今日は須河篤志さんの漫画『俺の姫靴を履いてくれ』(全3巻)について書いてみようと思います。
最初に読んだのはこのブログを開設するずっと前のことなのですが、今回記事にするにあたって、久しぶりに通しで読み返しました。
こんな風に作品に触れ直す機会になるのも、ブログ運営の良いところですね。
以下、当記事で使用しているすべての画像は、KADOKAWA/メディアファクトリー刊『俺の姫靴を履いてくれ』からの引用であり、著作権は作者および出版社に帰属します。
ご了承ください。
あらすじ
かつてレディースシューズで名を馳せていた靴職人・西村正助は、現在レディースの製作をやめ、メンズのみの注文を受け付けて細々と生活しています。
その原因は、離婚した元妻・香奈枝とのごたごた。
正助は根っからの足フェチで、そのことを香奈枝に冷ややかに受け止められており、別れを切り出された際にレディースから身を引くことを約束させられたのです。
結局は別れることになってしまったわけですが、自己嫌悪など複雑な想いから、正助はそのままずるずるとレディースと無縁の生活を続けていました。
そんな折に、一人の女子高生が店を訪れます。
彼女の名は坂本茜。とある事情から、母が大切にしていた靴――それは正助の工房で作られたものでした――を直して欲しいという依頼に来たのです。
断ろうとする正助でしたが、茜の熱意と勢いに押されるかたちで、条件付きで引き受けることになり、また話の流れで、レディースの注文も再開するようになります。
葛藤しながらも、やり甲斐に活力を取り戻していく正助。
彼を手伝いながら、少しずつ気持ちの変化に気づいていく茜。
そしてそんな正助の前にしばしば現れては、なぜかちょっかいを出してくる香奈枝。
3人の行く末はいかに――。
己のフェチを嫌悪する主人公
この作品は一言でいってしまえば、足フェチの靴職人を主人公に据え、足フェチを明確にテーマとして描かれた、根っからの「足フェチ漫画」です。
他の何かをテーマにしつつ、そっと作者の嗜好を出してみた、というようなタイプのものではなく、物語の骨子そのものがフェティシズムで構築されている。
そういう意味では、一切の言い訳を捨てた、最高に純粋なフェチ作品と言えるでしょう。
本作を特徴づけているのは、フェチに対する主人公・正助の自己嫌悪です。
通常このような作品であれば、扱っている嗜好を大々的に肯定し、それを土台にして受け手が喜ぶ描写を次から次へと連発するところでしょう。
しかし本作の場合、特に序盤がそうなのですが、正助は自分の嗜好に強い自己嫌悪を抱いています。
自分の欲望をどうしても抑えられない。気がつけば綺麗な足を追い求めてしまう。そのせいで結婚生活が破綻したのに、それでもまだ自分を変えられずにいる――。
そのあたりを表現するために、およそサービスシーンとは対極をなす、正助の自家発電のシーンまで用意されています。
また、彼の下半身が(そうなって欲しくないのに、その気持ちに反して)反応してしまうシーンは、物語の随所に登場し、彼の抱える「業」の象徴として扱われています。
この些か陰鬱としたフェチ観は、本作が「フェティシズムを描きながら真面目な物語を作る」ために用意したシリアス成分に他なりません。
それを前にして、同好の士である読者は多かれ少なかれ、引き寄せられているのか突き放されているのかわからない気持ちにさせられることになります。
元妻が残した呪い
正助を縛っているのは、元妻・香奈枝との結婚生活が、己の嗜好のせいで破綻してしまったという厳しい過去。
そして、そんな経験をしつつもまだ、他ならぬ香奈枝の足を前にしたとき、自分をうまく制御することができなくなってしまうという事実です。
引用元:1巻P16
引用元:1巻P27-28
二人の馴れ初めについては、一切言及が為されていません。
なので、結婚する前から正助の嗜好のことを香奈枝が知っていたのかどうか、といったことも、本作からは窺い知ることはできません。
ただ一つ示されているのは、香奈枝にとって足フェチは好意的に理解する対象ではなく、むしろ弄ぶ対象でさえあったのだということ。
これも正助のトラウマとして刻み込まれているものです。
引用元:2巻P75-76
ここで話を複雑にしているのが、香奈枝の正助に対する感情です。
もはや愛しているわけではない。しかしどうでもいい存在になったかというと、そういうわけでもない。
すでに他に恋人を作っているにもかかわらず、それとは別腹で正助を自分のものとして置いておこうとする。
それが正助への未だに続く干渉として表れ、彼を翻弄する――これが本作を「真面目なドラマ」に仕立てる重要な軸の一つとなっています。
引用元:1巻P105
引用元:2巻P108-110
引用元:2巻P118
正直なところ、この香奈枝関連の物語に関しては、「本当にこういうテイストが必要だったのだろうか?」と感じる向きもあるのではないかと推察します。
内容が重いためサービスシーンとしては純度が低く、また「フェチが弄ばれている」という展開は、同好の士である読者にとって「自分にケチがつけられている」ようにも感じられるところだからです。
恐らく、作者もそのあたりは重々承知していたことでしょう。
それでも本作には、香奈枝という圧を持ち込まないわけにはいかなかった。
それはなぜかと言えば、本作を「シリアスな物語」として成り立たせることを選んだから。そしてその手段として「自己評価を下げてしまった者が徐々にそれを回復していく」パターンを選んだからです。
主人公には苛まれることが必要だった。
だからこそ、本作のヒロインとの交流がいっそう輝く仕組みになっているわけです。
救いのヒロインを救え
――というところで、ようやくヒロイン・坂本茜の話になります。
正助の前にある日突然現れた女子高生。
まっすぐだけれど、どこか危なっかしいところもあり、正助に「靴を修理して欲しければ自分で代金を稼ぐごと」という条件を出されたときには、出会い系に走ってしまったりもする。
その純粋さに裏付けられた行動力は、香奈枝と対をなすものとして本作の軸の一つとなり、物語をプラス方面に活気づける原動力となります。
引用元:1巻P52-53
そんな彼女に振り回される正助ですが、同じところをぐるぐる回っている状態にある彼にとって、それは大きな契機となります。
母親の靴を修理して欲しいという茜の希望は、引き受ける・引き受けないの侃々諤々のやり取りを経て、いつの間にやら「レディースシューズの注文受付を再開する」というところに発展。
それは彼一人では決して辿り着けない決断でしたが、結果としてそれは彼を多忙な、しかし充実した日々へと引き戻していくことになります。
結局のところ、女性の足を輝かせる靴を作ることは彼の天職であり、そこから離れるべきではなかったのです。
足フェチというテーマだから少々風変わりな物語に映りますが、これは形式としては明確に確立されたパターンの一種であると言えます。
力を持っているけれども心に傷を負い、その力を自ら封じていた主人公が、一人の純粋なヒロインに出会う。そのヒロインの抱える問題を、久しぶりに解き放った力で解決するべく動く。そのことで自らの傷をも癒やしていくことになる――。
ね? これは一つの確立されたパターンでしょう?
茜は最初、フェチというものをよく理解していません。その状態でのまま、とりあえず正助の性質を受け入れるという態度を示します。
引用元:1巻P108-109
だから自分の裸足が正助からどんな風に見られているかもよくわからず、足のマッサージなどを何の抵抗もなく受け、恍惚の表情を浮かべてしまったりもします。
引用元:2巻P84-85
そしてやがて「フェチとは、正助の抱える嗜好とは何ぞや」というところを理解するに至るのですが、茜は引いたりしません。
その嗜好こそが正助の原動力の一端であるということを悟った彼女は、自ら裸足をさらけ出して、彼を鼓舞しようとさえします。
引用元:3巻P47-48
物語は「母親の靴の修理」から「母親の靴を使って茜のための靴を作る」ことへと移り変わり、幾つかギクシャクすることが起こりつつも、作業は続いていきます。
引用元:3巻P81
引用元:3巻P97
その靴がどうなるか、二人はどこへ向かうのか――それはここでは伏せておきますが、なかなかどうして、「これから」を予感させるものであるとだけ書いておきましょう。
私などはかなり具体的なところまで「その先」を妄想してしまいましたね。
茜が本格的に正助のフェチをその身で受け止める日が来たら、どんな表情で彼のプレイに耐えるのか……とか(そっち方向かよ)。
抑制された裸足愛
フェチを柱に据え、最後までそこから離れなかった本作ですが、本編では裸足の露出は意外と抑制されています。
必要な場面で、必要なだけ見せるというスタンスで、「物語をサービスに寄せている」ように感じる部分は、あまりありませんでした。
それがフェチな読者的に「おいしい」戦略であったかは意見の分かれるところだと思いますが、こだわりを感じたのは確かなところです。
ただし、表紙に関しては手加減抜きでフェチを前面に出していましたね。
引用元:1-3巻表紙
これは内容を説明する関係でも販売戦略の関係でも、妥当なところだったと思います。
実際、表紙買いをした同好の士は大勢いたのではないでしょうか。
ちなみに、作者・須河篤志さんの過去作品を見ても、表紙に裸足のヒロイン(?)が描かれていることが多く、本作のフェチ要素を描くにあたって作者が「特に無理をしていない」ことが窺えます。
具体的には『不器用な匠ちゃん』と『つるた部長はいつも寝不足』の二作。
どちらも未読なのですが、この裸足はあくまで表紙のイメージに過ぎないのでしょうか。それとも中身も裸足成分がきっちり含まれているのでしょうか。
いずれ確かめてみたいと思っていますが、一足早く確かめたいと思う方がいらしたら、ぜひ上記からポチっていただけると嬉しいです(ダイマ)。
おわりに
一般の商業作品で「裸足フェチを売る」のは、なかなか難しいことなのだろうなと、いち素人として素朴に感じます。
たとえ同好の士に見せれば面白いと言ってもらえるものを創れる自信があっても、企画が通りにくいでしょうからね。
その点で本作や『足芸少女こむらさん』などは、よくぞ連載まで持っていき、きちんとフェチをかたちにしたものだと、本当に感心します。
いずれも、作者さんの情熱の賜物という以外ないでしょう。
調べたところ、須河さんは現在「WEBコミックガンマぷらす」にて新作を連載中であるようです。
一見したところフェチからは離れているのですが、果たしてその中にも「魂」はねじ込まれているのか否か? 気になるところです。
これもいずれチェックしたい作品ですね。
そんなわけで、まとめ。
本作は「裸足フェチを真正面からテーマにしつつ、お話らしいお話をしようとしている作品」を追い求めている人にとっては、マストな選択肢となるのではないかという作品です。
そのような客層が果たしてどれくらいの厚みを持っているのかは定かではありませんが、その層のすべての人に本作が届けばいいなと、素直に思いますね。
あなたがまさにその一人であるなら、ぜひとも今すぐポチリ。
裸足フェチではないが、その世界を垣間見てみたいという場合も、物は試しで触れてみてはいかがかと思います。
フェチを抱えたすべてのクリエイターさんが、それを存分に活かせるといいなあと、本作を読み返して改めて思いました。