芽の出ない小説投稿者
2014年の秋に、小説新人賞に投稿するための作品を書き始めてから、4年半くらいが経ちます。
その間に、書き手としての自分の客観的立場に何か変化があったかというと……残念ながら何もありません。
受賞については、大賞はもちろんのこと、佳作や奨励賞といったものにも引っかかったことはありませんし、編集者さんから連絡をいただいたというようなこともない。
落選した作品をネットに投稿したこともないので、広く読まれたこともないし、従ってそもそも「小説を書く人」として認知されていない(Twitterではよく小説の制作話をしますが、それだけでは本当に書いているのかの証明すらできていないですよね)。
まさに「何者でもない」状態が、ずーっと同じ感じで続いています。
一応頑張ってはきた
とはいえ、作品を書き続ける過程で、主観的には何の変化もなかったわけではありません。
それなりに試行錯誤を繰り返してきました。
文章をどのように組み立てるのがよいのか、自分の好きな世界設定と世間にウケる世界設定の落とし所はどのあたりか、キャラクターはどのくらいコテコテにすべきなのか……といったことです。
自分の場合、長編小説を一本書き上げるのに最低でもだいたい3ヶ月ほどかかります。
設定とキャラクターに半月、プロットに半月、本文執筆に2ヶ月。内訳はこんな感じ。
他に何か試行錯誤があればそこにも時間は取られますし、単純に進捗が悪くてもスケジュールはどんどん伸びていきます。
いったん本文に着手したらもう入れ込むことのできない試行錯誤というものも多く、新たな試みをする機会というのは意外とありません。
長いスパンで計画しなければならないのが、長編小説執筆の難しい点の一つでしょう。
鈴木輝一郎さんのメソッド
さて、そんな風にしてそれなりにもがきながら書き続けていた私ですが、2年ほど前に、小説家の鈴木輝一郎さんのTwitterアカウントと、氏が出しておられるYouTube動画に出会いました。
鈴木さんは小説講座を主催しており、その知見の一部を無料で公開しておられるのです。
そのコンセプトは「面白い小説とか良い小説ではなく、受賞できる小説を書くのに必要なことを語る」というもので、そのリアリスティックなところに私は興味を引かれました。
次のような本も購入し、より詳しいところまで勉強してみました。
鈴木さんが何度もおっしゃっていることに、キャラクター作りの大切さがあります。
小説家志望者は設定やプロットがどうあるべきかということにはよくこだわるが(それはそれでもちろん必要なことだが)、キャラクターをきちんと作り込むということを疎かにすることが多い。
まずはキャラクターをきちんと作ろう。
そしてそのキャラクターがきちんと活きるような設定やプロットを構築していくのだ。
……氏の主張する「優先順位」はこのようなものです。
そしてそのためにまず、キャラクターの履歴書を作ってみよう。
鈴木さんはそれを一貫して推奨しています。推奨というより、ほとんど必須のこととして語っておられます。
履歴書を作ることで、キャラクターの背景や他のキャラクターとの関係、必要な資料といったことがようやくハッキリと見えてくる。
あなたが天才ではないならば、これはやっておくべきだと。
方向転換を決意
それまでの私は、すでに述べましたが、設定とキャラクターを合わせても半月ほどしか時間をかけておらず、履歴書のようなものも当然作ってはいませんでした。
せいぜい、ちょっとした特徴のようなものを各キャラクターごとに3行ずつくらい。あとは本文を執筆しながら、フィーリングで肉付けをしていく、というようなスタイルでした。
それもあって、鈴木さんの主張はなかなかストレートに私に刺さったのです。
なるほど、自分の突破口はココにあるのかもしれない、と。
実際のところ、キャラクターの履歴書、あるいはそれに類するものを作るプロはたくさんいます。
小説家はもちろんのこと、漫画家などにもいて、例えば『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦さんなどは、かなり詳細にキャラクターを作り込んでからそれを物語の中で動かしていくといいます。
なので、王道的といえば王道的な作業。それが唯一絶対の創作方法かどうかはさておき、真っ向から否定するには実績がありすぎる。
そんなわけで、私はあるときから、おおまかなジャンルの方向性や世界設定が浮かんだら、プロットの前にまずキャラクターの履歴書を作るようになりました。
これまで9本の長編小説を書いてきたのですが、これをやるようになったのは7本目からです。
最初の6本で成長を感じられなかった自分にとって、この手法の変更に込めた想いはそれなりに大きなものでした。
実のところ、他に試すべきことが浮かばなくなってきていたのです。
結果発表
さて、その結果どうなったか?
私はこれまでに、9本のうち8本を、電撃大賞、小学館ライトノベル大賞(通称ガガガ)、MF文庫Jライトノベル新人賞に投稿してきました。
残りの1本(9本目)はこれらの賞の規定枚数をどうしてもオーバーしてしまったため、集英社ライトノベル新人賞にのみ投稿しました。
その戦績が、以下のようなものです。質素な作りの表ですが、ご容赦ください。
電撃 | ガガガ | MF | 集英社 | |
---|---|---|---|---|
1本目 | 三次落ち | 一次落ち | 二次落ち | - |
2本目 | 一次落ち | 二次落ち | 一次落ち | - |
3本目 | 三次落ち | 一次落ち | 二次落ち | - |
4本目 | 一次落ち | 一次落ち | 二次落ち | - |
5本目 | 二次落ち | 一次落ち | 二次落ち | - |
6本目 | 一次落ち | 二次落ち | 二次落ち | - |
7本目 | 一次落ち | 一次落ち | 一次落ち | - |
8本目 | 一次落ち | 一次落ち | 一次落ち | - |
9本目 | - | - | - | 一次落ち |
……ご覧の通り、キャラクターの履歴書を作るようになった途端、一次選考にも引っかからなくなってしまったのです。
鈴木さんはとある動画の中で、こう言っておられました。
「履歴書を作るのは面倒だと思うかもしれないが、これをやると必ず予選は通るようになる。なぜなら、どれだけ口を酸っぱくして『これは有用だ』と言っても、ほとんどの人がやらないから」
しかし、私に起きたことは、まったく正反対だったわけです。
手法に罪があるわけではないが……
誤解のないように書いておくと、これはべつに鈴木さんをdisっているわけではありません。
先述した通り、キャラクターの履歴書を作るのは王道的な創作方法の一つなのです。それを推奨することに、いったい何のツッコミどころがありましょうか。
ただ一点、「これをやると必ず予選は通るようになる」――この一言についてだけ、今も私は猛烈にモヤモヤを感じているのです。
少なくともそこに広がる世界の中に、私は含まれていなかった。この切り捨てられ感。
1本目からずーっと一次選考に落ち続けていたのなら、話はわかりやすいです。
単に私が極端に才能のない人間で、さすがの履歴書作りも私を引き上げることはできなかった、というのが結論になるでしょう。
しかしそうではなく、元々まあまあ行けていたところに、行けなくなってしまった。
これはべつの発想に繋がります。
つまり、とりあえず結果だけを見るのであれば、私という書き手において、キャラクターの履歴書作りは作品に悪影響を及ぼしたことになる。
そう捉えざるを得ない。
問題はどこにあるのか?
問題は、その具体的な成り立ちです。
キャラクターの詳細を決めてから、それに基づいたプロットを立てることに、私の感性が極端に向いていないのか。
それとも、作った履歴書の活かし方について、私が何か勘違いをしているのか。
あるいは、履歴書の作り方自体に問題があるのか。
……これは現在進行形の悩みで、答と呼べるものはまだ出ていません。
いずれにせよ、このことは今回の記事のタイトルそのままの、根本的とも言える問いへと私を引き戻す結果になりました。
小説を書く際に、キャラクターの履歴書を作ることは必要なのだろうか?
ご意見求む
これを読んでいる方で、プロアマ問わず「物語を作っている」方がいらしたら、ぜひともコメントなり何なりをいただきたいと思っております。
皆さんはキャラクターの履歴書、キャラクター表……呼び方は何でもよいですが、そのようなものを作っていますか?
そして、その作業をどのくらい重要なことだと考えておられますか?
全ての文字書き必見。推敲も校閲も面倒見てくれます。
