天国的底辺

二次元、創作、裸足、その他諸々についての思索で構成されたブログ

0話切り、1話切り、3話切り……アニメの切り時についての雑感

 今日は「アニメを切る(視聴をやめる・しない)」ことについて、思うところをつらつらと書いていこうと思います。

 ちょうど夏アニメの視聴が始まって3週目が終わった時期で、私の中でもタイムリーな話題。世間一般の話と自分自身の話を、バランス良く書けたらなと。

 

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TVアニメは切って当たり前のもの

 改めて「アニメを切る」という言葉について考えると、何だか凄く上から目線の物言いに聞こえます。

 私も普段からこの「切る」という表現に慣れきってしまっていて、ちょっと感覚が麻痺しているところがあるのですが、アニメ関係者の方々からすると、きっと面白くないだろうな、という想像はできますよね。

 何だか、グルメ気取りが宇宙から見下ろしているみたいな言い方ではあります。

 

 ただ言葉の響きはともかくとして、「切る」こと自体は実に当たり前、アニオタの行動としてはかなり基本的だったりします。

 そしてその行動自体はむしろ、アニメ関係者に優しかったりする。

 つまり、最初は自分の生活におけるキャパを超える量のアニメをチェック対象にしておき、少しのあいだ頑張ってそれらを視聴し、適量に絞っていく――例えばこういうのが、アニメを切ることの背景にはあったりするわけです。

 生活のキャパを超える量をチェックしてもらえるのですから、送り手にとっては悪い話ではないはずです。

 

 そもそも、放送している本数が多すぎるんですよね。

 粗製乱造とまでは言いませんが、ちょっと暴走気味に思えますし、視聴者としてももうちょっと押さえられる率を上げたい。

 私は基本的に、名作は作って作って作りまくることから、つまり「量の中から」生まれるものだという考えなので、もちろんろくに作らないよりはずっとマシです。

 とはいえ現状は、アニメーターさんの数から考えて「適量」を遥かに超えているように思えてなりません。

 あくまで素人考えなので、では適量とは何本くらいを指すのか、と問われると苦しいのですが……感覚的な話として、もっと体制が落ち着いてくれたらな、というところです。

 

 閑話休題。

 そのような量の問題もあって、アニオタが「面白いものをできるだけ拾おうと頑張りつつ、生活も保つ」ためには、最初にガバっと抱え込んでチェックして、何かしらの理由で切っていく、というのが必要になってくるわけです。

 その過程で、いわゆる「○話切り」という言い方が定着していったのですね。

 

よくある「切り口」

 ここでは、アニメを切るタイミングとして世間で良く見られるもの――言い換えるなら「切り口」について、3つほど挙げてみます。

 

0話切り

 まずは0話切りです。これは内容を実際に観て切るのではなく、事前に得られる情報をもとに「最初から観ない」という選択をするときに使われる言葉です。

 その意味では、切るという言い方は適切ではないかもしれません。それ以前にそもそも関わらない、という話ですから。

 しかしオタク用語(?)として、0話切りという言い方はそれなりに定着しています。

 

 これを行うのは、単純に各々の可処分時間の問題ですね。

 アニオタの心理として、どんな作品に対しても「もしかしたら観れば面白いのかもしれない」可能性は常に頭をよぎっていると思います。

 なので「そもそも観ない」という選択は、それなりにつらい。本当なら一度はこの目で確かめたいんだけどな、みたいな気持ちはある。

 でも時間は有限なので、毎シーズンまずは全話チェック、などということは残念ながらできない。そこで0話切りが発生するわけです。

 

1話切り

 次に1話切りですが、これは作品の方向性や作画を一応確かめ、「あ、これは自分的にはないな」と判断したときに行われるものですね。

 一見すると凄く冷徹な判断に思えますし、もうちょっと様子を見てもいいんじゃないのと感じるところもあるかもしれませんが、そもそも1話切りするような作品は「ちょっと無理して時間を作ってチェックした」事情があったりするんですよね。

 つまり「1話を観た」ということ自体、ある意味では温情であるとも言えるわけです。

 その結果、やっぱり良さを感じられなかったので視聴をやめる、という判断であり、まあ仕方のないことではあるでしょう。

 

 ただしもちろん、切った作品が後々話題になって、「ああ、1話で切らなければよかった」となることもそれなりにあったりします。

 そのリスクも承知の上で行うのが、1話切りという行為であり、アニオタ的には己の感覚が試されるところでもあるわけですね。

 

3話切り

 恐らくもっとも定着しているのが、この3話切りです。

 3話という数字は、0話とか1話に比べると中途半端であり、まったくアニメを観ない人からしてみると「何故そこで」と思うところかもしれません。

 

 一言でいうと、3話というのはアニオタの経験則なんですよね。

 その作品がそれなりに展開を見せ始め、メインキャラも揃ってきて、物語がどういう風に進んでいくのかが(推測の域を出ないとはいえ)ある程度わかってくるタイミング。

 ポテンシャルというか位置エネルギーというか、そういうものが一通り目に見えるかたちで表れて、その作品の全容を「推し量る」ことが可能になる最初のタイミング。

 それが3話であることが多い、というのが、多くの視聴経験から導き出されたアニメ界隈の通説なわけです。

 

 逆に言うと、光るものを持った作品は、3話までに何らかのかたちでそれを出してくる。

 有名どころでは、『魔法少女まどか☆マギカ』の3話が挙げられるでしょう。

 そして近頃ではこの3話切りがあまりに有名になったため、恐らくですが、作り手の側としても、3話までに見せられるものは見せる、という構成を以前より意識しているのではないかというのが、私の推測です。

 そのため余計に3話切りが意味を持ってくる。そんな循環が、あるいは生まれているのかもしれません。

 

私の個人的な切り方

 さて、ここでは私の個人的な「切り方」を書いていこうと思います。

 

 まず0話切りですが、ここはとても大事である一方、あまりこの段階で情報を拾いすぎないようにも気をつけています。

 というのも、私にとっては公式サイトのあらすじやキャラ紹介も一種のネタバレで、本当はできるだけ目にすることなく、まっさらな状態で作品に臨みたいんですよね。

 でも先述した通り、0話切りをしなければ生活が成り立たないので、仕方なく、本当に最低限の「作品の方向性」だけを見て、自分に合うか合わないかを決め、だいたいリアルタイム視聴数を10本ちょっとくらいにまで絞るようにしています。

 

 ここで私の場合、3通りの取り扱いをします。

「一切関わらない」「とりあえずHDDには収めておく」「視聴する」の3通りです。

 恐らく普通は1つ目と3つ目だけだと思うのですが、根が貧乏性なためか、私は2つ目が結構多いんですよね。

 その結果、手元に未視聴の作品が山ほど溜まってしまうことになるのですが、その量がまた、うんざりすると同時に快感でもあったりするのです。

「いつか観てやるぞ~」みたいなワクワク感ですね。実際にはあまり崩せていないのですが……。

 

 次に1話切りですが、私は基本的にこれはやりません。

 0話切りの際に、自分に合いそうにないものをきちんと取り除いておけば、1話だけで早々に「こりゃ合わないわ」となることはまず無いからです。

 1話で切るとしたら、よっぽど作画がまずかったとか、ちょっと許容できないくらいお話が退屈だった、というような場合ですね。

 これらは制作体制に深刻な問題が生じていることを表しており、受け手が事前に読むことはできません。こういったものに当たった場合は、残念ながら即お別れ、ということになります。

 

 そして3話切りなのですが、私の場合、これがあまり無いんですよね。

 3話切りの理屈としては先述した通りで、それはそれで筋が通っていると思うのですが、私個人としてはあまり合わない。

 天の邪鬼になっているわけではないのですが、それよりは2話切り5話切りのほうが多いです。

 

 なぜ2話や5話なのか?

 ちょっと考えてみたのですが、たぶん私は「大きめの動きのその次」を観て決めたいのだと思います。

 1話という、もっとも多くの新規情報が入ってくる回の次=2話。

 3話で見えてきた後々の流れのポテンシャルが、「実際にどうかたちになっているか」を確認できるタイミング=5話。

 要するに、「念のため確かめたい」気持ちの表れですね。

 

 特に日常系のアニメは、上記の2話切りと5話切りが多いかもしれません。

 

近頃の1クールアニメは構成が酷似?

 最近はほとんどのアニメが1クールとなっていますが、短いだけあって、物語の方向性ごとに、だいたいの構成が決まっているところがありますよね。

 べつにそれを悪いことだとまでは言わないのですが、「こういうお話ってことは、だいたい○話でこうなって、×話でこうなるよね」みたいなことが、まあまあわかる。そして実際、そんなに外さない。

 

 なので余計に、各人の「○話切り」が意味を持つようになっているように思います。

 よほど風変わりなことをしようとしている作品でない限り、この話数までで琴線に触れないなら、もう残りも期待できないな、という推測が、綺麗に成立してしまう。

 たまにはこういったことに関して、思いっきり裏切られてみたいのですが……。

 そういうのを作るのも、なかなか難しかったりするのでしょうか。

 

 あと、今回のテーマからは外れてしまいますが、日常系アニメの一部にある「10話ラストで不穏な空気を作って、11話でシリアス展開、12話で解決して元の日常に回帰」みたいなあれ、視聴者はそろそろ茶番劇としか思わなくなっているので、あまりやらないほうがいいんじゃないかと思いますね。

 終盤なので、それを観て切る人はあまりいないと思うのですが、円盤の売上には結構響いてくるんじゃないかと思うのです。

 そろそろ次の潮流を作るべきときではないでしょうか。

 

おわりに

 先述したように、私は「視聴はまだしないが一応保持しておく」ことを選ぶことがよくあり、その結果、手元に大量の作品が溜まっています。

 本には「積ん読」という言い方がありますが、アニメの場合は何と言えばいいのでしょうね。単純に積みアニメ?

 わかりませんが、作品数にして3桁のストックがあり、今すぐ新作がなくなっても当分はアニオタとして生きていける環境だったりします。

 

 それでも新作を追いかけてしまうのは、アニメは広い意味でのコミュニケーションツールでもあり、巷の話題についていくことが楽しみの一つだからですね。

 よほど可処分時間がなくならない限り、このライフスタイルは崩せそうにありません。

 

 本当は旧作も並行して消化していきたいんですけどね。

 そこまでの時間とエネルギーが、なかなか確保できないのが現状です……。