今日はイジメについて書いてみようと思います……というか、イジメについてろくに書けない人生を送ってきたことについて、書いてみようと思います。
たぶんこぢんまりとした記事になると思いますので、気楽にお付き合いいただければ幸いです。
穏やかな陰キャ人生
タイトルにある通りなのですが、私はこれまでの人生で、いわゆるイジメというものを一切目撃したことがありません。
もちろん、当事者になった経験もありません。
世間の語られようからすると、イジメなんてそこらじゅうに転がっている日常風景という感じですが、それが本当にこの現実世界の話なのか、未だにきちんと納得できていない状態なのです。
基本的に私は陰キャというか、冴えないキャラをやってきました。
なので通常であれば、イジメのターゲットになる可能性が高かったのかもしれないのですが、幸いにもそれが現実のものとなることはなかった。
それどころか、周囲にもそういったものはまったく気配すら感じられなかった。
いろいろな意味で、非常に穏やかな半生を送らせていただいた次第です。
本当にイジメは無かったのか?
ただ、「本当にそうだったのか?」というのは、ときどき考えます。
単純に考えて、可能性は2つあり得るからです。
可能性1:本当に平和なところで生きてきた
まずはこちら。本当に文字通り、私の生きてきた環境がものすごーく平和なものだったというパターンです。
もしこれが真相だったのだとしたら、これはもう「運が良かった」の一語に尽きますね。
世の中、イジメというのはどの階層にも存在します。お金持ちが集まる環境だろうが貧乏人が集まる環境だろうが、都会だろうが田舎だろうが、それが起きるときは起きる。
それをすべて避けて通ることができたというのは、なかなか幸運なことなのではないかと思います。
可能性2:イジメを観測するアンテナが立っていなかった
一方、こういう可能性も考えられるんですよね。
私の周囲には、実際にはイジメが存在し、いろいろと展開していた。けれども私のアンテナがまともに立っていなかったため、それを認識することができなかった、というパターンです。
この場合、要するに私が鈍かっただけで、実はいたって「普通の」環境で生きていたのだということになります。
あるいは、実は私はイジメられていたか、逆に誰かをイジメていたにもかかわらず、そのことをまったく自覚できていなかった、というのも、まったく可能性ゼロというわけではないでしょう。
私は基本的に、他人にあまり興味を持たずに生きてきました。
なのでイジメというものに対して、悪いことであるという以前の問題として「何でわざわざ手間をかけてそんなコミュニケーションを取るのか」という根本的な疑問がありました……というか、今もそういう疑問を抱いています。
でももしかしたら、知らないうちに当事者になっていたのかもしれない。一応、これもあり得たことの一つとして考えておくべきでしょう。
今となっては、確かめるすべもありませんが……。
データでは自分のレア度がよくわからない
いずれにしろ、主観的には私は、イジメというものをまったくわかっておりません。
そこで疑問に思うこととして、次のようなことがあります。
「こんな自分はいったい、世間的にどれくらいレアなのだろう?」
ネットで「いじめ 件数」で検索すると、様々なデータがヒットします。
その中には文部科学省やらが出している「きちんとした」調査結果もあり、ある程度現代社会の動向が掴めるようにはなっています。
ただ、それらは基本的に「学校側が認知すること」で初めてカウントされる仕組みになっているので、その数字が実体に即しているかというのは、正直怪しいところがあります。
また、私が知りたいところである「イジメを目撃したことのない人間の率」については、ざっと調べた限りでは把握することができませんでした。
うーん、こうなってくると俄然気になりますね。
イジメを目撃したことがない。経験したこともない。そういう人間が、この現代日本においてどのような位置にあるのか。
知らないことの不便さ
以前ラノベ新人賞に応募した小説のうちの一本で、イジメられている女子を主人公にしたことがあります。
そのときは想像で頑張って描写したのですが、なにぶんバトルシーンとかと違って「多くの読者が実生活でどんなものか見てきている」ものゆえ、ウソがすぐバレてしまうのではないかと、それがずっと気がかりだったのを覚えています。
まあ結果的にそれ以外のところで落選したので無用な心配だったわけですが、今後も「イジメを知らない」ことが何かの欠落として、壁となって立ち塞がることがあるのではないかというのは、ときおり考えることではあります。
かといって「あー、学生のうちにイジメを見ておきたかったなあ」というのも変な話というか、不謹慎な話なわけで……。
人生経験とは、みたいなことを考えてしまうテーマですね、これは。
おわりに
まあでも、「目撃したことがないのは幸運なこと」とまずは単純に考えておくべきなのだろうな、とは思います。
たとえ赤の他人のことであっても、人間関係がごたごたしているのを観測するのはとても気疲れするものなので、その意味では今後も一生、自分の周囲には発生して欲しくない現象ではありますしね。
ただ、こればかりは他人あってのものであり、自力でコントロールできる範囲は限られているので、祈るほかありません。
それについては、非常にモヤモヤするところです。