今日は私が常日頃お世話になっているところの、いわゆる裸足フェチ界隈が、いかに多様な嗜好によって成り立っているか、という話をしていきたいと思います。
文章構成上のコンセプトとして、この記事は「裸足フェチではない人に、裸足フェチを説明する」かたちを採っています。
裸足フェチと聞いて興味を持った方はもちろん、逆に引かれた方も、騙されたと思ってしばしお付き合いいただけると嬉しいです。本当に騙されたらごめんなさい。
本記事中の画像はすべてゴッツさん(@lovegreen11821)からお借りしました。
快諾していただき、本当にありがとうございます!
フェチとは厳密で宿命的なもの
あなたは何かのフェチを抱えている方でしょうか?
それとも、そんなものとはまったく無縁な生活を送っている方でしょうか?
前者であれば、これから語ることについて、恐らく「うんうん、その通り」と納得していただけるのではないかと思います。
後者であれば、せっかくの機会なので、ぜひフェチというものの深淵に触れていってください。
フェチというもの自体の説明はここでは省かせていただきますが、私がそれについて語るとき、真っ先に訴えたいのは次のようなことです。
「フェチって、とてつもなく細分化されているものなんです。そして、自分では自分の属性を変えることができないんですよ」
あなたがフェチについて詳しくない場合、例えば裸足フェチと聞いたら、「よくわからないけど、とにかく裸足が好きなのね」という以上は深掘りできないだろうと思います。
○○フェチ、という言葉の○○が最小単位で、そこより先に何かがあるとはたぶん、考えていないはず。
なので恐らく、あなたの中のイメージは、すべての裸足フェチの和集合的なものになっていることでしょう。
裸足に関わることなら何でも等しく大好きだし、等しくのめり込むことができる……そんな変態、もとい特殊性癖を持った人物像です。
でも実のところ、フェチを持っている人というのは、何と言いますか、具体的な好みに非常~~~にうるさいのです。
「確かに自分は裸足フェチだけど、好きなのはアレとコレであって、ソレではないんだよなあ」みたいなのが、各人の中にたくさんある。
しかも先述したように、それを自分では変えることができないのです。
「変わる」ことはありますよ。年月の経過と共に、だんだんこちらからこちらにシフトしてきた、ということはあり得ます。
でも、自分から主体的に「私は今日からこちらの属性になります」と宗旨変えすることは不可能といっていい。
まるで持病か呪いのような言い方になってしまいましたが、ここにフェチの厄介さと奥深さが見て取れるわけです。
ただ――以下は私の個人的な観測の結果であり見解なのですが――この多様性と不変性、私はかなり気に入っているんですよね。
というのも、フェチの世界の多様性は、現実世界の他の様々な多様性問題(最近は世界的にホットトピックですよね)と異なり、あまり諍いに発展しないのです。
「なるほど、あなたは○○が好きなのですか。私は××が好きなんですよ」という風に、和気藹々と話が流れることが多い。
何故なのかと考えたのですが、恐らく「自分では変えようがない」「多かれ少なかれ後ろめたさを抱えている」「あくまでも嗜好の世界である」ことが上手く混ざりあった結果、お互いに押し付け合うのはやめましょう的な、他者に敬意を払う気持ちが芽生えやすいからではないかというのが、今のところの私の仮説です。
あくまで私見ですが、これはとても気分の良いことですよ。
リアルでもネットでも、「他者が持っている、自分と違う部分」について、なかなかそういう風に平和的に語り合うことってできないものですからね。
フェチに理解のまったくない人だと、全部まとめて変態扱いで聞く耳を一切持ってくださらないのでしょうが、私としては、多様性に対するフェチ持ち達のアプローチは、世界平和のお手本にさえなるのではないかと、けっこう真面目に思っていたりする次第です。
裸足フェチの多様性
さて、では本日のメインコンテンツ。
裸足フェチがどのような多様性を持っているかについて、積極的に気持ち悪がられに行く勢いで紹介していこうと思います。
一応お断りしておきますと、以下の項目はあくまで、この記事を書くために割くことのできた時間の中で、私の頭に浮かんだものに過ぎません。
実際には、まだいろいろと語れるものがあると思います。
従って、これらはあくまで氷山の一角なのだ、という解釈でお読みいただけると、私としては大変助かります。よろしくお願いいたします。
「足だけ」か「脚も」か
「裸足」といえば足首から下を指すものというのが一般の言語感覚であり、実際、裸足フェチというのはその部位に主軸を置いている性癖です。
しかし、ここで「文字通り足首から下にしか興味がない」か「脚にも興味が行く」かは、その人ごとにまったく異なります。
画像を嗜むときなどに、それが顕著に表れますね。
「脚」に興味がない人は、脚が映っているぶん裸足がアップでないことに対して、興奮できる度が低いという判断を下すでしょう。
反対に脚にも興味のある人は、足と脚がセットになっていることで、より惹きつけられると考えるところです。
もちろん、どちらが「正しい」ということはありません。純然たる嗜好の違いです。
一つ言えるのは、裸足フェチは「足」と「脚」の区別には非常に敏感だということですね。
あなたがいつか裸足フェチの人とネット上でやり取りする機会があったら、漢字変換には十分注意したほうがよいでしょう。
そこがいい加減だと「これだから一般人は」みたいに思われます。
タイツ類を受け入れるか
裸足フェチのメインはもちろん裸足ですが、タイツやストッキングを履いた足も全然余裕で楽しめる、という人もいます。
その逆で、何かを履かれると途端に興味が薄れてしまう、という人もいます。
その中間くらいの人もいます。どっちが好きかと言われれば裸足だけど、でもタイツとかもそれはそれでいけるよね、という感じのスタンスですね。
やや話は逸れますが、「タイツやストッキングを履いた」「脚」を好むことに関しては、フェチというよりは一般の領域に属するのかな、と思っています。
脚線美、という言葉が示すように、「脚」は「足」よりも市民権を得ている。そこにタイツ類が加わると、それはもはやフェチとは言えなくなるのではないかなと。
なので個人的には、「私は脚フェチなんですよ。黒のパンストとか最高ですね!」みたいなのは、「うーん?」だったりします。
しかしもちろん、この思考形態もまた、フェチの多様性の一つに過ぎません。
汚れているのは好きか
世間一般の発想として、足(特に足裏)というのは「汚い」ものだと思います。
中にはそれをそのまま当てはまるかたちで、「裸足フェチというのはその汚さが好きなのだろう」と考える人もいるのではないかと想像します。
しかし、必ずしもそうとは限らないのが裸足フェチの奥深さなのです。
裸足は好き。足裏を見るとめちゃくちゃ興奮する。でも汚れているのは好きじゃない。
そういう嗜好も存在するんですよね。
これはフェチではない人からすると、とてもおかしなことに聞こえるかもしれません。
「綺麗な足」というのは、現実的に考えれば洗いたての状態しかあり得ない。つまり洗いたての足限定で好きなんですか? という疑問が浮かんでもおかしくないですよね。
でも「汚れているのが嫌い」というのはそこまでの話ではなく、パッと見でわかる汚れがない、というだけの意味だったりもするんですよ。
ここの程度も人によって異なるので、その人の真意を理解するには、もうちょっと深く分け入った話をする必要があるのです。
本当に細分化されています。
匂いは好きか
これは上記の「汚れ」と考え方がほぼ同じですね。
足といえば匂い。これも世間一般の発想として普通に繋がるところだと思うのですが、では裸足フェチが「そこを好き」なのかというと、これもはっきり分かれるところなのです。
足の匂いが好きという人と、臭くない足が好きだという人。
くれぐれも、裸足フェチの人に対して安易に「あんな臭い部位のどこが良いの?」とは訊かないようにしましょう。
裸足フェチ側からすると、雑に処理されているように感じ、あまり良い気持ちはしないからです。
外を歩くシチュは好きか
裸足で外を歩くシチュエーションが好きかどうか、というのも、人によって異なるところです。
もう少し厳密に言うと、「本来なら靴を履くなりして歩くべきところを裸足で歩くシチュエーションが好きかどうか」ですね。
必ずしも「外」とは限りません。たとえば学校の教室などもその範疇だったりします。
また、そういうシチュエーションが好きだったとしても、じゃあその結果として汚れた足が好きなのかというと、これも人によって分かれるので、簡単には判断できません。
汚れは汚れ。外を歩く行為は外を歩く行為。あくまで別個の話であり、たとえ現実的には一蓮托生であっても、同時に好きになるとは限らない点にはご注意ください。
舐めるのは好きか
これもはっきりと好みが分かれるものですね。
まず、舐めたいと思うかどうかが、人によって異なります。
次に、足を舐めるというと、いわゆる「M」を想像する方が多いと思いますが、舐めるのが好きという人が皆そのような意味で好きかというと、そういうわけではありません。
これもややこしい話ですが、そもそも足を舐めるという行為がSに属するのかMに属するのかも、人によって捉え方が違うのです。
さらに言うなら、自分が舐めたいかどうかと、誰かが舐めているのをプレイとして鑑賞したいかどうかも、また別問題だったりします。
素足履きは好きか
ここで言う素足履きとは、靴下などを履かずに靴などを履くことですね。
これに興奮するかどうかも、裸足フェチによって分かれるところです。
また当然ながら、どんな靴かによってもシチュエーションが異なるので、そのぞれぞれに対して「これは好きだけど、こっちはあんまり……」という興奮度の違いがあったりするわけですね。
たとえば、ビーチサンダルは素足履きするのが普通だからあまり興奮しないけど、学校の上履きを靴下なしで履いているのは背徳的で興奮する、という感じです。
服装にこだわりはあるか
裸足フェチと言いつつ、足より上の服装が興奮の度合いに大きく関わってくることもあります。
これこれこういう姿で下だけ裸足なのが良いとか、そういうこだわりです。
もちろん、そこにはまるで興味を示さない裸足フェチもいます。彼らからしてみると、何を着ていようがいまいが、要するに足さえ露出していればみな同じ、という風になります。
これは大きく言うなら「フェチに関して、シチュエーションを込みで考えているか否か」ということになるかもしれません。
二次元と三次元
二次元というのは、要するにアニメキャラ等のイラストですね。
三次元というのは、現実の人間のことです。
当ブログは二次元オタクが運営しておりますので、ここにも慎重さを向けたいところ。
ごく「普通に」考えれば、二次元オタクなら二次元も三次元もいけるし、そうでない人なら三次元は当然いけて、二次元は人による、という風になるでしょう。
しかし、これも必ずそうなるとは限らないので、注意が必要です。
具体的には、二次元オンリーで三次元には興味がない、という人もいるのです。三次元の裸足は汚いイメージだから興奮しない、リアルじゃないものにしか興奮できない、ということですね。
これは「オタクとして重度かどうか」とはまたべつの話であり、例えば「三次元の裸足に興味がないから実在の人間が恋愛対象にならない」ということには直結しないので、早とちりしないようにしましょう。
自分が裸足になるのは好きか
今回挙げた項目の中で、これが一番はっきりと分かれるところではないかと思います。
裸足が好きというのは、要するに誰かの裸足に興奮することなのだ、という人がいる一方で、自分の裸足をさらけ出すことにも特別な意味を見出す人がいます。
両者は基本的に、まったく相容れないものとして異なる生息領域を持っている、というのが私の観測です。Twitterのアカウントなどを見ても、両者はフォロー・フォロワー関係があまり被っていなかったりします。
外から見ると一緒なのでしょうが、内部的には全然違う生き方をしているのが、この両者であると言えるでしょう。
その他、好きな組み合わせ
それ以外にも、裸足と関係ない要素との組み合わせに特別な興奮を抱くケースがいろいろあります。
自分の経験してきたことや、フェチとは関係ない趣味嗜好が、裸足フェチと結びついて新しい意味を生み出しているものです。
これについては文字通り、人の数だけ種類が存在し得ると言えるでしょう。
例えばですが、特定の人間が特定のことをしているときの裸足にだけ興奮する人、というのもいるかもしれません。
私の理想の裸足
以上、ざっくりと裸足フェチの多様性の例を挙げてみました。
これで終わると何だか他人事になってしまうので、それぞれの例について、私自身がどうなのかをここでは書いてみたいと思います。
まず、私は「脚フェチ」ではありませんが、「足を引き立たせるための脚」は結構重視しているタイプです。
といっても「足」だけでもいけますので、両方楽しめるならそれに越したことはないという感じでしょうか。
次にタイツ類ですが、これはまったく受け付けません。
タイツを履いた脚線美をいくら見せられても、心底冷静に「お綺麗ですね」で終わってしまいます。裸足オンリーです。
汚れているのも、匂いも、好きなほうではありません。
人によっては、土埃で真っ黒になった足裏をものすごく好んだりもするのですが、私はあまりピンと来ないですね。
匂いも同様で、蒸れている感じなどを受け取ると、若干気持ちが削がれるところがあります。
舐めたい願望はほとんどありません。
ただし、女性が女性の裸足を舐めているのを見るのはやたらと好きです。
それ以外の性別の組み合わせについては、興味がないというか、むしろ好きではないと言っていいかもしれません。
素足履きは好きです。
ただし「靴下とかを履いていなくて当然」のものだと、興味は薄まります。
本来なら素足履きするべきではないものを素足履きしているのを見るのが好きですね。
私の中で、その最高のパターンは「学校で上履きを素足で履いている」というものです。
服装ですが、これは上に書いた素足履きの例と繋がっていて、私は女子の制服裸足をこの世で最高の恰好だと思っています。
セーラー服かブレザーかは悩むところですが、ここでは一応前者を挙げておきましょうか。
女子にこれ以上の姿は望めません。文字通りの究極形態と言えるでしょう。
逆に苦手な服装としては、ズボン系が挙げられます。「脚」がぴったり隠れていると、興奮度は割と下がりますね。
外を歩くシチュは好きです。
ですが――これも上2つとかぶるのですが、私が一番好きなのは、学校で授業中に上履きを脱いで裸足になる、というシチュエーションです。
これがもっとも背徳的で興奮できるんですよね。
私の中で「学校の授業」ないし「授業中の教室」というのは、それだけ清廉であるべきものなのでしょう。
二次元オタクで裸足フェチな人間の典型例に漏れず、二次元の裸足も三次元の裸足も両方いけます。
どちらにより興奮するかというのは、正直なところその時々によりますね。なぜかすごくどちらかのみを求めてしまう瞬間というのも存在します。
自分が裸足になるのは、かつて小学校時代は大好きで、日常的にやっていました。
上の「外を歩くシチュ」とも繋がりますが、授業中に裸足になってめちゃくちゃに興奮していました。
それから段々と自分が裸足になることへの興味が薄れていったのですが、先日裸足フェチに目覚めた思い出を記事にして以降、どうもその衝動が復活してきています。
それで司法書士試験の模試や本試験で裸足になってみたりしたのですが、楽しかったですね。
今後いろいろ発展していくかもしれません。
その他、好きな組み合わせとしては「百合」があります。
私の中で、百合と裸足の親和性の高さは尋常ではないんですよね。
ここまで書いてきた要素を組み合わせるなら、セーラー服を着た裸足の女子二人が、熱く絡み合っているような光景。
控え目に言っても最高でしょう。
……とまあ、こんな感じになるでしょうか。
中には矛盾している部分もあります。例えば、裸足で外を歩くシチュエーションが好きなのに、足裏が汚れるのはそんなに好きではなかったりする。
これはおかしいのではないか、と言われると、確かに反応に困るところはあります。
この辺りについては「でも、それぞれ個別にそういう嗜好なのだからしょうがないです」と答えるしかないですね。
私の解決法としては、そこで二次元を活用するというのが挙げられます。
二次元なら、裸足で歩いてもなぜか足裏が汚れていないセーラー服美少女とか、普通に生み出せますからね。
おわりに
以上、思うがままに書いてまいりましたが、いかがだったでしょうか。
これはあなたが裸足フェチではない前提の記事なので、こう訊ねさせていただきます――裸足フェチの世界の奥深さ、多少なりとも理解していただけましたでしょうか?
一言「キモイ!」で済まされるかもしれません。そうなると、私としてはそれに反論する言葉を一切持っていないので、すみませんと言うほかありません。
でもそういう一刀両断をせずに、ほんの少しでも「いろんな世界があるもんだね」みたいに思っていただけたのであれば、それは非常に嬉しいことです。
いずれにせよ、私は裸足フェチというのは業でありギフトであると思っています。
そこらじゅうに転がっている裸足という要素に、いちいちそういう意味を見出してしまう日々は業が深いとも言えますが、これだけ自分的に成人向けコンテンツでしかないものを書き連ねてもGoogleアドセンスのポリシーにも引っかからないというのは、もはや神様からの贈り物です。
人からどう思われても、私としては今後ともこの嗜好をフルに働かせて、いろいろな意味で人生を潤していこうと思っています。
まあ正直、ブログ運営の面で言いますと、非常に収益の出にくいジャンルであり、その意味では「報われない」記事になっているとは思うのですが……。
しかしあえてそれをはねのけ、半ば使命感で書かせていただきました。
いやあ、裸足って本当に良いものですね!
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