天国的底辺

二次元、創作、裸足、資格試験、その他諸々についての思索で構成されたブログ

トランプ大統領を迎えて、大相撲の伝統は壊されたのか?

 大相撲の千秋楽にアメリカのトランプ大統領を迎えるにあたって、何かいろいろと意見が飛び交っていたようですね。

 私は基本的に政治的なことは発言しませんが、今日は「大相撲の伝統」の部分だけ切り取って、そこについて少し書いてみようと思います。

 

 

伝統を破壊した伝統好きの安倍政権?

 Twitterを眺めていたら、こんな記事が流れてきました。

 

lite-ra.com

 

 どこかと思ったら、左に思いっきり偏っているリテラさんだったので、政治的姿勢としてはなかなか一方的なことが書かれており、まあ正直引いてしまったのですが、今回のポイントはそこではありません。

「升席に椅子を用意し、スリッパで土俵に上がる。伝統を重んじると言っている政府が積極的に大相撲の伝統を破壊している」という部分です。

 ここでは前提として、「揺らがない大相撲の伝統」というものが設定されており、そこに変更を加えることを伝統の破壊であるとしている。

 それをやっているのが、伝統を重んじると主張する者であるのはまさに矛盾! 滑稽な話だ! ……というわけですね。

 

話はそう簡単ではない

 結論から言いますと、話はそこまでわかりやすくありません

 

 まず、スリッパで土俵に上がる要人は、トランプ大統領が初めてではありません。

 というより、表彰式において同じことをしている要人はたくさんいます

 数えたわけではないのですが、そうでない方のほうが少なかったりするのではないでしょうか。

 なのでこの点については、大相撲の歴史を紐解くまでもなくダウトです。

 これをもってトランプ大統領云々、安倍外交云々というところまで持っていくのは、良く言ってアクロバット、悪く言えば難癖というところでしょう。

 

 一方で、升席に椅子を用意して、同時に周辺の升席を1,000席おさえ、座布団などが当たらないように大量の警備員を配置したというところは、確かに前例のないものではあります。

 なので、リテラさんの記事タイトルはこちらだけにしておいたほうが格好がついたのではないかというのが正直な感想ですが、まあそれは置いておくとして……。

 さて、これがどのくらい「伝統を破壊」していると言えるでしょうか?

 

大相撲がやってきたこと

 これを考えるには、大相撲が今まで伝統をどのように扱ってきたか、その歴史を(今回はほんの僅かですが)紐解いていく必要があります。

 

その1:吊り屋根

 まずはこちらの記事を御覧ください。吊り屋根の歴史について、詳しく書いておられるブログ記事です。

 

kaisei.hatenadiary.com

  今回のテーマにおいて重要と思われるのは、以下の部分です。

 

これは、

「吊り屋根」といい、

伊勢神宮と同じ神明造りになっています。

もともとは土俵の四隅に立てられた

柱の上に乗っかっていたものです。

しかし、

柱が観戦の邪魔になるため、

1952年に柱が取り去られました。

これを機に、

吊り屋根と四房に変わり

天井からの吊り下げ式になったのです。

引用元:相撲の土俵の屋根の意味は?吊り屋根の「水引幕」の由来?屋根の重さは? - 物知り博士になろう

  

 原文がすでにとてもわかりやすいですが、ダメ押しとしてさらに要約しましょう。

「柱があると観戦しづらいから、神事に関わる伝統的なものだけど取っ払った」

 こういうことです。

 

その2:優勝制度

 これもまずは、こちらの記事を御覧ください。

 

www.waseda.jp

 興味深いことが色々と語られておりますが、ここで取り上げたいのは次の箇所です。

 

かつての相撲は、毎日土俵に上がって取り組みをして「勝った」「負けた」で終わりでした。それが変わったのは1909(明治42)年。その場所を通して一番いい成績を表彰する「優勝制度」が新聞社によって制定されたからなんです。

なぜ、新聞社がそんなことをしたかというと、「優勝者を表彰します」と喧伝(けんでん)し、毎日「星取表」(※勝ちを白星、負けを黒星とし勝敗を示した表)を付けて、「誰がリードしているか」を報道することで、新聞を売ろうとしたわけですね。

引用元:大相撲は神事かスポーツか興行か? 激論、これが「伝統」の真実だ! – 早稲田ウィークリー

  

 そう、例えば江戸時代の伝説的な力士である谷風や雷電には、優勝回数についての記録はまったく残っていません。

 まあ明治42年といえば大昔で、それ以降の歴史があるならそれ自体が伝統じゃないかという見方もありましょうが、「商業的な都合で勝負事の根幹をなすシステムに変更を加えた」というのがここで指摘したいポイントです。

 

その3:土俵の広さ

 上で挙げた記事では、このようなことも語られています。

 

新聞だけじゃなく、ラジオやテレビ中継の開始によって変わったこともたくさんあります。むしろ、そちらの方が多いかもしれない。

昔は13尺(直径3.94メートル)だった土俵サイズが、今の15尺(直径4.55メートル)に大きくなったのも、テレビで見応えある相撲にしようという考えからとされていますし、

引用元:大相撲は神事かスポーツか興行か? 激論、これが「伝統」の真実だ! – 早稲田ウィークリー

  

 他の格闘技で言うなら、土俵はいわばリングです。

 リングのサイズが違えば、その上での身のこなし方も変わってくるでしょう。戦略にも大きく関わってくる要素です。

 それを「テレビの見栄え」を意識して変えてしまう発想。

 むしろ他では見られない劇的な変化がかつて起きたのだ、ということができます。

 

その4:興行時間

 出典としてあまり好きではないのですが、わかりやすくWikipediaから引っ張ってきましょう。

 

ja.wikipedia.org

取組の進行は9:00頃から前相撲を開始、大相撲中継にあわせて、結びの一番と弓取式が18:00直前に終了するように時間調整が行われている(千秋楽は表彰式のため30分繰り上げ)。

引用元:大相撲 - Wikipedia

  

 そう、大相撲は現在、テレビ中継に合わせて毎日のスケジュールを組んでいるのです。

 言うまでもなく、テレビ放送のなかった時代にはそんな発想はあり得ませんでした。

 一見呑気そうに塩を撒く時間があったり、昔ながらの所作が多いのでつい錯覚してしまいますが、あれはすべてテレビ中継から逆算したものになっているわけですね。

 

「都合に合わせて変えてしまう」という「伝統」

 ――このように、大相撲の世界は、良く言えば柔軟、悪く言えばプライドも何もなく、外部の都合で結構いろいろなものを変えてきたのです。

「女性を土俵に上げない」などの「頑ななまでに残そうとしている伝統」が目立つので、あまりそういう印象はないかもしれませんが、大相撲のシステムは時代と共に移り変わっており、そこには柱の撤去のように、神事にかかわっていたはずのことさえ含まれている

 

 このあたりを見ていくのであれば、「割と核の部分まで、外的な都合があれば変えてしまう」のが大相撲であり、あえて言うのであれば、むしろそういうスタンスも大相撲の伝統の一部であるということになるのではないでしょうか。

 

つまりはそんな大ごとでもない

 ……というところで、そもそもの話に戻ります。

 

 繰り返しますが、私は政治的な是非のようなものを語る気は(そしてそのための知的準備も)ありません。

 ですが現実問題として、政府は今回、トランプ大統領の「接待」に大きな価値を見出し、それを実行に移したのだということは言えるでしょう。

 そのことに応じるかたちで、升席に椅子を用意する――さあ、ここまでこの記事を読んでいただいたあなた、これはどのくらい「大相撲の伝統を破壊している」と言える出来事でしょうか?

 

 様々な度合いの意見が出るとは思うのですが、次のことはもう共通認識でしょう。

「少なくとも今回の件は、頑として固定させている伝統にヒビを入れたというより、大相撲がよくやる妥協をまたやったというのが正しい」

 大きな利害の話になると、そこそこ融通が利くんですよ、大相撲は。伝統的に。

 

おわりに

 私に書けるのはまあ、これくらいです。

 一つの出来事に対して多くの意見が生まれて、それらが噛み合わずに衝突するのはごく自然なことで、べつにそれを否定するわけではありません。

 ただ、伝統を引き合いに出すのであれば、こういった歴史を踏まえた上でやるべきだし、リテラさんにはちょっとそれが足りてないなと、今回思った次第です。

 まあリテラさん的には、「こんなのただの話のマクラで、力を入れるようなところじゃなかったんだよ!」ということなのかもしれませんが……。

 

 そこまで相撲ファンというわけでもないのに、長めに書いてしまいました。

 

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