天国的底辺

二次元、創作、裸足、資格試験、その他諸々についての思索で構成されたブログ

【ZIPでくれ】デジタルデータを「持ちたい」欲求はもう古いのか

 今日はいわゆるデジタルデータとの付き合い方の移り変わりについて、少しだけ考えてみたいと思います。

 特に結論とか提言といったものはありませんので、ひとつ気楽にお願いいたします。

 

電子書籍のリスク

 先日、私は電子書籍について次のような記事を書きました。

 

www.tengoku-teihen.com

 

 ここで私は、自分が電子書籍に入れ込んでいて、紙の本に対する興味が薄れていることに触れました。

 収納スペースの問題などに言及したのですが、話の流れの関係で大切なことをスルーしてしまっていたので、ここで改めて書いておきたいと思います。

 

 私は電子書籍が好きですが、それを購入することの実態が「使用権の取得」であって「所有権の取得」ではないことについては、納得していませんし、危険性も持っています。

 

 今さらかもしれませんが一応説明しておくと、例えば私が購入しているKindleの電子書籍の場合ですと、プラットフォーマーはAmazonとなります。

 電子書籍を購入すると、Amazonのシステムからその書籍を「便宜的にダウンロードして」閲覧することができるようになります。

 この便宜的なダウンロードというのが曲者でして、いわゆる普通のダウンロードのように、ローカルに落としたデータを好きなように扱えるわけではありません。

 それらは専用の閲覧手段と結びついており、その枠組みの外で自由に閲覧することは許可されていないのです。

 

 ここで問題となるのは、その書籍の生殺与奪をAmazonが握っているという事実です。

 もしAmazonがその書籍に何らかのケチをつけて「販売停止」という処置を取ると、かのサイトの陳列棚からその姿が消え、まるで最初から存在しなかったかのようになります。

 すでに購入した顧客のローカルデータは残りますが、もしそれをうっかり削除してしまったら、もう二度と購入することはできません。

 それっきり、その書籍とは縁がなくなってしまうわけです。

 

 また、(当分はあり得ないことだと思いますが)もしKindleのサービスが終了してしまったら、そのときは購入したすべての書籍が閲覧できなくなる可能性があります。

 下手をすると返金さえしてくれないかもしれませんし、返金してくれたとしても、書籍との繋がりは、それでめでたしめでたしという単純なものではありません。

 

 所有権を買ったわけではないというのは、このようにとてもリスクのあることなのです。

 

コンテンツビジネスは変わった

 ……と書いてくると今回も電子書籍の話なのかと思われそうですが、そうではありません。

 今回のテーマは、以上の話をもっと抽象化した、「デジタルデータとの関わり方についての意識」です。

 

 最近は動画や音楽の配信サービスも充実してきて、あらゆるコンテンツをその視聴で済ませてしまう人が多くなりました。

 何と言っても「触れよう」と思ってから実際に触れられるまでの時間と手間がありませんし、サブスクリプションという形式には人の感覚を麻痺させるところがあります。

 電子書籍と同じく、こちらにも配信終了のリスクはあるわけですが、世の中の風潮として「それまでに消費し尽くせばいいや」みたいな感じになっており、それはそういうものとしてなし崩しに受け入れられているように観察されます。

 

趣味の分野も

 また、そういった商業コンテンツから離れた趣味のコンテンツも、昔と比べてだいぶ変化してきました。

 個人的にその代表として語るべきだと思うのは、pixivですね。

 それまでデジタルなイラストといえば個人サイト上にアップロードしたものを見に行くのが当たり前のスタイルだったところ、pixivはイラスト中心のコミュニケーションサービスとして巨大になることで、感覚的な意味において、ネット上のイラストデータを「固定化」させました。

 つまり、個人サイトという不安定なものの上にあったイラストを、確固たるサービス上に集約させることで、データが常にそこにあるような感覚を閲覧者側に植えつけることに成功したのです。

 

 これにより、ネット上のイラストというものに、まるですでに所有しているかのような錯覚が生まれました。

 pixivというサービス全体が、さながらオンラインストレージ。

 現実的には、それぞれの絵描きさんが作品を引っ込めてしまえば二度と閲覧できなくなってしまうことに変わりはないわけですが、個人サイト時代と比べると、システムの在りようが遥かに安定的に映るため、そのあたりの感覚が薄まったわけです。

 絵描きさんの増加、作品の増加が重なったことで、その方向性はより強くなりました。

 

 ――というところで、今回の記事のタイトルのようなことを思うわけです。

 

所持したい欲求は古いのか

 私は今でも、デジタルデータはできる限り自分のHDDの中に収めておきたいと考えており、その欲求は昔と全然変わっていません。

 自分の中ではそれは当たり前のことで、今でも毎日のようにTVアニメのデータは増え続け、pixivやTwitterで気に入った画像があれば、それらをすべてローカルに保存しています。

 いつ消えるかわからないという危機感ももちろんあるのですが、もっと単純な問題として、そこまでしないと「済んだ」気になることができないのです。

 

 ですが……もしかして、この欲求はもう古い世代、ないし濃いオタクの間でしかマジョリティたり得ないものなのでしょうか?

 

 いや、べつに、仮にそうだったとしても何ら恥じるところはありませんし、それで自分のスタイルを変えるわけでもないのですが、近頃よくそういうことを考えるようになりました。

 主たる消費者意識としては、もはやデータは「落とす」とか「拾う」ものではなく、「ネット上にまだあれば触れるけど、なくなったらなくなったでまあ仕方ないし、どんどん新しいものが出てくるから、べつにね」という感じだったりするのかな、みたいな。

 

ZIPから遠く離れて……?

「ZIPでくれ」は素晴らしいまでに欲求をそのまんま表現した、ある意味名言だと思ってきましたが、もしかしたら今やマイノリティな感覚なのかもしれない。

 だとしたら寂しい……わけではありませんが、大容量のHDDを複数抱え、そこにもろもろ詰め込んで生きている自分が、ちょっとだけ滑稽に見えてしまったりもするのです。

 

 あなたはデジタルデータの所有に、今でもこだわる派ですか?