決まり文句
最近私は、成功した人達の語る方法論、あるいは人生訓のようなものを、よくインターネットで見聞きしています。
それらはほぼすべてご本人達が自ら発信しているものであり、そこからわかる通り、彼らのほとんどは多かれ少なかれネットを活用して成功した人達となっています。
彼らに言わせれば、インターネットはそこら中にチャンスが埋まっている宝の山のようなもの。
お金に困らない生活をするチャンスは誰にでもあり、今はかつてないほど、なんてことのない凡人が富裕層にまで上り詰める可能性を多く秘めた時代であると、彼らのほとんどが主張します。
その際に、彼らが間違いなく強調する1つのことが、これです。
「とにかく行動せよ」
強い言葉ではあるが
それがどのような形のビジネスであれ、この一点に関してはまるで物理法則でも語るかのように、全員同じような言い方になります。
とにかく行動せよと。そして行動しながら様々なことを考え、学んでいけと。
もちろん行動すれば全てがうまくいくというわけではなく、失敗も数多く経験するだろう。
でもそれらは皆すべて経験値という形で積み重なっていき、次の成功の糧となる。
失敗してもすべてが一旦ゼロに戻るだけで、命まで取られるわけではない。
だから何度でも繰り返し、失敗から学びながら「次こそは」と挑戦し続ければ良いのだ。
そうすれば、いつかは蓄積された経験値がものをいい、あなたを成功に導いていくだろう――。
私は好んでそれらの発言を見聞きしているわけですから、基本的なスタンスとして、彼らのその意見には一定の力があることを認めています。
しかしその一方で、彼らの論理に対して、人を誘惑することを目的としているような「都合の良さ」を感じてもいるのです。
その信憑性を検証する
上に述べた彼らの「とにかく行動せよ」論は、次のことが必須の前提となっています。
- 失敗してもゼロに戻るだけ
- またいくらでもやり直すことができる
- 失敗から学べることは必ずある
- 行動力以外に特別な才能は要らない
しかし、これらは本当に前提にできるほど確かなことなのでしょうか?
失敗してもゼロに戻るだけ
まずはこれですが、ビジネスというものを始める多くの場合において、これは当てはまらないと考えるべきでしょう。
何しろ最初にビジネスを立ち上げるには、資金が必要になります。
その資金を、何の融資も受けずに揃えることのできる人は、そうそういないのではないかと思います。
お金がないからこそ、お金を得るためにビジネスをするわけですからね。
したがって多くの場合、失敗したらゼロに戻るのではなく、借金を抱えるという意味でマイナスにまで落ちることになります。
この辺りについて、彼らに言わせれば「そういうリスクを取らないビジネスを選べ」ということになるのでしょう。
しかしそういったビジネスは限られていますし、限られたものである以上、レッドオーシャン化しているのが常態で、成功するには様々なセンスが必要になってくるでしょう。
結局のところ、失敗してもゼロに戻るだけのビジネスを展開できる時点で、ある程度人が選別されているのです。
またいくらでもやり直すことができる
これは上記の、失敗してもゼロに戻るだけという論理ありきの主張でしょう。
事業に失敗して借金を抱えた人が「いくらでもやり直せる」とは、とても思えません。
もちろん彼ら成功者の中には、何度か失敗して借金を抱えたところから復活して富を築いたという人も確かにいます。
それについては敬意を表すのですが、一人一人の話を詳細に分析してみると、そこには少なからず幸運とセンスが関わっているのです。
不特定多数の人間に対して、当たり前のように主張するのに必要な、ある程度以上の再現性には欠けるところがあります。
失敗から学べることは必ずある
これは一見すると尤もらしい意見です。
確かに多くの場合に当てはまることであり、何かに失敗した時、周囲のせいにするより先に、まず自分に何が足りなかったのかを検証するのは大切なことでしょう。
何かに挑戦する際の基本中の基本といっても良いです。
しかし、どう考えても「運が悪かった」としか言いようのない失敗も数多くあります。
そのときに、その事実を無視して、無理やり理屈をこねて自分の行動の中から原因を見つける(作る)行為が、前向きな反省・学びだとはどうしても思えません。
何でも人のせいにするのがダメな行為であるのと同じように、何でも自分のせいにするのも、決して有益な行為というわけではないのです。
行動力以外に特別な才能は要らない
これが一番ダウトでしょう。
実際に行動してみなければ才能があるかないかはわからない、という言い方ならば、ある程度は同意できるところはあります。
しかし、世の中に「成功するのに才能を必要としない」ものはありません。
本当に才能を必要としないのであれば、こんなにも世界は失敗と破滅で溢れてはいないでしょう。
この辺りについて、成功者達は次のような論理を用います。
「実際に行動する人の割合は驚くほど少ない。だから真剣に行動しただけでも既にあなたは上位数%に位置しており、そこから成功を掴み取るのはさほど難しいことではない」
この論理のおかしなところは、成功できる人のパーセンテージを無視しているところです。
確かに、実際に行動する人間がそれほど多くないのは事実でしょう。
しかし、行動する人がたとえ上位数%に位置していたとしても、成功者の割合がさらにもっと低ければ(大抵のフィールドにおいて低いでしょう)、そこからさらに相当の振るいがかけられることになります。
そこでモノを言うのは何か。……才能と運、を挙げないわけにはいかないでしょう。残酷な現実として。
とりあえずの結論
――と考えていくと、「とにかく行動せよ」という言葉には、真実味もあれば罠もあるという評価を下すことができるのではないかと思います。
確かに行動しなければ成功することはできない。けれども、成功者達が主張するほど、そのリスクが低いわけでも、再現性があるわけでもない。
結局、行動すると決めて動くことには、どう言い繕ってもギャンブルの要素が大きく含まれており、必ずしも行動することが利口なわけではない。
そんなところではないでしょうか。
まあ、このような記事を書きつつも、私は誰にでもできるわけではないことにいくつか挑戦しているんですけどね。
ただ、生理的な問題として、そしてこれまでの実体験からの学びとして(いずれ別の記事で詳しく書きたいと思います)、「とにかく行動せよ」には一定の抵抗感を持たざるを得ないのです。
賭けなきゃいけないときがある。
賭けてはいけないときもある。
行動するというのは、そういうことなのだと思います。