙げられますね。
一つは、人生3本目の長編小説。
最初一次落ちしたのですが、自分では非常に気に入っていたため、全体を数十行分だけリライトして翌年、再応募したのです。
その結果、残念ながら賞はいただけなかったのですが、今度は一次を通り、二次を越え、三次選考まで進むことができました。
しかも、三次選考は2人の編集者さんによる選考なのですが、そのうちのお一人からは、評価シートにてほぼ手放しの絶賛をいただくことができたのです。
言葉にできないくらいモチベーションに繋がったのは、言うまでもありません。
そして二つ目は、人生8本目の長編小説。
去年、電撃大賞・小学館ライトノベル大賞・MF文庫Jライトノベル新人賞のすべてで一次落ちしてしまったのですが、そのことにどうしても納得することができなかったため、ほんの数文字の改稿だけで再び電撃に応募したのです。
その結果、先日の発表にて、第26回の一次選考を通過することができました。
どちらの例もやはり、一次選考が単に日本語を見ているわけではないこと、そして下読みさんの個性によって大きく揺らぐものであることを示していると言えます。
一部の作家さんや現役の下読みさんは、一度応募して落選した作品を再応募するのは心象が良くないのでやめたほうがいい、というようなことを主張なさっています。
それがまったくの嘘であるとは言わないのですが、それを鵜呑みにして一次選考を「その作品にとって生涯一度きりのチャンス」にすることは、私にはできそうにありません。
それをするには選考への信用が必要で、私はぶっちゃけ、それだけの信用を下読みさん諸氏に対して持つことができないからです。
なので私としては、今後も落選作の再応募はガンガンやっていこうと思っていますね。
これを読んでいるあなたが作家志望の方であるなら、やはりそのように積極的に再応募していくことをオススメしたいです。
もちろん、新しい作品は新しい作品で、意欲的に書いていくのが大前提ですが。
結局、お任せするしかない
電撃大賞のwebサイトによれば、同賞の下読みさんの人数はおよそ30人ほどであるようです。
で、今回(第26回)の応募総数が4,607本なので、長編短編を無視して単純に30で割り算すると、一人あたり約150本を受け持ったということになります。
サイトにはこのように書いてあります。
約5,000本の応募原稿すべてを、必ず最初から最後まで精読して選考をしています。途中までしか読まない…ということはありません!
引用元:電撃小説大賞 選考過程の紹介&選評サンプル
しかし現実問題として、そう長くない期間に150本もの素人の小説を読むというのはなかなかに大変な作業であり、中には序盤を読んだだけで「これはもういいよな……」となり、あとはせいぜい流し読み、ということはあってもおかしくありません。
本当に文字通りの精読を隅から隅まで要求するのは酷ですし、一定以上の品質の小説ならサラッと読んでも判別はつく、という考え方もできますからね。
まあ、こういうことも諸々ひっくるめて考えて、現代の一次選考というのは、一応日本語が書ける人にとっては、ギャンブル要素を宿命的に含むものなのでしょう。
そんな中で、出せば必ず高次選考に進めるという人は、本当に才能がある人なんだろうなと素直に感嘆します。
そして何を言ったところで、結局のところ私のような投稿者にできるのは、自分に当たる下読みさんとの相性が良いことに期待しつつ、一所懸命に作品を書いて送ることだけなのです。
じゃあ何のためにお前は今回、この記事を書いたんだと言われると……まあ、あれですね、「私や私の同類には、定期的にこの件に関する気持ちの整理、あるいはガス抜きが必要なのだ」というのが回答になるでしょうか。
はい。
おわりに
一方、web小説の世界には、限られた人間による選考というものがありません。
直接、読者の目に晒すものであり、読者による評価がすべてとなります。
そこに魅力を感じて、そちらで自分を試してみたいと考えることもあります。
でもいざ具体的に考え出すと話はそう理想的ではなくて、「小説家になろう」にせよどこにせよ、サイトごとにかなり強い「傾向と対策」があり、それに従って書いていかないと(相当な良作を除いて)箸にも棒にもかからない、という難点があるんですよね。
そのことと「下読みさんルーレット」のどちらがマシなのかは、私にはちょっと判断することができないのですが、ともあれ物語を書いて人に認められるのは大変なことだなと、つくづく思います。
今後の私の予定としては、来年の電撃大賞に1本送り、それとはべつに、どこかのサイトでフェチ全開のweb小説を1本、loki名義でアップしたいな、と考えているところです。
このブログとの両立が大変なのですが、何とか作り上げたいところですね。
認められないのは悔しいですし、面倒臭い部分もたくさんあるのですが、小説を書くのって何だかんだで楽しいんですよ。
全ての文字書き必見。推敲も校閲も面倒見てくれます。
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