天国的底辺

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『ひぐらしのなく頃に』の炎上を回顧する――物語のジャンル問題

 先日、07th ExpansionさんのTwitterアカウント(@07th_official)にて、最新作『キコニアのなく頃に』の完成が少し遅れるという告知がありました。

 楽しみにしていたので残念ではあるのですが、まあ発売中止ではないし、夏が秋になるだけの遅れなので、「しゃーない、待ちましょう」というところです。

 無事にリリースされた暁には、このブログでも感想なり考察なり、いろいろやっていきたいなと思っているので、そのときはお読みいただけると嬉しいです。

 

 ということで(?)、今日はキコニアが無事完成することを願う意味で、なく頃にシリーズの原点にして大ヒット作『ひぐらしのなく頃に』がかつて起こした炎上騒ぎ――ジャンル問題について少し書いてみようと思います。

 

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アニメから入りました

 ひぐらしほど長い時期にわたって様々なマルチメディア展開をした作品になると、ファン層がものすごく多彩になります。

 どの時期にどのメディアから入ったのかが、人によって本当に異なるんですよね。

 私はTVアニメから入りました。2006年4月開始のものを、リアルタイム視聴です。

 鬼隠し編はビジュアル的にも展開的にも衝撃でしたし、それ以上に、綿流し編に入ったときの高揚感がものすごかったのを、今でもよく覚えています。

 同じ時間軸なのに違う話の流れになっているのを確認した瞬間、次のように悟ったんですよね。

「あ、これ一直線の物語を取り込んで、頭の中でYU-NOみたいなことをするやつだ!」

 

 そこでYU-NOを思い出したのは、私にとって非常に良いほうに転がりました。

 綿流し編を最後まで視聴したところで、私はある実感にとらわれたのです。

 それは、「このアニメにはどうやら情報的な抜けがたくさんある。原作を相当に端折ってるっぽいぞ」というもの。

 YU-NOのボリュームを思い浮かべていたので、「ADVゲーム原作のアニメ化」にはそういう事情があり得ることが容易に発想でき、アニメの話の流れの端々にある「荒い速さ」に敏感になることができたのです。

 

 それで、次の祟殺し編が始まる前に、原作(その時点ではラス前、皆殺し編までリリースされていました)を速攻で購入。

 それを、わずか4日間で読み切りました。

 

 この選択は大正解でした。

 私が想像した通り、アニメはかなり物語を端折っていました。

 その中には、冗長な部分を削ぎ落とす「改良」も確かにあったのですが、大部分は、心情の掘り下げが足りなかったり、伏線がなくなっていたり、感動シーンがさらっと流すシーンに変わっていたりと、多かれ少なかれ破壊的な「切断手術」に他なりませんでした。

 私は「アニメで大まかな展開を知ってしまう」ことを最小限に留めることができたのです。

 といってもべつにアニメを貶めるわけではなく、貴重な出会いのチャンスをくれたことには本当に感謝でした。

 おかげでこんな面白い物語を知ることができて、最高です、と。

 

 ――実は原作が炎上しているということを知ったのは、原作を(皆殺し編まで)読み終えた後のことでした。

 

罪滅し編と皆殺し編の炎上

 炎上の理由については、ひぐらしを昔からご存知の方には説明不要でしょうが、簡単に言うと以下のようなものでした。

 

 まず、罪滅し編で明らかになった、鬼隠し編の事件の真相。これが、それまでミステリ的発想ですごいコストをかけて考察していたファンとしては到底許容することのできない「反則」で、これにより最初の炎上がありました。

 

メニュー画面:罪滅し編

 

 それから、皆殺し編。

 こちらではまず、序盤にいきなり「超自然現象がこの物語に介在していること」が描かれ、出題編の数々の謎がそれによるものであったことが明らかになりました。これが第一の炎上ポイント。

 次に、登場人物達が幻覚をともなう被害妄想にとらわれる架空の風土病「雛見沢症候群」の存在。これによって、出題編における幾つかの謎が「そういう病気を発症していたんです」で片付けられたことに腹を立てる人が続出しました。これが第二の炎上ポイント。

 そして第三に――これがたぶん一番大きかったように私は感じたのですが、出題編でもっとも大規模にして謎だった惨劇「雛見沢大災害」が、政府の絡む架空の組織と特殊部隊という、大きすぎる設定によって解答とされたことも、おおいに叩かれていました。

 

メニュー画面:皆殺し編

 

 要するに、ミステリとしてものすごく期待されていたものが、罪滅し編と皆殺し編によって一気に崩壊してしまい、それまでの愛がすべて憎しみに反転してしまう的な炎上が起こっていたのです。

 

そもそもなぜミステリ扱いだったのか?

 しかし正直なところ、私にはその炎上の必然性がうまく掴めませんでした。

 というのも、私は綿流し編までのアニメ体験と、4日間の皆殺し編までの原作体験を合わせて、そのようにはまったく感じなかったからです。

 厳密に言えば、架空の組織と特殊部隊の登場にはやや同意できる部分もあったかもしれません。世界観の拡大が急すぎる面は確かにありました。

 でもいずれの要素においても、それまでの物語内に伏線がまったく無かったわけではなく、「ああ言われてみれば……」と思うことは可能でした。

 私としては、基本的にはそれで十分でしたし、それを踏まえるならこんなに胸躍る展開もなかろうと、そう思って巷の原作情報を追い始めたところで、いきなり炎上の跡と相対することになったわけです。

 

 私と「炎上させていた人々」のあいだで何が違ったのか?

 それは、『ひぐらしのなく頃に』という作品がミステリであると約束されていると思っていたか否か、という部分でした。

 

 私はアニメの視聴を始めたときも、その後原作に手を出してひたすら読み進めていたときも、「ジャンルを絞る」という発想がそもそもありませんでした。

 むしろ「この物語はどこへ行くのかが楽しみの一つだろう」と考えていました。

 恐らく連想していたのがYU-NOであったことと、原作に触れる期間が4日間と短く、考察するのではなくひたすら受け入れるモードでいたことの2つが影響していたのでしょう。

 しかし、ひぐらしブームとはそういうものではなかったのです。

 皮肉なことですが、ひぐらしをミステリとして消化し支えていた人々が、メディアミックス展開を呼び、私の元にアニメを届けてくれたわけですね。

 

 で、その「ミステリ扱い」が何によって導かれたのかを考えたのですが、当時思いついたのは次の二点でした。

 一つは、原作パッケージにも書かれたキャッチコピー、「正解率1%」

 

パッケージ裏:正解率1%

 

 これは実は、鬼隠し編を最初にプレイした100人のうち、その真相をズバリ言い当ててきた人が1人しかいなかったという意味でついたものらしいのですが、まあ、そういう風には読めませんよね。

 恐らくこれが、謎めいた内容と結びついて「この作品は、与えられた情報から論理的に考察を重ねて、これしかないという正解を導き出せるよう設計されているものなのだ」という空気を作り上げたのでしょう。

 

 そしてもう一つは、07th Expansionさんが用意していた謎解き考察用の掲示板において、「推理」という言葉が使われていたこと。

 

 ひぐらしの醍醐味が「謎について考えること」であったのは言うまでもありません。

 である以上、SNS等が発達していなかった当時、それを皆でワイワイやるための空間(掲示板)を自前で用意するのは、妥当なことだったと思います。

 そこまでは良いのですが、問題は「推理」という言葉です。恐らく次のことについて、送り手側と受け手側に大きな解釈の違いがあったのではないかと思うのです。

「推理という言葉は、ミステリというジャンルまでをも約束するものなのか?」

 

 私の感覚で言うと、07th Expansionさん側の考える「推理」というのは、数年前(当時から数えて)に盛り上がった、エヴァの考察に近いものだったのではないかと思うんですよね。

 エヴァはもちろんミステリではありません。しかし謎だらけで、それについて考えることは間違いなく大きな楽しみの一つだった。

 一つの事実として、「謎解きを楽しむことはミステリ作品の専売特許ではない」というのは言えると思います。

 

 その辺りを想定していたのに、「推理」という言葉を使ってしまったことにより、「これは単なる謎解き作品ではない。ミステリ、それも割と狭義のミステリだ」と思った人が、多数出てしまった――そういう流れはあったのではないでしょうか。

 

 遅れてやって来た私には「罪滅し編以前の空気」は想像するしかないのですが、きっとそれは「ミステリ的アプローチこそ正解」という思考がエコーチェンバー的に増幅されるものであり、飲み込まれても仕方ない部分もあったのだろうと思います。

 

 しかし実際問題として、それは製作者側の意図とは違うものであり、ゆえに炎上が起こった。

 叩かれまくった竜騎士07さんは気の毒ではありましたが、しかしその空気があったからこそヒットし、ブームにまで発展したのだという意味では、彼の側にも恩恵が十分にあったと言えるのではないかというのが、無責任な私の見解ではあります。

 

実は作品リリース前にこう宣言していた

 しかしここで私は、あまり世間では語られていない一つの事実について記録に残しておきたいと思います。

 07th Expansionさんのサイトにはかつて「制作日記」というものがあり、そこで竜騎士07さんが頻繁に進捗を報告していました。

 現在は2003年まで遡れるこの制作日記、実際には鬼隠し編のリリース前から存在しており、そこで竜騎士07さんは「今度コミケで出すひぐらしというゲーム」について、次のようなことを述べていたのです。

 

「『ひぐらしのなく頃に』は(特に序盤のシナリオは)ホラーです」

 

 そう、実はひぐらしは、いちばん最初の鬼隠し編が世に出るより前に、製作者によって「ジャンルはホラーである」ことが宣言されていたのです。

 その定義をここで調べたり語ったりすることまではしませんが、ホラーはしばしば次のように言われます。

「最初は謎めいた恐怖要素で展開し、最後はその正体とのアクションになる」

 これはそのまま、鬼隠し編から祭囃し編までの流れに当てはめることのできるもので、初期の設計はそのまま実現されたのだと言って差し支えないでしょう。

 

 これ、けっこう重要な話だと思うのですが、この制作日記の文言に言及する意見というものを見たことはほとんど(まったく?)ありません。

 恐らくですが、ひぐらしは途中(暇潰し編リリースあたり)でブレイクしたため、最初期の制作日記が遡って注目される機会がなく、ゆえにそれをまったく考慮しないかたちで「ミステリの空気」が醸成されてしまったのではないでしょうか。

 そして製作者側としても、加熱するブームに「いやその解釈、ちょっと違いますから」とわざわざ水を差すようなコメントを改めてする機会がなかったのでしょう。

 

 しかし私は問いたいんですよね。

「リリース前に製作者が宣言していたジャンルA」を無視して「キャッチコピー等から連想したジャンルB」を優先し、その後で「これのどこがBだ!」と怒るのは、果たしてアリだったのでしょうか、と。

 

 まあ、今となっては過去の話。

 現在のひぐらしは、そういうのを全部乗り越えて、割とニュートラルなところに落ち着いているように窺えます。

 結果オーライではあるのでしょうね。

 

 ただ思うのは、もし私がひぐらしのような作品を世に送り出す立場だったら、「正解率1%」も「推理」も使わなかっただろうな、ということです。

 そこは07th Expansionさんの迂闊なところだったのではないかなと。

 ちなみにこれらのワードは、現在でもメディアミックス作品が発売される際に使われているのですが、個人的には見ていてハラハラしてしまうところではあります。

 

ジャンルという縛り

 ジャンルというのは、私なりの解釈でいうなら、送り手と受け手のあいだで交わされる約束です。

 私達はこういう類のものをやり取りしますよ、という、いわば事前の商品説明のようなものですね。

 ジャンルをゴリゴリに意識することによるデメリットもあると思いますが、少なくともその「約束」を交わすことで、送り手も受け手も、安心安全に作品を介した広義のコミュニケーションを取ることができる。

 

 ひぐらしの場合、その約束が曖昧であったことで揉めたわけです。

 もう少し具体的に言うなら、約束をしているかいないかハッキリしないことにより揉めた、という風になるでしょうか。

 難しいのは、先述した通り、ミステリだと思われていたからブームが起きたところがあるので、もし「ちゃんと」ホラーであると主張していたり、あるいはジャンル不定のニュアンスを出していたら、ここまでの作品になったかどうかわからないことなのですが……。

 

 ちなみに、ひぐらしの次のシリーズである『うみねこのなく頃に』では、この炎上騒動を逆手に取るかたちで「そもそもこれはミステリとして成立しているのか否か」という攻め方をしていましたね。

 そこはなかなか刺激的、挑戦的で面白かったと私は思っています。

 まあうみねこの場合、それとはべつのところでちょっと変なことになったわけですが……それについては、いずれ機会があったら記事にすることにしましょう。

 

おわりに

 私は小説を書いて新人賞に応募しているのですが、基本的にその内容はジャンル不定なものとなっています。

 他人が読んだら「これは○○だ」と特定できるのかもしれませんが、少なくとも自分では、自分の作品がどのジャンルに属するのかを、自信を持って言い切ることができません。

 べつにジャンル不定にこだわっているわけではないのですが、自分の書きたいものを書くと、結果的にそうなってしまうんですよね。

 でももしかしたら、これも上に行けない理由の一つになっているのかもしれない。

 今回この記事を書いて、ちょっと自作についても考え直してみようかな、という気になりました。

 

 さて、ひぐらし、うみねこと経て、次の『キコニアのなく頃に』は一体どのような見せ方をしてくるのでしょうか。

 今回は英語翻訳版もSteamで同時リリースするので、文字通り世界同時発売。かなり気合いが入っていますよね。

 個人的には、海外の反応にも注目しており、拙い英語力である程度は追いかけていきたいなと思っている次第です。

 

 あえて余計なお世話を言うなら、このご時世、PC用ソフトとしてだけではなく、スマホでも出していたらもっと盛り上がれたと思うのですが……。

 まあ、この辺りについてはいずれ来るかもしれない展開に期待しておきましょう。

 

 

 最後に関連商品をぺたり。

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