いちばん騒がれていたときよりは少しおとなしくなったかなという印象ですが、AIの発達と、それによって人間の仕事が「奪われる」という話題は、未だにありますよね。
それについて、素人目線でちょっと書いてみたいと思います。
真っ先に消える仕事
AIに(あるいは機械に、ロボットに)仕事を奪われるというと、まず最初に挙がるのが、次のような話です。
「工場の肉体労働や車の運転などの単純作業は、真っ先に機械に取って代わられる」
これについては、将来のことではなく、すでに始まっていることなので、説得力があるとかないとかいう以前の「ただの報告」であると言うことができるでしょう。
Amazonの倉庫内には大量のロボットが駆け回っていると言いますし、各業界の工場の軽作業なども、それをする機械の製造コストが低くなったところから順に、ものすごい勢いで人間と取り替えられている。
車の運転はまだ普及までには少し時間がかかるでしょうが、それも多めに見積もって「少し」でしょうね。
いわゆる「タクシーの運ちゃん」なる存在は、そう遠くないうちに思い出の中だけの存在になっていくものと思われます。
意外に早く消える(であろう)仕事
次に挙げられるのが、意外にも? ホワイトカラーの仕事ですね。
工場労働などから「侵食」が始まったので、皮膚感覚で「社会的地位の低いところから順に機械に置き換わるのだ」と思ってしまいがちですが、そういう単純な話ではない。
その代表的なものは、医者と弁護士でしょうか。
どちらも職業としてのステータスはとても高く、先生と呼ばれ尊敬を集める存在であるはずなのですが、AIが台頭する時代を前にして、人間である必要が存外早くなくなりそうな気配を発しています。
ご立派な「お医者様」や「弁護士先生」の仕事がなぜ早々に脅かされるのかというと、その仕事に次のような性質があるからです。
「限定された範囲内で、データに基づいた固定的な正解を再現する」
こういうことで勝負する人間は、かなり早いうちに機械に打ち倒されます。
皮肉な話ですが、人間としてレベルの高い仕事であったものがたまたま機械の得意分野であった場合、どんなに優秀でも早め早めに「要らない子」になってしまうわけですね。
実際の話、現在や5年後ならともかく、20年後に何らかの外科手術を受けるとなったとき、人間の外科医か全自動式の機械のどちらかを「執刀医」に選べと言われたら、私は間違いなく後者を選ぶと思います。
じゃあどうすれば?
――というような話をしていくと、テーマは必然的にこういう内容になっていきます。
「では、どんな仕事をすればいいのか?」
これについてはいろいろな解答の仕方がありますが、いちばんそれっぽく響くのは、例えば「仕事を作り出す仕事」ですとか「相手の心に寄り添う仕事」といったものでしょう。
その収入の高低に関係なく、そういった仕事は機械に取って代わられにくい――そんな風に語られることが、とても多いです。
司法書士に見る業務内格差
私は司法書士試験に挑戦し続けているのですが、司法書士という仕事は、機械との競争という観点において、とても興味深い性質を持っています。
まず、司法書士の古典的な業務内容であり、現在も一応、中心的業務として存在している、登記代行業務。
これについては、弁護士の業務などより遥かに高い確率で「早々に消えるだろう」と言われています。
あえて雑な言い方をしますが、やっていることは「必要書類を揃えて法務局に提出する」だけですからね。
AIがどうのという以前に、現在のテクノロジーでも本当はいくらでも何とかなってしまうもので、ここらへんを指して司法書士は「代書屋」と揶揄されているわけです。
ですが、じゃあ司法書士は今後あっという間に消えてしまう宿命にある職業なのかというと、そういうわけでもありません。
というのも、最近になって司法書士の業務内容はどんどん拡大されており、例えば成年後見ですとか、家族信託といった業務に携わることが多くなっているのです。
これらに共通するのは「信用をバックに」「人に寄り添う」という要素であり、登記代行のような定型的な書類仕事とは(必要となる知見は同質であるにもかかわらず)一線を画するものとなっています。
今後の司法書士は、こういった業務で食べていくことになるのでしょう。
言うまでもなく、こういう話がなかったら、私も未だに司法書士試験の勉強を続けていたりはしません。
……という具合に、司法書士は自身の職務範囲の中に「間もなく機械に置き換わってしまうであろう仕事」と「そうでない仕事」を両方持っているわけですね。
通常、機械に仕事を奪われるか否かという話題においては、最小単位が職業名であることがほとんどなのですが、このように、ある一つの職業の中に、すぐ消えそうな業務とそうでない業務が混在しており、生き残るためにその比率をシフトさせる、という対策もあるということです。
消えない仕事なんてあるのだろうか
――ここでようやく、記事のタイトルに絡んだ話をするのですが。
世間の論調で、私が一つ違和感を持っていることがあります。
それは、「AIに(機械に)奪われる仕事」という括りの反対のものとして「AIに(機械に)奪われない仕事」を設定していることが多い、ということです。
結論から言ってしまうと、私は「AIに奪われない仕事など、この世に存在しない」と考えています。
あらゆるクリエイティブな仕事、育児や介護などの「人のぬくもりを必要とする」仕事、先述した後見制度や信託などの、信用に基づいた仕事。
これらはすべて、「今しばらくは仕方なく」人間がやるのでしょうが、AIが発展し、それを社会が受け入れていくに従って、少しずつそれらが取って代わっていき、最終的には人間がやらなければならない理由はまったくなくなるのではないでしょうか。
やがてはSFないしそれに準ずるフィクションによくあるように、政治的な決定もAIがこなすようになり、人間は「ただ生きていればいい」ようになることでしょう。
つまり、この世にある仕事は、機械に奪われるか奪われないかの違いがあるのではなく、奪われるまでにどれくらいの時間がかかるかの違いがあるだけなのです。
そして、あなたが――そうですね、今現在40代以下なのであれば、死ぬまで機械に奪われることのない仕事というのは、たぶん無いでしょう。
あくまでド素人の私の、適当な発想ですけどね。そう思っています。
我々が「仕事を持ち続けたい」のであれば、できることといったらせいぜい「あえて人を使おうとする古い人間に雇われる」とか、社会的にあまり連携させにくい複数の職を持って、そこに自身の価値を持たせるとか、そのくらいではないでしょうか。
そこは理想郷近似、問題は過渡期
でも個人的には、機械にすっかり仕事を奪われることは、長い目で見ればそんなに「ヤバイ」ことだとは考えていません。
時の為政者達にまともな判断力があるのなら(これを期待するのが非現実的だと言われると言葉に窮するのですが)、その頃には我々は基本的に働かなくても十分な保障を得られるようになっているはずだからです。
ほとんどの人間が、やりたいことだけに集中できる時代の到来です。
しんどいのは、そこに至るまでの過渡期です。
この過渡期にはいろんな意味での脱落者が生まれるでしょう。機械がほとんど仕事をしてしまうのに「働かざる者食うべからず」の精神だけは社会的に現役であったりといった歪みに、たぶん結構苦しむことになる。
しかしそこを「ちゃんと」乗り切ることができるなら、その後に待っているのはなかなか心地よい社会なのではないかと、自分はそんな風に思っていますね。
問題は、今これを書いている私や、読んでくださっているあなたが、そこを乗り切って「ヤなことは全部機械任せの時代」を享受できるか、ということですが……。
これについては、微妙、というところでしょうか。
あなたが一部のお金持ちでないならば、たぶん今後の人生は文字通りサバイバルの様相を呈することになるのでしょうし、私ももちろんそっちサイドです。
無事に生き残って楽園に到達できるかどうかは、何とも言えないですね。
生き残りましょうね
まあ、お互いここを何とか耐え忍びましょう。
楽をしたいというのもありますが、それと同じくらい、私は見てみたいです。「ヤなことは全部機械任せの時代」を。
そのときはもうかなりの歳になっているのでしょうが、それでも味わってみたいと心から願っている次第です。
全然関係ないですが、令和元年の今年生まれた子供って、そこそこ長生きすれば93歳でドラえもんの誕生日を迎えるんですよね。
なんか羨ましいです。
私はたぶん、あと93年は生きられないなあ。