天国的底辺

二次元、創作、裸足、資格試験、その他諸々についての思索で構成されたブログ

正しい努力をしないと無駄だけど、正しい努力かどうかの判断は難しい

 こんにちは、lokiです。

 自分なりには頑張って生きているつもりなのですが、24時間の使い方を客観的に検証してみると、まだまだ全然努力する余地があるなと反省することしきりの人生です。

 

努力という言葉の意味

 皆さんは努力という言葉は好きですか?

 私は正直、あまり好きではありません。

 怠け者だからその言葉を聞いただけで拒否反応が出る――という要素も少しあるのですが、それよりも、努力という言葉にはどこか、魂と行動の不一致のようなものが感じられるからです。

 

 通常、好きで好きで仕方がないものに対して時間の経つのも忘れて打ち込むことを、努力とは呼びません。

 それは「夢中になっている」という状態であって、他人の目から見てどうであるかはともかく、本人的には一所懸命頑張っているというよりは、心の底から楽しんでいると言うべき行動なわけです。

 これを逆から言うと、努力しているという状態には、そのことを心から楽しみ、夢中になって取り組むという要素が欠けているということになります。

 

 つまり、努力の前提には、自分が本当にやりたいことをやりたいようにやれていないということがあるわけです。

 やりたい事をやりたい時にやりたい分だけやって生きていくことができないのは当たり前のことで、したがって人間はどこかで努力というものをしなければならないわけですが、それは「理想」からはかけ離れている。

 いわばその概念自体が魂にとって妥協の産物であり、その辺りが私にとって、諸手を挙げてこの言葉を受け入れられない理由になっているのです。

 

意味のある努力とは

 しかしまあ、とにもかくにも我々の人生はどこかしらで努力しなければ拓けていきません。

 大方の場合において、その対象は失敗するわけにはいかない物事であり、努力する限りはなんとしても結果に結びつけなければならない。

 そんなわけでわれわれは日々、魂の形に沿っていないと分かりつつも、それぞれの人生に合わせた努力をコツコツと積み上げているわけです。

 

 しかしここで難しいのは、努力というものは考えなしにやみくもに重ねればよいというわけではないことです。

 この辺りについて、MLBで活躍しているダルビッシュ有投手が、かつて次のような名言をTwitterで披露しました。

 

 

 端的に言って、これは身も蓋もない真実であると思います。

 極端な例を言うのならば、ただひたすら腕立て伏せだけを繰り返したところで、ピッチャーとしての成績が上がるわけではない。そういうことです。

 どんな内容であっても努力すればするほど能力が向上し目標達成率が上がるのであれば、我々の人生はだいぶわかりやすいものになると思うのですが、現実はそうではない。

「正しい」努力をしなければ、望んだ通りに能力が向上する事はないし、結果として成功を手に入れることも難しくなるのです。

 

 そのためには、目標を達成するために必要なもの全部正しく洗い出し、次に今の自分に足りていないものを全部洗い出し、その差分をどうしたら埋めることができるのかを考え、それを実行しなければなりません。

 ゴールを客観的に設定することと、今の自分を客観的に評価することの両方が、そこでは必要になるわけです。

 そして頭をフル回転させ、コツコツと時間をかけて、じっくりと望む場所に自分を運んでいく。

 つらさをグッと堪えてそれに邁進するのが、正しい努力というものでしょう。

 

正しい努力は難しい

 ……しかしここで問題が一つあります。

 正しい努力をすればあっという間にわかりやすい結果が出て、ものすごいスピードでゴールまで到達できるかというと、そんなことはありません。

 分野にもよりますし、現在の自分の能力や才能にもよりますが、多くの場合において正しい努力は長く続けることが必要不可欠になります。

 また、正しい努力をすれば必ず目標達成できるわけでもありません。人にはそれぞれ才能の大小というものがあり、努力がどれだけ実を結ぶかは、とても残酷なことながら、その才能、そして運に大きく影響されてしまうのです。

 

 そうしますと、今現在自分が行っている努力が正しいものなのかそうでないのか、それを判断するのはとても難しいことだと言わざるを得ないわけです。

 場合によっては、正しかったのかどうか最後までわからないままということもあり得る。

 失敗したイコール努力が正しくなかった、という単純な話ではないからです。

 

 ではわれわれは、何を拠り所にして自分の努力の軌道修正をすればよいのでしょうか?

 

しんどい道のりしか用意されていない

 残念ながら、それは地道で不安定なものになります。

 道のりをある程度の細かさで区切り、その節目ごとに、想定していたところまで進めたかをチェックする。

 もしそこで思ったような結果になっていないようなら、努力の内容に何らかの問題がなかったかを見直してみる。

 そしてトレーニングメニューなりカリキュラムなりを少し改良し、次の節目までその内容でまた頑張ってみる。

 

 この繰り返ししかありません。

 そう簡単に改善点が見つからない場合もありますし、どんなに改良を重ねても一向に結果に結びつかない場合もあります。

 それでも他に方法がない以上、このような地道でつまらない道のりを進む以外に、「正しい努力」を実現することはできないのです。

 すべての人間に共通するたった一つの正解があればこんな苦労はしなくてもよいのですが、残念ながら努力というものは、先述した通り、その人ごとの現在の能力や置かれた環境も考慮した上で導き出されるものなので、信頼の置けるメンターでも付いていない限り、自力で探り続けなければならないのです。

 

唯一、正しい努力を補強してくれるもの

 今、「信頼の置けるメンター」と書きました。

 もし「正しい努力」に近道があるとしたら、ズバリこれが相当するでしょう。

 ゴールの詳細を熟知した上で、こちらのパーソナルな状態もしっかり把握している人物を用意し、その人に内容を託すのです。

 人選を間違えなければ、おそらくそうすることで、間違いを減らすことも、時間を短縮することも、かなりの割合で成功することができるでしょう。

 同じ環境にそのような人物がいるならばその人の下につくのが良いし、そうでなければスクールを利用するとか、コーチ、コンサルタントを付ける等がその具体的な方法となります。

 

 しかし、すぐにおわかりの通り、それには人脈かお金か、どちらかが必要になる。

 それらを用意できないのであれば、やはりすべてを自力でやるしかない。

 この辺りの意味でも、道は険しいと言わざるを得ません。

 好むと好まざるとにかかわらず、これが我々が邁進しなければならない「正しい努力」の性質なのです。

 

生きるって大変です

 自分で書いておいてこう言うのもなんですが、やっていられませんよね。

 何でそこまでしないと目標を達成することができないのか、世の中もうちょっとプレイしやすくてもよいのではないか、と心の底から思います。

 

 また、努力すればするほど、才能や運に恵まれた人間の存在感が嫌というほどわかるようになり、そちらの方面からもモチベーションはガリガリと削られていきます。

 そういった恵まれた人間達が、成功できないすべての人間を努力不足と一刀両断に切り捨てるところなどを目撃した日には、何かの革命でも起こしたくなりますよね。

 

 しかしそこは(自分のために)ぐっと我慢しなければならない。

 もし成功したいのであれば、逆説的ではありますが、いったん成功それ自体のことを頭の脇に追いやって、目の前の努力の磨き上げと実行にのみ集中する時期も必要になるでしょう。

 長丁場の戦いになるので、自分の精神を安定させるためには、いろいろな工夫が必要になります。

 くれぐれも、健康を損なうことだけは避けなければなりません。

 

銀の弾丸はない

 ……長々と書いてきましたが、もしあなたがこの記事に、正しい努力をするための秘訣のようなものを期待して来訪されたのであれば、申し訳ないことをしました。

 ここまで読んでいただいてお分かりいただいた通り、この記事は努力に関する秘密のテクニックを知っている人間が書いたものではありません。

 ただひたすら、正しい努力の重要性と、それを実行することの地道さを言葉にした記事となっております。

 

 しかし、それはもう「そういうもの」だと言うほかないものなのだと、私は考えています。

 秘密のテクニックをあなたが求めておられるのであれば、この記事が提供できることが一つあります。次の言葉をかけることです。

「そーゆー安易な道を進めるという期待は捨てたほうがいいですね」

 

 お互い、地道に正しい努力を模索し、愚直にそれを実行していきましょう。

 誠に遺憾ながら、世界はそういう風にしか攻略できない仕様になっているようですので。